水虫と歯肉炎
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ここはアルゼンチン。首都ブエノスアイレスから遠く離れた平原(パンパ)の端にある小さな町で、私は「横道さんの頭蓋骨」と暮らしていた。ハノイの路上で大日本帝国兵の銃弾に倒れ、首と胴体が泣き別れになったあの日から、すでに四年が過ぎている。今年は二〇三〇年。かつて大学の准教授として、病気を抱えながらも活躍していた横道さんは、いまや私の仕事机に置かれ、口をかちかちと開閉しつづける謎めいた物体だ。
この頭蓋骨は、いまいったい何を語っているのだろうか。私は想像をめぐらせる。おそらくきっと「アルゼンチンの風は、乾燥しているので困ります。日本の梅雨時や台風時のような、あの湿ったカビのような匂いが懐かしいです」くらいだろうか。卓上の頭蓋骨は、まだ生きている。横道さんたちの極秘プロジェクトは英語の本としてアメリカとインドで出版された。大日本帝国やナチス・ドイツでは禁書になっているが、すでにいくつかのほかの言語にも翻訳されている。やはり脳波を発信することで、仲間たちと協力を続けているようだ。
私は、地元のパン屋で買ってきた硬いバサバサしたパンを齧りながら、届いたばかりの国際ニュースをタブレットで眺めていた。画面には、巨大な見出しが踊っている。「大日本帝国、聖上崩御」。私は驚気、いくつかの関連記事を順にタップする。「大帝の崩御に臣民涙する」「新元号は来週にも発表」などと題された記事に混じって「大規模な恩赦の予定」という記事を発見した。
心臓が、早鐘を打つ。記事を読みすすめると、新体制への移行に伴い、過去の政治犯や不敬罪に問われた者たちへの特赦が実施される見通しだという。驚くべきことに、私のような「国家反逆罪」の容疑で国際指名手配されていた者であっても、一定の罰金額を納付すれば、すべての訴追が免除されるというのだ。生成AIなどに調べてもらうと、私の場合は四〇〇〜七〇〇万円の罰金刑になる見通しだった。それはけっして安い金額とは言えないけれども、この逃亡という名の牢獄から抜けだし、日本に残してきた家族との生活を取りもどすための代償としては、いさぎよく罰金を支払うのが最善の選択だと思われた。
「横道さん、私たち帰れるかもしれません。日本へ」。私の声は震えていた。横道さんがかちかち歯を鳴らして答えてくれる。「……ほほう。帝国も形骸化した正義を維持するのに疲れましたか」といったあたりのセリフを口にしているのではないだろうか。その眼窩に宿る光が一瞬、ぼんやりと明滅した。おそらく横道さんは「いいでしょう。私たちの『語り』が、いまの日本でどう響くのか。それを確かめるのも悪くありません」といったことを言いたいのではないか。
成田空港のゲートを潜ったとき、私は肺のなかにもうもうと立ちこめてくるかのような湿気を感じた。ただし、それは不快ではなかった。それは日本の、あの重苦しくも懐かしい空気そのものなのだから、私としてはやはり愛着を覚えざるを得ない。すでに警察が待ちかまえていて、私を取りかこみ、私をすみやかに警察署に連行した。恩赦に伴う免罪措置の一環としてマスコミ取材などは排除されていたため、全国のテレビに私の姿が映ることはなかった。事情聴取を終え、罰金五〇〇万円の一括納付を終えた。横道さんの頭蓋骨も調査されたが、とくに変わった様子はないという扱いで、返還してもらえた。
三日後、五年ぶりに足を踏みいれた自宅の玄関先で、私は泣きくずれた。「……おかえり」。夫は、白髪の増えた頭をさげ、震える手で私を抱きしめた。背後から、見違えるほど大きくなった子どもが、戸惑いながらも私の服の裾を強く握りしめる。「急な仕事って……五年もかかる仕事なんてあるかよ」。夫の言葉は表面的には責めているようでも、その声の調子は大きな安堵を伝えていた。私は何も言いかえせず、ただ彼らの体温を確かめるように抱きあい、何度も頷いた。
その夜、夫が居間のテーブルに、私宛てに届いていた五年間分の郵便物を山積みにした。「七割は仕事関係のもの。二割は役所関係のもの。一割は私信といったところだ。どれも開封はしていない」と夫が言う。私は山積みの束を少しずつ開けて、中身を読む。その作業には一日近くを費やしてしまった。そして、開封と確認の作業がほとんど終わろうかという頃に、差出人に「横道誠」と書かれた封筒が見つかった。消印は、あの逃避行が始まるわずか二日前、京都から投函されたものだった。
