いつも旅が終わらぬうちに次の旅のことを考え、隙あらば世界中の海や山に、都会や辺境に向かう著者。とは言っても、世界のどこに行っても自己変革が起こるわけではなく、それで人生が変わるわけでもない。それでも、一寸先の未来がわからないかぎり、旅はいつまでも面白い。現実の砂漠を求めて旅は続く。体験的紀行文学の世界へようこそ。
パリの空は曇っていた。あるいは曇っていなかったかもしれないが、僕の胃腸はその日、明らかに壊れていた。つまり、曇っていたのかもしれない。
今日はオルセー美術館に向かう。ぱっとしない気分のまま、ホテルを出てパリの街を歩く。気分は曇っているが、「パリなんだな」と口にしてみる。
レンヌ通りを北上するとセーヌ川沿いの道路に突き当たったので、階段を下りて川沿いの歩道を歩く。カモが7匹、水泳選手のように川岸に並んでいる。飛び込む気配はないが、飛び込むべきであるかもしれない。
「オリンピック」という単語が頭をよぎったが、どうでもよいことだった。川の汚さが話題になったようだが、やはりどうでもよかった。川が汚すぎて選手たちは嘔吐したらしい。僕の胃腸は今、嘔吐の蓋然性が高い。イッツ・嘔吐マティック。仕立てのよい嘔吐クチュール。
オルセー美術館に着いた。入口にはブロンズのサイがいる。サイは何も考えていない。というより、そもそもサイであることが考えることを超越している。鳩がサイの鼻の先にとまる。鳩とサイが無言でその瞬間を共有している。何も起きていないが、何かが起きているかもしれない。
美術館に入ると、駅のような構造が広がっている。駅ではないが、駅かもしれない。ここは過去には駅だったが、今は美術館だ。今は美術館なのだから、駅ではない。しかし、駅であったのだから、今も部分的には駅である。プラットフォームに白い彫刻が並ぶ。誰かを待ち続ける彼らは、何も話さないが、話すときがあるかもしれない。
無口な彼らをひと通り眺めた後、脇の部屋に入って絵画を見る。ミレーの「落穂拾い」。腰が曲がった老婆たちが落穂を拾っている。彼女たちが拾うのは落穂だが、ほんとうに落穂なのか。ずっと昔にこの絵を模写した記憶が蘇る。
中学2年の美術の時間に僕はこの線を何度もなぞったが、今その線は全く別のものに見える。あのとき、僕は何を見ていたのか。
実物の絵を見ると、模写したときには全く拾えなかった線と色が見える。無数に見えるといっていい。そのことに愕然としてしまう。でも、だからと言って見える今のほうがよいとは言い切れない。見えないなりによく見るという切実さが、ものを見通すことがある。
胃腸が痛む。クールベの絵は胃腸に悪い。だが、マネの絵は違う。どこか明け透けで歪んでいる。歪んでいるが明るい。明るいが不気味で、それでいて真新しさを感じる。そして、その真新しさが妙に正しく見える。つまり、正しくないのだろう。
絵の中に何かが隠れているが、それは隠されていない。はっきりと見えるが、見えない。歪んだまま、正しさを語り掛けてくるが、その語りはどこにも届かない。届かないが、僕の中には届いている。不気味な明るさが、この世界のどこかを支えているようで、実際には何も支えていない。
幼い子どもたちに熱心に絵画を解説して回るアジア系の女性がいた。美術館に子どもを連れてくるなんて、どうせ退屈に違いない。退屈は拡散する。絵の具を溶かしてキャンバスに染み込んでしまう。でも彼女は違ったようだ。自分なりの絵の見方を知っていて、その楽しみ方を子どもたちに投げつけている。パッションは空気中に溶け込み、子どもたちは絵の具と共にそれを吸い込む。
マネはタブローの限界を理解する人だった。理解したために彼の絵画はその身を外部に開いている。だからこそ、それは子どもたちを巻き込み、躍動させるのにふさわしい。
疲れを感じたので、5Fのカフェカンパナに向かう。ほとんどの席が埋まっている。誰も座っていない席を探し回ること自体、小さな冒険のようだ。ようやく見つけた席に腰を下ろし、ホットティーを注文する。この場所でホットティーだけを頼むというのは、隠れたルール違反のように感じられるが仕方がない。「胃腸が悪いんだから」と自分に言い聞かせる。
隣のテーブルのそばで、いかにも新人といった所作のスタッフが、ベテランスタッフに何か小言を言われている。新人は緊張で手元が震えている。彼女の顔には否定のしるしが刻まれているようで、これが彼女の日常なのかもしれない。
ベテランスタッフの顔には何の感情も浮かんでおらず、ただ冷ややかな目だけが動いている。こんな場所でそんなやりとりを見せないでほしい。心が揺さぶられてしまうから。
