40代持病まみれ
42歳で最初の単著単行本を出してから、4年のうちに30冊の単行本を出してきた横道誠さん。文学研究を専門とする大学教員で、自閉スペクトラム症(ASD)、ADHD(注意欠如多動症)、アルコール依存症の当事者として10種類の自助グループを主宰するその旺盛な活動力の秘密は、「いつ死んでも良いように」と40歳の時から「終活」を始めるようになったことにある。あまたの持病と戦いつつ執筆する横道さんの活動力の秘密はどこにあるのか? ノンフィクションとフィクションの垣根を越える、衝撃の当事者レポート。
第5回

赤い彗星のシャア・アズナブル

2025.09.22
40代持病まみれ
横道誠
  •  今日も横道さんの家に出かけて、インタビューする日だ。そんなことを考えながら眠たい目をこすっていると、玄関のチャイムが鳴って、配達業者がやってきた。受けとって、差しだし人を見てみると、横道さんだ。荷物は硬く白い封筒なので、ふつうに郵便で送ってくば良いのに、と一瞬思ったのだが、日時の指定が今朝になっていたので、このタイミングで私に見せたいものがあるということかもしれない。 

     封筒をあけてみると、何枚かのA4用紙が入っていて、クリップで止められている。そして1枚目には「赤い彗星のシャア・アズナブル」というタイトルが書かれている。「赤い彗星のシャア・アズナブル」とは、日本アニメ史上でも屈指の人気を誇る番組『機動戦士ガンダム』に登場する主人公、アムロ・レイのライバル・キャラクターだ。私にはこれがなんの書類なのか、まったく予想がつかず、混乱したままに読みすすめることにした。その書類には、つぎのように書かれてあった。

     日々SNSをいじっていて、たくさんの煩わしい広告にイライラされていませんか。私もそな現代人のひとりです。

     とくにイライラするのは、美容系です。こちらが中年男性のユーザーだということは登録した生年月日や性別の情報から把握されてしまうので、私のSNSのTL(タイムライン)には、薄毛治療、シワ取り、永久脱毛、シミ対策、脂肪吸引、口臭ケア、包茎手術などの広告が頻繁にあがってきます。

     もっとも虚しく感じるのは、包茎治療の広告かもしれない。なぜなら私は二十歳のときに真性包茎の外科手術をして、この問題とは未来永劫、縁を切ったからです。

     しかし広告って、いろんなものがあるようで、案外と偏ってますよね。出てこないタイプの広告は、まったく出てこないようになっています。美容整形でも同様です。だから私は長年、とある美容整形に関して、まったく知識を持たずに生きてきたんです。その美容整形とは、「ワキガ治療です」。

     何を隠そう、私はワキガの当事者です。そしてこれまでに何十冊もの当事者本を出しながら、じぶんがまさにワキガの当事者だということに関しては、いっさい書いたことがなかったんです。なぜなら、そのくらいひそかに苦悩してきたからですね。十代の頃は、真性包茎のことで非常に苦悩していましたが、青年マンガの雑誌に包茎手術の広告が載っていたので、近い将来それを受けることになるだろうことは予想がつきました。しかし私は四十五年以上も生きてきて、ワキガ手術の宣伝は、ただの一度も観たことがなかったのです。

     きっかけは今年の五月くらいに、数百万人のフォロワーを誇る原宿系動画クリエイターのしなこに関する記事をたまたま読んだことでした。原宿系にも動画クリエイターにもあんまり興味がないので、ほんとうにたまたまのことです。記事によると、彼女は元旦にインスタグラムのストーリーズを更新し、大晦日にワキガ手術を受けたと報告したのでした。そんなに痛くもなく、費用は五万円くらいだったとも書かれていました。

     筆者はすぐにインターネットを検索して、情報収集を始めました。ワキガ手術にはいくつかの種類類があるけれども、確実で再発しないのは「剪除法」(「皮弁法」、「直視下摘除法」とも)と呼ばれる手法だと知りました。メスで腋に一本または2本の薄い切れこみを入れ、皮膚を肉から剥離させ、その皮膚をなかば裏返しながら、ハサミを使ってワキガの原因になるアポクリン腺を目視で毛根から文字どおり根こそぎに刈りとっていき、皮をもとに戻して縫合するというものです。保険適用で、事実として五万円くらいだとわかりました。変態の私は一時期、動画配信サイトで包茎手術の映像を眺めて楽しむのにもハマっていたので、同様にしてワキガ手術の映像を見ながら、「ああ、こんなに根こそぎにしてくれるんだなあ」とうっとりしました。

