40代持病まみれ
42歳で最初の単著単行本を出してから、4年のうちに30冊の単行本を出してきた横道誠さん。文学研究を専門とする大学教員で、自閉スペクトラム症(ASD)、ADHD(注意欠如多動症)、アルコール依存症の当事者として10種類の自助グループを主宰するその旺盛な活動力の秘密は、「いつ死んでも良いように」と40歳の時から「終活」を始めるようになったことにある。あまたの持病と戦いつつ執筆する横道さんの活動力の秘密はどこにあるのか? ノンフィクションとフィクションの垣根を越える、衝撃の当事者レポート。
第7回

パレードの夕刻

2025.11.21
40代持病まみれ
横道誠
  •  台所でうどんをゆでているとき、スマートフォンにSMSが着信した。私はデジタル音楽配信サービスにあわせて、ジュゼッペ・ヴェルディの『レクイエム』の「怒りの日」を口笛で吹いていた。うどんをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。

     SMSの着信音が聞こえたとき、私はひとまず聞き流すことにした。私はシンクの前に立ち、ゆであがったうどんを丼にあけて、湯気を立てるのを好ましく見つめた。うどん県流に仕上げるには、この数秒が肝心だ。

     うどんの上に天かすをたっぷり振りかけ、輪切りにした青ネギを散らして、スライスしたかまぼこを乗せて完成。家族がいない秋の午後のひととき、おやつ代わりにひとりで熱々のうどんを頬張るのは至福の瞬間だ。うどんを箸ですくいあげ、少しずつ口に運ぶ。

     私はおなかが減っていた。だから食べおえて一息ついてから、私はようやくスマートフォンを触って、SMSが横道さんからのものだと気づいた。急用ができたので、今日の夕方五時からのインタビューを六時からに遅らせてほしいという依頼だった。

     私は「承知しました」と返信を打って、いまの時間が三時過ぎだということを確認する。四時五十分に家を出れば、ちょうど六時に横道さんの家に到着する見通しだ。それまでコーヒーを淹れて、しばらく本でも読むことにしよう。

     最近、私は横道さんの取材を続けている。彼は文学研究を専門とする大学教員でありつつ、自助グループを多数主宰する当事者活動の人でもある。本人は「自閉スペクトラム症なので関心の範囲が限定されている」なんて言ってるけど、話を聞いているとさまざまなことに話題が及び、インタビューを終えたあと、聞かせてもらった話を深く理解しよとインターネットを検索しているだけでも、なかなかたいへんだ。

     時間になったので家を出て、電車とバスを乗りついで到着。移動中はスマートフォンでSNSをいじっている。これも取材の種になることが多いから、立派な仕事の一貫だ。台風が来そうかなと不安だったけれども、その心配は杞憂に終わった。

     約束の時間より少し早く横道さんの家に着くと、チャイムを鳴らすまでもなく、玄関のドアが半開きになっていた。なかから漂ってくるのは、わずかに香る伽羅の匂いと、かすかに聞こえる琴の音色。なんだなんだ? 今日はどうしてこんなに凝ってるんだ?

     「すみません。お邪魔しますよ」

     私が半開きのドアから声をかけると、奥からドスドスと足音を鳴らしながら横道さんがやってきた。

     「いらっしゃい、今日もお疲れ様」

     横道さんは白磁の湯呑みを手にして、黒いシンプルな着物姿をしている。こんな凝った装いをする人だっただろうか?

     「こんにちは、横道さん。今日もありがとうございます」

     私は横道さんについて奥の部屋に行き、床に腰をおろして、持参したノートとペンを膝に置いた。

     「どういたしまして。何か飲まれますか? 煎茶でよければお出ししますが」

     「では、お言葉に甘えていただきます」

     横道さんは立ちあがり、台所に消えていった。数分後、再び姿を現した彼の手には、二人分の湯呑みがあった。どちらも白磁だ。薄い緑色の煎茶からは、さわやかな香りが立ちこめてくる。

