第1回 「コービン2.0」は英労働党党首のトランプ化を意味するのか

イギリスがEU離脱を決め、アメリカではトランプ大統領が誕生。今年、フランス大統領選、ドイツ連邦議会選など重要な選挙が行われる欧州では、「さらにヤバいことが起きる」との予測がまことしやかに囁かれる。はたして分断はより深刻化し、格差はさらに広がるのか? 勢力を拡大する右派に対し「レフト」の再生はあるのか? 在英歴20年、グラスルーツのパンク保育士が、EU離脱のプロセスが進むイギリス国内の状況を中心に、ヨーロッパの政治状況を地べたの視点からレポートする連載。第1回は「労働党党首コービンがトランプ化している?」というトピックから。

労働党党首コービンがヴァージョンアップ?

新年早々、英国メディアに「コービン2.0」という言葉が出現した。コービンの側近が言い出したらしいこの言葉、どうやら「Mrマルキシスト」こと労働党党首ジェレミー・コービンの新春のイメージ・チェンジを意味しているらしい。

英国では1月になると「NEW YEAR, NEW YOU」なんて見出しが雑誌の表紙を飾り、人々の変身願望が高まる時期だが、どうやらコービンもそれに乗ったらしいのだ。

「彼は新スタイルのジェレミー・コービンの誕生を知らしめた。同党首の側近が言うには、彼はこれまでよりいっそうラディカルな、エスタブリッシュメントに対して反旗を翻す左翼ポピュリストにヴァージョンアップされたという」
( theguardian.com )

「新スタイル」の意味するところは、これからは積極的にテレビやラジオに出演するということ(コービンは「ソーシャル・メディアに頼り過ぎて主流メディアを無視している」と一部党員たちから批判されていた)らしいのだが、「反エリート色を強く打ち出す戦略」はドナルド・トランプの成功を意識しているのではないかとも言われている。

実際、新春早々コービンは「「Maximum Wage Cap」を政策に取り込むべき」とラジオで語って物議をかもした。これ、何のことかと言えば、「最低賃金」ならぬ「最高賃金」のことである。企業が払う被雇用者の報酬に最高金額を設定すべきというのである。

が、この発言には党内外から怒涛のような批判が寄せられ、コービンはその日のうちに軌道を修正。今年最初のスピーチでは、この案は「政府と契約を交わしている企業内での被雇用者に支払われている最低額給与と最高額給与の比を「1:20」にすべき」とマイルド化していて、保守派メディアから「早くもUターン」「今年も迷走」と笑われた。
 

コービンとトランプは同類なのか

「ポピュリストはいいことなのか、悪いことなのか」みたいな議論がにわかに流行しているようだが、そもそもポピュリズムを「正義かどうか」で定義するのが的外れである、というのは2015年あたりに台頭してきた「欧州の新左派」の間では常識だった。このことは、拙著「ヨーロッパ・コーリング」のあとがきにも書いたが、ポデモスのパブロ・イグレシアスなどは、むしろ「左翼ポピュリスト」と呼ばれることを誇りに思ってきた。

ポピュリズムの語源が本来の「POPULACE」ではなく「POPULAR」だと勘違いされるようになってから、ポピュリズムは安直に「大衆迎合主義」と訳されるようになり、最近では「いきなり人気が出たわけがわからないもの」の総称になりつつある。

例えば、昨年、ヒラリー・クリントンの選挙集会で、ビル・クリントンは、コービンとトランプは同類であるとして、「狂人たち」とこきおろしていた。ビル・クリントンは、トニー・ブレアをないがしろにしてコービンを党首にした労働党は愚かだと語り、コービンとトランプは似た者同士だとアピールしてヒラリーこそが真の政治家だと訴えた。

「英国労働党は「自分たちは十分に左に寄っていなかったから選挙に負けたのだ」という愚かな判断を下し、そこら辺の道端で見つけてきた男を党首に据えた」
「人々は、自分がひどい目にあっていると感じているとき、この先、何も起こらないと感じているとき、部屋の中で最も気が狂った人間を自分たちの代表として選びたがる」
( thesun.co.uk )

 