     六月下旬、狙いをつけていた京都市内の美容外科専門クリニックに出かけました。朝一番で訪れると、先客はいず、すぐに診察が始まりました。長袖のTシャツを抜いで、七十才前後に見える主治医が脱脂綿を私の腋に当て、それを嗅いで「ふつうの人の3倍くらいやね」と言ったのです。私は「こんな程度じゃ保険は使えない」と冷淡にされるのを恐れて、寝起きで匂いがきつい状態を維持するべく、ふだんの日課にしている朝のシャワーを省略して来院していたのです。それが功を奏しました。

    「ふつうの人の3倍くらいやね」──主治医のこの言葉を聞いて、私の脳裏に咄嗟に『機動戦士ガンダム』でシャア・アズナブルの突出した能力を形容するために語られた有名なセリフが閃いたのです。「で、でもブライトさん、このスピードで迫れるザクなんてありはしません」「一機のザクは通常の三倍のスピードで接近します」。このセリフから、「シャアと言えば通常の三倍のスピード」というイメージが形成されました。私の場合は「通常の三倍の匂い」なわけですが。

     主治医が「手術をすることで、匂いはだいたい十分の一になります」と言いながら、剪除法を説明するイラストを紙に書いてくれたので、「YouTubeで観ました! じぶんでもやってみたくなりました」と答えた。主治医は笑いながら、「一週間の休みを取れる? とくに最初の三日間はほとんど動けなくなります」と言うので、私は「取れます」と答えた。「お仕事、何してはるん?」と訊かれたので、「大学でドイツ語を教えてます」と答えると、「僕も習たなあ。もうだいぶ忘れたけど」との返事だった。

     初診の際に看護師から、術後の3日はあまり動かないで済むように、食料を事前に買いこんでおくこと、腕をあげなくて済むように前開きの服を何着か用意すること、術後一週間は入浴できないことなどの説明を受けた。

     七月中旬の某日、クリニックを訪れた。前日にさらに手術について調べて、静脈注射によって鎮痛剤を入れ、意識が混濁した状態で手術を受けると、痛みがまったくないとの情報を得ていた。そこで主治医に「静脈注射をするんですよね?」と尋ねると「ううん、局所麻酔です。値段が跳ねあがるからね」との返答。「跳ねあがっても良いです!」と言いたい気もしたが、どの程度の痛みなのか知りたい気もした。腋に注射器をざくざく刺すので、ごくふつうに痛かった。私と医者は時間を置きながら、以下のように会話した。

    「歯医者以外で手術をして体にメスを入れたことはありますか?

    「小学生のときに、鼠蹊ヘルニアで手術しました。あと二〇歳のときに包茎手術です」

    「そのふたつの手術よりはマシだと思いますよ」

    「痛みがですか?」

    「うん」

    「そうなんですね。包茎手術のときは麻酔が効かなくて生き地獄でした」

    「麻酔が足らなかったんやろね」

    「何度も追加してもらったんですけど」

    「そうなん⁉︎」

    「「酒飲みちゃう?」って訊かれて、「そうです」って言ったら、「たまにそういう人おるわ」って言われました」

    「うーん、うちに来てくれたら良かったのにね(笑)」

    「じつは私、糖尿病なんです」

    「じゃあ感染症によけい気をつけんとね。合併症になったら、たいへんやから。HbA1cはいくら?」

    「いまは7.5です」

    「じゃあ大丈夫や」

    「いちばんひどいときは13を超えていました」

    「それはそのうち死んでしまう数値やね」

    「毎日、針を指に刺して血糖値を測ったり、インスリン注射を腹に打ったりしているので、針で体を刺すことにだいぶ慣れました」

    「インスリンはいま一日何回?」

    「いまは一回です。いちばんひどいときは四回やってました。血糖値を測るのに朝と夜の二回刺して、ほかに注射を一日四回。一日に計六回、じぶんに針を刺す毎日でした」

    「それはたいへんやったろなあ」

    「指や腹に針を刺すとき、いつも思うんですけど、刺しても痛くも痒くもないときと、ブスッとはっきり痛いときがあって。痛点って分散してるんやなあ、不思議やなあって思います」