     「さて、今日はどのようなお話から始めましょうか?」

     横道さんは穏やかな声で言った。私はノートに目を落とし、今日の質問事項を確認する。

     「最初にインタビューしたとき、横道さんは「終活は早めからに限る」「毎日、今日がもう最期の一日、今日がもう最期の一日」というような気分で生きる」「すると人生を長く感じて、得したような気分になる」っておっしゃっていましたよね」

     横道さんは「そうですね」と相槌を打って、いつもどおり早口で解説を始める。「スティーヴ・ジョブズが、スタンフォード講演で似たような名言を残してますね。まったく同じ表現ではないですけれどもね。じつは、もともとは古代ローマ帝国の哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』に書かれている考え方です。「あたかも一万年も生きるかのように振るまうな」とも言っています」

     私は尋ねた。「横道さんはたくさんの本を書いていますが、それもこの考え方に基盤を持っていると思いますか?」

     横道さんはニヤリと笑う。「そう思います。「あたかも人生最後の日であるかのように生きる」ことで、爆発的な生産性を維持しています。古代ローマの詩人ホラティウスの歌にも〈Carpe Diem.〉(その日を摘みとれ)という一節がありますね。これを仕事術に転用するなら、ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの名言になるのかな。つまり「今日できることを明日に延ばすな」です」

     私は控えめな印象を与えるように努めながら言った。「私はじつは、その反対の価値観に近いんですよ。逆の名言がありますよね。「明日に延ばせることを今日やるな」。トルコのことわざが出典だと聞いたことがあります。最近ではマーク・フォースターの自己啓発書でメイン・メッセージになっていたり、ひろゆきが好んで言ったりしてるみたいです。私の場合、初めに知ったのは藤子不二雄Ⓐが愛用しているっていうニュース記事なんですけど」

     横道さんは黙って煎茶を飲みほし、二杯目を注いでいる。私は、頭木弘樹のエッセイ集『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)に載っていた「永遠に生きられるつもりで生きる」というエッセイの内容を念頭に置きながら、言葉を選んだ。

     「横道さんとも交流のある頭木弘樹さんがエッセイで書いてましたよね。私たちの考え方は、命が有限だという事実を前提として決まってくることが多く、その枷を外したら解決できる問題が増えるのではないか、って。

     私は「横道さんはどう思いますか」と問おうとしたが、横道さんが三杯目を注いでいるのを見て、もう少し話をつづけることにした。

     「私の場合、今日が最後だと思って生きると、どうしても焦りや強迫観念に囚われてしまうのではないか、と不安なんです。長期的な計画や、今日すぐには結果が出ないことへの取りくみがおろそかになったり、人間関係においても、刹那的なものに目を向けがちになったりするのではないか、と思うんですね」

     横道さんは私の言葉を遮らず、静かに耳を傾けていた。横道さんはまた煎茶を飲みほし、四杯目を注ぐかと思われたが、テーブルの上にあった蜜柑を怒濤の勢いで剥きはじめ、一気にムシャムシャと食べて、ほっと息を吐き、静かに口を開いた。

     「頭木さんのご意見、よく理解できますです。たしかに、極端に「今日が最後」と思いこむことは、おっしゃるような弊害を生む可能性もあるでしょう。「この日を摘め」の格言は、実際に刹那的な快楽追求の方便として機能した面もあるようです。しかし私の言う「あたかも人生最後の日であるかのように生きる」という方針は、少し意味あいが異なるのです」

     横道さんはそう前置きし、続けた。

     「私の場合は、右脳では今日が最後だと思い、左脳では明日以降も続くと思うダブルスタンダードを採用しているのですよ。右脳は直感的で、感情や創造性を司る部分です。そこでは、いまこの瞬間に全力を尽くし、後悔のないように生きるという感覚を持つ。まるで明日がないかのように、生命の焔を焼尽させるのです。しかし同時に左脳では、論理的思考にもとづき、明日以降も99%以上の確率で人生が続くはずだ、という冷静な認識を持つ。長期的な視点に立ち、計画を立て、未来への投資も怠らない。このふたつの思考を同時に、矛盾なくおこなうことが、私の言う「生産性」の源泉なのです」