私は、自室の棚に置いた横道さんの頭蓋骨のことを思いだしながら、慎重に封を切った。 なかには、パソコンで印字されたA4の紙が数枚入っていて、それが原稿だった。その一枚目には肉筆で短い添え書きが書きつけられていた。「もし私が突如として帝国に拉致、監禁、あるいは速やかに抹殺され、連載が途絶えるようなことがあれば、三鷹さん(私のこと)にも雑誌編集部のみなさんにも読者のみなさんに申し訳が立ちません。その場合は、この原稿を最終回として掲載してください。これは私の、身体という戦場で記録された最後の言葉です」。
私は、四年前の横道さんが遺した「遺言」とも言えるその原稿を、自室に戻って現在の彼が見守るなかで読みはじめた。原稿の内容は、あまりにも「横道さんらしい」内容だった。その原稿はこう始まっている。「二〇二五年の夏。ワキガ(腋臭症)の手術を終え、長年のコンプレックスから解放された私は、その高揚感のままに、もうひとつの「持病」と決別することを決意した。それは何を隠そう、水虫――医学的な正式名称は「白癬」だ」。
横道さんは語っていく。「二十代の頃に感染して以来、数年に一度の頻度で、とりわけ梅雨時や台風期に猛威を振るうこの菌類。私の心は梅雨時や台風時を偏愛しているのに、これらの時期の私の足の裏は不幸です。水虫との付きあいは、もはや腐れ縁と言って良いでしょう。足の裏の表皮が乾いてポロポロと剥がれおち、一部は皮膚が大きく割れて、組織液でじゅくじゅくとぬかるんでしまう。市販薬を塗れば、一時的に沈静化するものの、それはあくまで休戦であって勝利ではありません。湿度がさがる季節になれば潜伏し、湿度があがる季節になれば、ふたたび鎌首をもたげる。国家による管理体制すら連想させる水虫のしつこさに、私は終止符を打つことに決めました」。
横道さんは近所の皮膚科を訪れ、「ルリコナゾール」という小さなチューブに入った処方薬を手に入れたそうだ。毎日一回、風呂上がりに念入りに足の裏へ塗り込む日々に入った。一ヶ月もすれば、ほとんどの部位は正常な皮膚の輝きを取りもどし、横道さんは感激した。しかし左足の人差し指だけは、三ヶ月を過ぎても完治の兆しが見えない。治ったように見えても、しばらく経つとボロリと皮が剥けて、下の皮膚が顔を出す。水虫がまだ暗躍しているのだ。
横道さんは書いている。「もしかすると半年、あるいはそれ以上の歳月が必要なのかもしれない。真菌という名の潜伏者は、かくも深く私の肉体の深層に根を張っているのです」。その書きぶりには、逃亡直前の焦燥感とは裏腹な、奇妙に冷静な日常感覚が見てとれる。
さらに手紙は、水虫治療の途中で発生した、もうひとつの身体的トラブルについて記している。ある日、横道さんが右下の奥歯で食べ物を噛むと、「グリグリ」という不快な違和感を覚えるようになったという。噛みあわせが狂い、顎の奥に正体不明の何かが蠢いているような感覚。横道さんはまずは親知らずを疑った。そこで生成AIに症状を説明し、「四十代になって、親知らずが痛みだすなんてことあるの?」と問いかけたという。生成AIの回答はこうだった。 「むしろ大いにありえます。中年になり、加齢によって身体が細っていくのに合わせて、歯茎もまた痩せていきます。親知らずは、二十代を第一次のピークとするならば、歯茎の後退によって隠れていた親知らずに苦しみだす四十代は、第二のピークなのです」。
納得した横道さんは、SNSに「どうやら親知らずのようです」と書きこんだそうだ。すると自助グループの仲間から意外な指摘が投げかけられた。「最近マコトさんは鼻声でしたよ。私は風邪だと思います。風邪による副鼻腔炎(蓄膿症)で雑菌が繁殖し、鼻の奥と口の奥はつながっているので、歯が痛むことがあるようです」。驚いた横道さんは、生成AIに症状を説明し、「蓄膿症で歯が痛むことなんてありえるの?」と尋ねたという。生成AIの答えはこうだった。「むしろ大いにありえます。副鼻腔炎の膿に含まれる雑菌が鼻の奥から漏れだし、それが歯痛として知覚されるのは珍しくないことです」。
横道さんは幼少期から蓄膿気味だったので、「これは正しいかもしれない」と見解を改め、作戦を立てたそうです。まずは歯科へ行き、親知らずの状況を確認する。そこで解決しなければ耳鼻科を訪れ、副鼻腔炎の可能性を訴える。