    「うん。外からは区別つかんからね」

    「この手術は先生が学生の頃からありましたか」

    「一部ではやられてたのかも知らんけど、広まったのはもっとあとやなあ。ぼく医者になってから四〇年目やねんけどね。これはいつくらいからやってるやろう?」

    「じゃあ、働きだしたあと、どこかの段階で技術を習得されたんですね?」

    「うん、そう。東京に学びに行ってね。やっぱり「新しい技術を獲得しよ」思たら東京やなあ」

    「はい、片方がようやく終わり。少し休憩する? それとも一気に行く?」

    「いま始まってから何時間くらいですか?」

    「一時間半」

    「こんな大手術と思いませんでした」

    「そら、ふつうの人の三倍やからね。三倍や、ゆうこと考えたら、手術すんのは正解やろね」

    「じゃあ左、行くね。麻酔して三分くらい待ってと。よし」

    「うっ、痛いです」

    「うーん。一部効いてないところがある感じやね。麻酔追加しとこ」

    「そこも痛いです」

    「うん? いまは切ってないよ、引っぱって皮膚をひっくり返してるだけ。ああそうか、過敏なんか」

    「はい。自閉症と診断されていて、いろんな感覚が人より過敏です」

    「……」

    「このビーッ、ビーッていう音はなんですか?」

    「止血すると鳴るんやね」

    「止血って、焼いてるんですか? そんな感じの音がかすかにします」

    「そう。蛋白凝固。出血すると止めたくなる。これは外科医の性(さが)です」

    「さあ、終わり」

    「ありがとうございます。お疲れ様でした!」

    「いやあ、腰が。いたた。若い頃の記憶力って、すごかったんやけどね。いまはもうさっぱり。じゃあ、「アウフ・ヴァーダーゼーエン!」(ドイツ語で「さようなら、また会いましょう」の意味)やったっけ?」

     私は三時間の手術中、主治医をサポートしつづけた看護師に「ここでは何年くらいお勤めですか?」と尋ねると、「十八年になります」との返答だった。「大手術なんですね。驚きました」と言うと、「女性のかただと片方一時間、合計二時間。男性のかただと一時間半ずつで、三時間となりますね」との返答だった。料金五一七六〇円だった。

     看護師から、「三日間は絶対安静。シャワー不可。お酒は術後二〜三日目やめときましょう。体が温まると出血しやすくなりますから」と言われて、クリニックを出た。酒は控えめにしておけば問題ないと自己判断した。そして、アル中を診断される前に比べれば、診断されたあとの私はいつも控えめにしか酒を飲まなくなっていたので、結局はふだんと同じくらい飲むのは良いと自己判断した。吉野家に行って肉だく牛丼を食べ、ビールを飲んだ。

     それからの三日間は、毎晩五時間前後しか眠れなかった。包帯によって脇を圧迫固定されていて、ギプスをつけたのに近い状況になっていて、肩まわりがろくに動かせないため、寝苦しい。何度も中途覚醒する。天井を真正面にして横たわると問題ないが、体をひねると肩や腋や上腕が痛い。どこまでが手術の傷口の痛みなのか、どこからが圧迫固定の痛みなのか、よくわからない。

     一日三回、抗生物質を飲む。酒は控えめにしよう思いつつ、いつもと同じくらい飲んだ。手術のつぎの二日はまったく外出しなかった。こんなことは何年ぶりかわからない。腋が痛むたびに、出血の不安が頭をよぎる。皮膚の下に血が溜まったら、回復まで一ヶ月で済むはずが、半年や一年を要することにもなりかねないそうだ。

     手術から三日後の朝、クリニックを訪れて、圧迫固定を外した。座ったまま看護師にテープや包帯を外してもらい、ついで横たわって主治医が脇のあたりを消毒し、ピンセットで何かしているのを感じる。染みるような痛みがきつい。耐えられないほどではないが、脇で虫歯治療をしているような感覚。

     私が呻くように「ちなみにいま何をなさってるんですか?」と尋ねると「固定を外してるの。ガーゼをべたっと貼ってるからね。抜糸のときには、こんなに痛くないですよ」との答えだった。十五分ほどで処置が終わり、この日の料金は四九〇円。

     しかし圧迫固定が外れたとき……むなしくなりました。窮屈に感じていたのに、解放されたあとになんの昂揚感もなく、ただむなしい自分を見つけたとき、おかしくなったのです。自分に笑ったのです。さきほどの処置で脇はジンジン痛いし、圧迫固定で締めつけられていた腕にも痛みが残っている。それでも帰宅して布団に寝転がったとき、その喜びはとても大きいものだった。自由に動けることの価値を噛みしめられたのだ。

     主治医は処置室で「座って腰に手を当てて」と言ったので、そのようにしてみると、「それがだいたい四十五度ね。それよりは腕を開かないようにしてください」と言った。主治医が診察室に戻ると、看護師が「四十五度と言ってもわからないでしょうから、固定をつけていたときと同じく、抜糸までは基本的に手を上にあげないでね」と補足した。私が「基本的に問題なく回復してるんですよね?」と問うと、「はい。良好です。でも抜糸まではなるべく動かさないで、たまに出血する人もいますから」とのことだった。