     横道さんの言葉に、私は「それは少しズルくないでしょうか」と言おうかと一瞬悩んだ。ダブルスタンダート(二重基準)だと聞いたら、やはり詐欺的な印象が生まれる。しかし、私は人生哲学を議論しに来たのではなく、インタビューのために来ているのだ。そこで私は自制しながら言葉を紡いだ。

     「そういうことなんですね。目から鱗が落ちる思いでした。さすがは横道さんです! 右脳と左脳、感情と理性、刹那と永遠。相反するものが、横道さんのなかでは見事に調和しているんですね」

     私はなおもおべんちゃらを言いはなった。「まるで車の両輪のようですね。片方だけではうまく進めないけれど、両方がバランスよく機能することで、目的地に辿りつける、と。なるほどなあ、すごいなあ」

     私がそう言うと、横道さんはにこやかに頷いた。

     「まさにその通りです。そして、このダブルスタンダードを実践することで、目の前のタスクに集中しつつも、未来への不安に囚われず、つねに穏やかな心持ちでいられるのです」

     私がさらにインタビューを続けようとしたとき、突然、窓の外から轟音が響いてきた。それはまるで、遠くから近づいてくる雷鳴のようでもあり、地響きのようでもあった。横道さんも私も、思わず顔を見合わせる。

     「何の音でしょう?」

     私が尋ねると、横道さんは静かに首を傾げた。このマンションは大通りに面しているとはいえ、それほど騒がしくもない場所だ。これほどの騒音は、前回までのインタビューでも聞いたことがない。轟音は徐々に大きくなり、やがて窓ガラスがかすかに震え始めた。

     「ああ、これは……

     横道さんはそう呟いて、ゆっくりと立ちあがってベランダに続くガラス戸を開いた。私もあとに続く。ベランダから下を見下ろすと、夕暮れどきの北大路通を巨大な戦車の列がゆっくりと行進していた。何十台あるのかわからない戦車は、空中を滑空する無数のドローンが放つサーチライトに照らされて、怪しく光り輝いている。戦車の背後には、迷彩服を着た兵士たちが隊列を組んで続き、彼らの手には最新型の自動小銃が握られている。頭上には、漆黒の戦闘機が轟音を立てて低空飛行している。

     「そうか。今日は昼から夜まで京都で長時間の軍事パレードがあるんでしたね」

     横道さんが的確に指摘した。そういうことなのか。軍事パレード自体は珍しくもなんともないが、とにかく尋常ではない規模だ。横道さんは何も言わず、ただその光景をじっと見つめていた。どことなく、その表情に諦念のようなものが浮かんでいるような気がする。

     戦車と兵士の隊列は延々と通りすぎていき、いつ果てるともしれない。私たちは屋内に戻り、横道さんはガラス戸を閉めた。轟音がすごいが、ガラス戸を閉めていれば、会話できないほどではない。

     横道さんは言った。「以前は一年に一回程度でしたが、最近は頻繁にありますよね。とくに一昨年の「新大東亜共栄圏宣言」以降そうなった、という気がします」

     言われてみればそうだ。国営放送などでもはっきりそうと説明していない気がするけれども、おそらくここには政府の意向が介在しているのだろう。

     横道さんはテレビを観ない。それでいまはノートパソコンを操作して、配信されているニュース記事の動画などを確認しはじめた。私もその画面を覗きこむ。

     画面には、東南アジアの小国で行われた日本の軍事演習の様子が映し出されている。現地の住民が不安げな表情で日本の兵士たちを見つめる姿、そして、国際連合──周知のとおり、国連とは名ばかりの枢軸国の傀儡組織だが──の定例会見で、日本の軍事行動に「懸念を表明する」という声明が出されている様子が報じられている。

     横道さんは言った。「いつまで帝政が続くのか、とうんざりするような思いもありますけれども、マスメディアが完全に海外からの批判的な声を遮断していないのは、肯定的に評価しても良いですよね。もっとも、海外からの敵対的な声を届けることによって排外感情を掻きたて、とくに若い世代で衰えつつつある愛国心を醸成するという目的もあるのでしょうけれど」