訪れた歯科医の診察室で、横道さんはじぶんの記憶がいかに曖昧なのかという事実を突きつけられることになった。眼前のモニターに映しだされたレントゲン写真。そこには、問題の箇所に広がる「黒い空洞」が映っていた。歯科医が解説する。「横道さん。この親知らずは、三年四ヶ月前に、うちで抜歯済みですよ。虫歯が進行して、空洞になっていたから抜くしかなかったんです」。歯科医の淡々とした声に、横道さんは絶句した。抜歯が必要なほど虫歯が進行していた事実さえ、忘却の彼方に追いやってしまっていたのだ。
歯科医はさらにこう横道さんに言ったそうだ。「現状、虫歯は見当たりません。ですが歯石がかなり溜まっていて、歯石に含まれている雑菌によって歯茎がとても腫れていますから、それで噛みあわせに違和感が出ているんだと思います。ですから歯のお掃除をしましょう。そのあと一、二週間様子を見て、ダメだったらまたレントゲンを撮って調べましょう」。自閉スペクトラム症特有の感覚過敏を持つ横道さんにとって、歯科の超音波スケーラーは「生き地獄」そのものだという。あのキィィィィという高音と、脳を直接削られるような振動。
それでも、約三年半ぶりの歯科検診で「虫歯ゼロ」と告げられた喜びが、その恐怖を上回った。横道さんは歯科衛生士による一回目の歯石取りを耐えぬき、帰り道を歩きながら、またしても生成AIに症状を説明し、「歯石だけで、これほどの違和感が起こるなんて、ありえることなの?」と問いかけたそうだ。すると生成AIは答えた。「むしろ大いにありえます。歯石による歯肉の腫れが、噛みあわせに劇的な影響を及ぼすことは非常に一般的です」。その回答の見た横道さんは、手紙のなかでこう毒づいている。「生成AIというやつは、現状では質問者に媚びてばかりで、それらしいことを言うわりには、参考になりません。つねに私が期待する回答をそれらしく「ヨイショ」するだけで、診察室のレントゲン写真一枚にさえ及ばないものなのです」。
二回にわたる通院で上下の歯石をすべて除去した横道さんは、最初の通院から三週間後、あの忌々しい「グリグリ感」が完全に消滅したと書き、つぎのように手紙を結んでいた。「身体とはなんと精密なマシーンで、なんと滑稽な戦場なのでしょうか。国家がどれほど「健全なる精神は健全なる肉体に宿る!」と叫ぼうとも、私の足の裏には水虫が棲み、歯茎には石灰化した汚れが溜まるのです。これが人間の運命ということです。そのひとつひとつと向きあい、手入れをしていくことこそが、私たちにとって「生きる」ということそのものなのです」。
私は読みおえ、深い溜息をついた。 五年前、帝国に追われて命の瀬戸際にいたはずの横道さんが、遺言のように書きのこした文章とは、水虫と歯肉炎に関する話題だった。たいした「病気」とは言えなくても、いくつもの病気や障害を抱え、生活のディテールにこだわることこそが、横道さんなりの国家という抽象的な怪物に対する最大の抵抗だったのかもしれない。棚の上で、横道さんの頭蓋骨がかすかに動いたような気がした。「……読みましたか?」と尋ねられている気がしたので、私は 「ええ、読みましたよ。水虫と歯石の壮大な叙事詩を」と私は答えた。すると頭蓋骨は満足げに左右へとグラグラ動いたので、横道さんは喜びを表現しているのだろうと想像した。
私は、かつて帝国の影に怯えながら綴ってきた連載のすべてと、今回の「最終回」をまとめた、そして私が重ねてきた「頭蓋骨との対話」を「編集部からのコラム」として各章の合間に挿入し、一冊の本にしようと心に決めた。 横道さんは、もはや物理的な肺で呼吸はしていないし、物理的な心臓で血液を循環させていないし、物理的な脳も失って、オカルト的な方法で脳波通信をおこなっている。しかし彼の言葉は、いまも私の横で、そしてこの原稿のなかで、そして仲間たちとの交信のなかで、確かに「生」の震えを保ちつづけている。
「さあ、始めましょう、横道さん。あなたの『病の言説史』の、本当の最終章を」。私はノートパソコンの電源を入れ、真っ白な画面に向かった。窓の外には、かつて私たちが怯えた「健全なる精神と健全なる身体」を強要する国の空が広がっていたが、もうその影が私たちの心を暗くすることはなかった。