ガラス越しに見える、かつての駅舎のシンボルであった巨大な時計。時計は建物の外側を向いているので、その針は逆回りにチクタクと動いて見える。「タイムトラベル」という言葉が頭に浮かぶが、どうでもよかった。そもそも時計が何を計っているのかわからない。
数日前、スペインのセビージャにいたときのことを思い出す。ホームレスの女性がタベルナのテラスで歌っており、街も店もそれを自然なこととして受け入れていた。この整った場所では、そんな光景は考えられない。彼女が踊る余地は存在しない。
スペイン語の会話が後ろから聞こえてくるが、何を言っているのかはわからない。男性が一人、女性が二人。男性は一人の女性に熱っぽく何かを語っていて、相手の女性は侮蔑の表情を浮かべている。もう一人の女性は、ただその状況を見守っている。この人たちは、わかり合うという作業の途中にいるのだろうか。
目の前の人のことをほんとうにわかりたい。そんな気持ちで話を聞いていると、突然にわかってしまうことがある。相手を認めるのではなく、相手のことが心底わかって腑に落ちてしまう瞬間が訪れることがある。
それは生まれ直すような経験で、小さな奇跡だ。そのときの僕は真っ白な画用紙になって相手の色に染まってもいいと思う。
ホットティーを飲んだだけなのに、胃がキリキリする。茶葉の苦味が胃に鋭く刺さる。もう絵を見るのは限界だなとあきらめて、美術館から出ることにする。この場所に再び来ることがあるのだろうか。そう問うてみたが、それはどうでもよかった。
出口を抜けるとサイはまだそこにいた。鳩が消えている。と書いた瞬間に別の鳩がサイの鼻先に舞い降りた。同じ鳩かもしれない。
*****
Yにはいつも熱っぽく何かを問いかけるような気配があった。いつも何かを探していて、それを今にもつかまえようとするような獰猛さがあった。でも、この日のYは表情がぎこちなかった。まるで風がやんだあとの風鈴のように、何かが止まってしまいそうな気配が彼女に漂っていた。
「ほんとうに竜巻みたいだった」。彼女は自分の話をそう総括した。
Yは東京のH大に通った後、都内のブランディング会社に就職したが、3年後に会社が倒産した。その後もしばらくは元社長の事務所で手伝いをしていたが、社長からのボーナスでフランスに行き、メドックマラソン(ワインを飲みながら仮装して走るマラソン)をきっかけにワインにどっぷりとはまって、その2年後にボルドーの大学院に入学した。修士課程では、ワインマーケティング・マネジメントを学んだ。修了したのは今から8年前だ。
大学院ではサンテミリオンのワインシャトーでの3か月に及ぶ研修があり、そのときに寝食を共にした、ボルドー出身のジュール、カナダのケベック出身のイーサン、韓国のソウル出身のソアの3人と意気投合して4人組を結成した。Yは彼らと「これまでの人生にない深い人間づきあい」を経験することになる。
当時の彼らは4人組のことをレ・キャトル・テロワール(=4つの異なる風土)と呼んで、互いが知り合い関係しあっていることを誇りに思っていた。まるで、4つの小舟が違う方向に漕ぎ出したのに、同じ海流に乗って漂いながらひとつの場所に流れ着いたように、彼らはその出会いにほとんど儀式的な必然を感じていた。
多くの若い男女がそうであるように、4人は恋にのめり込んでいった。Yは「考えていることが近すぎる」ような気がして、ジュールと付き合うようになった。ジュールはいつもその場面に最もふさわしい言葉で愛をささやく人だった。それなのに、踏み込ませない領域をかたくなに守っているように思える節があった。
そんなジュールの前で、Yはいつもどこか緊張していた。Yは、この人の前ではもっと潔く生きなければならないと身を正した。ジュールとの関係について、Yはいつもイーサンに相談していた。イーサンは飽きる様子を見せずにYの話に付き合ってくれた。Yはジュールの前ではちぐはぐな自分を感じていたが、イーサンの前では安心して快活にふるまうことができた。
Yたちが交際を始めてまもなく、イーサンはソアと付き合い始めた。二人は活動的な性格がよく似ていたし、何よりワインの趣味がよく合った。
こうして4人の関係性は変化したが、4人組は相変わらず仲が良かった。4人ともパリ市内に住んでいて、毎週末に集まってはそれぞれの近況について、新しく見つけたワイナリーについて、ワインと料理のペアリングについて語り合った。