     私は「そうですね」と相槌を打った。「私、アメリカ衛星諸国連邦で特派員として働いたことがあるんですけど、現地の新聞を読むと、やっぱり反日感情は強烈ですね。「彼らは自国の正義を振りかざし、他国の主権を侵害している。だがそれを国際社会は止められない。日本を刺激すれば核戦争のリスクがある。それは人類滅亡のリスクそのものだからだ」というのが基本的な論調でした」

     横道さんは聞いているのかいないのか、無言でドイツ語のウェブサイトを観ている。画面を眺めたまま、横道さんは言った。

     「聞こえますか。これが「本日の総統閣下の声」ですよ。ドイツ文学者として働いている都合上、授業で話の種にするためにも、ナチス・ドイツの動向は毎日チェックしてるんです。ヒトラーが科学技術の粋を集めてサイボーグ化し、永遠の命を得てからもう半世紀ほど経っていますが、どうも最近は様子がおかしいことが多い。脳も機械化されているわけですが、老化というか劣化を食いとめるには限度があるのかもしれませんね」

     私は「例のヒトラー関税の件でしょうか?」と尋ねると、横道さんは大きく頷いた。

     「まさにそうです。いまのドイツ語での演説は他国に対して最大五〇〇%の関税を課するという恫喝のような内容でした。最近、ヒトラーはますます現実から遊離して、暴政を極めていて、ナチス・ドイツの国力は衰退の一途を辿っていると囁かれています。なにせ三〇〇%とか五〇〇%とかのむちゃくちゃな関税ですから。ナチス・ドイツに逆らえる国はほとんど存在しないから、たいていの国は表立って批判していませんが、国際社会はざわざわしてますよね」

     私は「インドの動向が気になりますね」と言ってみた。私たちの大日本帝国、ナチス・ドイツという二つの超大国に対して、インドは新しい超大国と噂になる機会が増えつつある。多様な文化と大日本帝国をも凌ぐ膨大な人口を背景に、独自の発展を遂げているインド。彼らは、ナチス・ドイツや大日本帝国とは異なる、新たな国際秩序を構築しようとしていると野心をはぐくんでいると推測されている。

     「そうですよね」

     横道さんはボソリと言って、ノートパソコンの画面を閉じた。軍事パレードの一団はまだ騒音でやかましい。窓の外からは、遠く、かすかに空軍のブルーインパルスがエンジン音を轟かせながら編隊飛行をしている音が聞こえてくる。私は夕暮れ時の空にスモークがたなびいていく様子を想像した。

     「今後どうなっていくんでしょうね」と私は答えようもない質問を口にしてしまった。

     「まあ、毎日やれることをやっていくしかないですね。「その日を摘め」の心構えで」

     横道さんはゆっくりと私のほうに視線を投げかけながら言った。その瞳にはかすかな悲しみが宿っていることが感じとれた。

     私はスマートフォンの画面を見て、インタビューの時間がまだ残されていることを確認した。私は横道さんの言葉の奥に隠された独特な考え方を、もっと深く探求したいと思った。この息苦しい世界で、私たちが人間として生きる意味を。そして、希望を見出す方法を失ってはいけない。

     「横道さん、もう少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

     私はそう言って、ノートとペンを握りなおした。外では戦車の行進がいつまでも続き、遠くではブルーインパルスの轟音がかぼそい絶叫をあげていた。

     

42歳で最初の単著単行本を出してから、4年のうちに30冊の単行本を出してきた横道誠さん。文学研究を専門とする大学教員で、自閉スペクトラム症(ASD)、ADHD(注意欠如多動症)、アルコール依存症の当事者として10種類の自助グループを主宰するその旺盛な活動力の秘密は、「いつ死んでも良いように」と40歳の時から「終活」を始めるようになったことにある。あまたの持病と戦いつつ執筆する横道さんの活動力の秘密はどこにあるのか? ノンフィクションとフィクションの垣根を越える、衝撃の当事者レポート。
40代持病まみれ
横道誠
横道誠(よこみち・まこと)

京都府立大学准教授。専門は文学・当事者研究。さまざまな自助グループを主催し、「当事者仲間」との交流をおこなっている。著書は、最初の単著の単行本『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院、2021年5月)を出してから、現在(2025年5月)までの4年間で、単著と(自身が中心になって作った)編著・共著を合わせて30冊に達している。