     それから数日もなるべく自宅に引きこもり、手術から一週間目の日にクリニックを訪れて抜糸してもらった。手術中も術後の日々も生き地獄のようだった包茎手術ですら、抜糸は苦痛を感じなかった。あのときは溶ける糸を使ってくれていて、抜糸の負担はもともと小さかったのだとは思うのだが。子どもの頃の鼠蹊ヘルニアや数年前の脳動脈瘤の手術──あのときは全身麻酔だったので、今回の手術の際に主治医に伝えなかったのだが──でもそうだった。歯医者で抜歯するときでも、抜糸が痛いと感じたことはない。

     実際、今回も抜糸はするするとなんの痛みもなく終わった。しかし主治医は「右がちょっと腫れてるな」と呟き、指で右の脇を押しはじめた。わたしが痛みに喘ぎながら「いまは何をしているのでしょう?」と尋ねると、「血が溜まってるから押しだしてんのやね」と答えてくれた。

    「利き手は右?」

    「はい、そうです」

    「やっぱり右のほうをよう使うから、出血しやすいんやろな」

    「ふだんどのくらい重いもの持つ?」

    「言うほど、そんなに持ちません」

    「ノートパソコンくらい?」

    「はい」

    「そのくらいまでにしといてもらおうか。腕は真横にまであげて良いです。だから被る服は着れるようになります。シャワーはまだ脇に当てないように」

     残念、大惨事になったわけではなくても、やはりいくらか出血してしまっていた。じつは二日前の夜、右腕の側に体重を乗せながら眠ってしまって、夜中に目が覚めて「しまった」と反省した瞬間があった。

     その出血がなかったら、つぎの通院は三週間後(=手術から四週間後)のはずだったものの、しばらく様子を見せに毎週一度、通院することになってしまった。その日は久しぶりのサウナと冷水浴を楽しみたかったのだが、当分お預けのままになった。また私は実際にはふだんから荷物が重い。大量の本をショルダーバッグやトートバッグに詰めて、自宅と研究室または図書館のあいだを頻繁に往復しているのだ。しかし、それもしばらくは諦めなければならない。

     記述は途中で中途半端に終わっているように見えたため、私はSMSで横道さんに「おもしろい報告書をありがとうございます」と入力して送信すると、すぐに「今回のインタビューはその報告書を掲載するということでお願いします」との返信が戻ってきた。

     私が「でも少し宙ぶらりんで終わってませんか?」と尋ねると、横道さんは「まだ完治していないんです。通院中です」と返答してきた。「でもいまでは、長年の苦悩だったワキガから解放されたばかりか、、ふつうの人よりも匂わないのだから感激しています。「その感激の声を補足して、適当に記事を締めくくっておいてください」との返事だった。「感激してるんですね。良かったです!」と応答すると、「圧迫固定を外したときや抜糸の際、脇からガーゼを外したときに、感動したんです。三日、七日とシャワーを浴びていないのに悪臭がほとんどしない。思春期以降、体験できなかったことです。手術を受けて、ほんとうに良かったです」と返事が返ってきた。

     私は一応「タイトルが挑発的だと受けとる人が、いそうですね」とカマをかけてみると、横道さんはこう書いてきた。「自閉スペクトラム症の人は百人にひとりくらいです。真性包茎で生まれてくる人も百人にひとりくらいです。ワキガの人は十人にひとりくらいです。ですから私は十万人にひとりの男です。少しくらい見栄を張っても良いと思うのです」。

     私は、商業出版を希望して実現できる人は一〇〇〇人に三人くらい、「センミツ」と言われているのだから、横道さんのように四年で三十冊の商業出版を達成できる人は「一〇〇万人にひとり」でも足りないくらいだと思いますけどね、と声をかけようとかと思った。しかし、阿諛追従と思われても困るし、へたに調子に乗られても鬱陶しいと懸念して、それ以上は返信せず、「いいね」の絵文字(サムアップ)を送信するだけに留めた。

     

42歳で最初の単著単行本を出してから、4年のうちに30冊の単行本を出してきた横道誠さん。文学研究を専門とする大学教員で、自閉スペクトラム症(ASD)、ADHD(注意欠如多動症)、アルコール依存症の当事者として10種類の自助グループを主宰するその旺盛な活動力の秘密は、「いつ死んでも良いように」と40歳の時から「終活」を始めるようになったことにある。あまたの持病と戦いつつ執筆する横道さんの活動力の秘密はどこにあるのか? ノンフィクションとフィクションの垣根を越える、衝撃の当事者レポート。
40代持病まみれ
横道誠
横道誠(よこみち・まこと)

京都府立大学准教授。専門は文学・当事者研究。さまざまな自助グループを主催し、「当事者仲間」との交流をおこなっている。著書は、最初の単著の単行本『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院、2021年5月)を出してから、現在(2025年5月)までの4年間で、単著と(自身が中心になって作った)編著・共著を合わせて30冊に達している。