Yは広告代理店でクリエイティブディレクターのアシスタントをしていた。直接ワインを扱う仕事ではないものの、取引先にはレストランやワイナリーも多く、大学院での学びが大いに役に立っていた。エスプレッソマシンがたびたび彼女に反抗することを除けば、オフィスには何の問題もなかった。
ジュールはワインを主にレストランに卸すエージェントで働き始め、Yのスタジオ(ワンルームのマンション)から歩いて15分のアパートに住んでいた。Yはジュールからの平穏な愛情を充分なほどに感じていたが、その一方でどこか一線を引かれている感覚はどうしても拭えなかった。
ある年のクリスマスの夜、Yはジュールに、これほど愛し合っているのに、なぜすべてが満たされてはいけないのか、満たされないかぎり幸福とはいえないのではないかと泣きながら訴えた。ジュールは、満たされることなんてありえない、むしろ満たされてはいけない、甘美さでいっぱいの満足感なんて、それは真実ではないと答えた。ぼくらは別の幸福を探さなきゃいけないと言った。
そのころ、ソアはワインショップでテイスティングイベントの企画やアドバイザーを務めながら、韓国を中心としたアジア地域への輸出業務を担当していた。彼女はスケジュールをいっぱいにして自分を追い詰めるくせがあって、いつもせわしく動き回っていた。
一方で、イーサンは1年近くフランス国内をふらりと巡ったあと、パリにやってくる英語話者たちを対象にした観光ガイドを始めた。放浪中に知り合ったエペルネーのブドウ園の主人の協力のもと、メゾンとワインセラーの見学ツアーを始め、大手旅行会社からの委託だったため実入りは少ないものの、わずか1年で会社のトップセールスのツアーへと成長させた。
4人の中でいちばん忙しいのはソアだった。スケジュールを尋ねると、たいてい分刻みで仕事が入っていたくらいだから。それで、4人で集まるときは必然的にソアの予定に合わせることになり、集合場所も彼女のマンションの近くになった。4人はオルセー美術館のサイの前で集合して、それからワインリストが豊富なバック通りのレストランに行くのが恒例だった。サイはずっとそこにいた。
集合のときはたいていジュールが一番乗りだった。彼はきまってサイの後ろ足に隠れるように台座に座って本を読んでいた。その次に来るのはYで、そして最後はソアかイーサン。イーサンは時間に遅れてくることもしばしばあった。ちなみに、このころの彼らのWhatsAppのグループ名はヴィノセロス(Vinocéros = vin/ワイン + rhinocéros/サイ)だった。
ソアとイーサンは夏の長期休暇を利用してそれぞれの母国の実家に足を運んでいた。そんなこともあったので、Yは二人の関係が良好なものと信じて疑わなかった。
しかし、イーサンがそれを突然ぶち壊した。ソアがさりげなく結婚の話を持ち掛けたとき、イーサンは急にYが好きだと言い出した。それをYが聞いたのは興奮したソアからの電話で、なぜ二人の関係を私に話さなかったのかとYはソアに責められた。しかし、Yにとってそれは寝耳に水だった。Yにとってイーサンはいつも気持ちよく相談に乗ってくれる友達だったから。
だが、驚くべきはこの後である。それをYから聞いたジュールは、「Yはイーサンと付き合ったほうがいい」と言ったのだ。ジュールがこれまでと変わらない愛情を示しながらそんなことを言うので、Yは混乱したし、強く抗議をした。私はあなたがいないとダメだと迫ったが、ジュールはこうなった以上、仕方がないと言った。私たち二人の幸福以外に何を望むのかと尋ねたら、ジュールは小さな声で清らかさと答えた。
Yがイーサンとろくに話をしないうちに、彼はカナダに戻ってしまった。それからわずか半年後に、イーサンは生まれ故郷のケベックで、地元の女性と結婚した。たった一通のメールをもらっただけなので、相手のことは詳しくはわからない。
Yは4人組(ヴィノセロス)が壊れてしまったことに対し、そしてジュールが自分から離れてしまったことに対し、イーサンに何の怒りもないわけではなかった。でも、それよりも彼女は嵐のような状況を呑み込むことにせいいっぱいだったし、すべてをイーサンのせいにするほどシンプルに物事を考える人ではなかった。
イーサンが去ったのち、Yとソアは再び友情を取り戻して、とりとめのない話をするようになったが、あるときジュールが最近体調を崩して入院していることをソアから聞いた。Yは見舞いに行くことを望んだが、そんなさなかにパリを襲ったのがコロナ禍だった。
ジュールは、パリのロックダウンから4か月後の夏の日に、市内の病院で誰からも看取られることなく死んでしまった。死因は骨髄性白血病とのことで、Yは1年以上ジュールと一度も会うことがないまま、彼を失ってしまった。
「私の問題は、ジュールのことが最後までわからなかったということ」
Yはジュールが死んだ4年後に、僕の宿泊先のホテルのロビーにやってきて、そのことを話している。Yは僕の教室の卒業生で、フランスに行くと聞いたときも驚いたが、今日は彼女の人生に驚いている。
「何を言っても今の話に全然追いつけないんだけど……」
Yは首を傾けたまま僕の言葉の続きを待っている。
「わからないのはしかたがないよ。でも、もうこれ以上傷つかなくていいんじゃないかな」
Yはしばらく置いて「もうこれ以上傷つかなくていい……」と僕の言葉を繰り返した。そして、「私は、自分が傷ついているとはあまり考えてこなかったので驚きました……」と言って涙をこぼした。
「ジュールが死んだのがかわいそうなのであって、私はかわいそうじゃないんです。しかも私にはいまお付き合いしている人がいるんです。だから……」
「人生は整合性なんてぜんぜん取れないよ。でも、Yの目の前には、そのころ確かにジュールという清らかな人がいて、Yはジュールと共に生きた。そして、彼はこれからもYを照らし続けるし、これからも背中を押してくれるんだから。」
「そう、そうだと嬉しい。でも、そうやって人を清らかな思い出にするのは都合がよすぎる気もするんです。」
「ジュールもまた、整合性の取れない矛盾体だったのかもしれない。でも、汚れていたり自分勝手だったりすることと、清らかに人を愛することは両立するんだから。」
話しているうちに、Yの顔は少しずつ柔らいだ。感情の波はしだいに、ただそこに在るものとして沈殿していくように見えた。
「いまもソアと会ってワインを飲みに行きます。最近は、イーサンはもちろん、ジュールの話をすることもなくなりました。でも、私たちは彼らと同じ時間を過ごした二人としていまも過ごしている。それは確かにそう。お互いの人生を見守って、支えなきゃという気持ちがあるんです。背中を押してあげなきゃって。でも、そのときには私だけでなく、イーサンとジュールがいっしょに背中を押してくれている。そう、確かにそうかもしれない。」
Yはしばらく視線を落としたまま、指先でグラスの縁をなぞっていた。その円を何度も確かめるように、グルグルと動作を繰り返した。
「ソアとはもうわだかまりなくさっぱりした感じ?」
「そうですね。彼女とはたくさんのことをいっしょに経験してきましたから。でも、前に一度だけソアに怒りをぶつけたことがありました。そのときはちょっと悪酔いしてめずらしく昔話をしてしまったんです。ソアが、ジュールがあなたをイーサンに譲ったのはムダだった、イーサンはすぐにいなくなってしまったんだからと言って、私に絡んできたんです。それに対して私は「そんなことはない、そんなことは絶対にない」と泣きながら反発した。私のようすがあまりにひどいから、ソアは最後には謝ってきました。なぜあんなに強く当たったのかわからないけど……。いや、ちがいます……私はいまの方がわかります。ジュールの行いは、ムダとかそういう問題ではなかったことを、証明したいとさえ思っているんです……」
Yの指先はテーブルの端を軽くつまみ、その小さな動作に全神経を集中させるように動かなかった。唇はかすかに震えていたが、声には一切の揺らぎがなかった。
「Yはジュールが亡くなった後に、ジュールと出会い直してるね。それは大切な出会いだと思う……。そういえば、今日、たまたまだけどオルセー美術館に行ってサイを見たよ。」
Yはとたんに「まあ!」という顔になって指先をテーブルから浮かせる。ジュールのことを思い出すから、Yはずっとオルセーには近づきもしなかったそうだ。このとき僕は不意に胃腸がキリキリ言い出して、急に部屋に戻りたくなった。
「次に会うときはオルセー美術館のサイの前で会うといいかもしれない。サイはいつもそこにいるんだから。」
僕がそう言うと、Yは意外にも「いいですよ。そのときまでにはちゃんと覚悟を決めておきますから」と言って笑った。
Yがホテルの扉を出る。サイがYの後ろを歩いているのが見えた。鳩も飛んできた。ジュールもいたかもしれない。
オルセー美術館のサイ
Back Number
- 第8回 オルセー美術館のサイ
- 第7回 受難のメキシコと今村
- 第6回 ジャワ島のミコの家で
- 第5回 アシジと僕の不完全さ
- 第4回 ハバナのアルセニオス
- 第3回 スリランカの教会にて
- 第2回 クレタ島のメネラオス
- 第1回 バリ島のゲストハウス