「最高賃金」設定案はそんなダメなのか

ビル・クリントンに狂人扱いされたコービンが新年早々打ち出して撤回した「最高賃金」は、「コービン2.0」戦略の新コンセプトではなく、実は2015年に党首に選ばれたときから唱えていた案だ ( bbc.com )。この案の是非についてガーディアン紙が複数のライターたちに意見を聞いている。

「最高賃金」案への世論支持率は、賛成が39%で反対が44%(YouGovの調査)だ。が、ブレグジットだって国民投票の実施が発表された当初は、残留派が離脱派を大きく上回っていたのだから、これだって裏返りかねないと書いているのはEllie Mae O’Haganだ。

「コービンがポピュリストとしてイメージを刷新するという議論が起こったとき、多くの左派が期待したのが、まさに今回の最高賃金のような動きだった(実際、これはバーニー・サンダースの十八番だった。彼は年収が45万ドルを超える場合、超える部分には100%の税金をかけると言っていた)」
( theguardian.com )

これは目新しいコンセプトではなく、与党も視野に入れていたという指摘もある。キャメロン元首相は公共セクターの賃金格差の調査を依頼し、ウィル・ハットンが「地方自治体やNHSの幹部は、最も低い賃金で働いている組織内従業員の20倍以上の収入を得るべきではない」と発表したときには保守党議員たちでさえ諸手をあげて賛成した。

「デヴィッド・キャメロンもテリーザ・メイも、この分野での改革が必要だと知っている。だが、自分でそれをしたくないのだ。株主がやってくれるんじゃないかと期待している。(中略)政府は、企業の最高賃金と最低賃金の比を一般公開すれば、法外な報酬を受け取っている企業幹部たちが大衆から非難され、自然に賃金格差が是正されるだろうと祈っている。だから何もしない。これは政治の敗退であり、知性の敗退だ」
( theguardian.com )

 

正しいだけのポピュリズムでは不十分

つまり、キャメロン元首相もメイ首相も、現代の収入格差の問題は「市場が自然に解決してくれる」と思っているようだが、そんなことは絶対に起きないと主張しているのがポリー・トインビーだ。

「1980年代以降、最高報酬の額が天井知らずに上昇を続けているのには理由がある。誰かが止めなくては、人々は貰えるものはすべて貰ってしまうからである」

人間という生物の本質に触れる見解だが、実際、20年前にはFTSE 100企業のCEOたちの平均年収は、最低年収の平均額の45倍だったが、現在は130倍以上に膨れ上がっている。

彼女は、「コービンは正しい」、「彼の政策こそいま必要なのだ」とコービンを賞賛しているが、同時にキツい言葉も書き残している。

「だが、このようにラディカルなことを提案するためには、政治指導者には経済での実績が必要だし、少なくとも、ビジネス界からの一定の信用を勝ち得ていなければならない。悲しいことだが、まず信頼を得ないことには、コービンのアイディアは空しく敗北し、この国を彼に任せても大丈夫と人々を説得する機会をまたもや狭めることになる。政治の世界では、正しいだけでは不十分なのだ」
( www.theguardian.com )

最新のYouGovの世論調査では、保守党がさらに支持率を伸ばして42%、労働党支持率は25%に落ちている。労働党支持の数字は2009年以来最低と報道されており、1945年の労働党政権が作り上げた「左派の最後の砦」国民医療サービスNHSの運営でさえ、世論では「保守党に任せたい」が43%で「労働党に任せたい」が31%の体たらくだ。
 

トランプ化より「地べた」に戻れ

「コービン2.0」騒動を醒めた目で眺めながら、反エスタブリッシュメント感情をいたずらに煽る派手な戦略ではなく、コービンは彼らしい「BACK TO BASICS」路線で行けと檄をとばしているのがオーウェン・ジョーンズだ。

英国では冬になるとインフルエンザや肺炎などの患者が増え、無料の国民医療サービスNHSがパンク寸前になる(すでにパンクしている地域もある)。これは「ウィンター・クライシス」と呼ばれているが、むしろコービンがいま集中すべきなのは、緊縮財政によるコスト削減でボロボロになっている(もはや癌患者でさえ地域によっては治療を待たされるようになっている)NHSの再建だろうと彼はコラムで声を荒げる。

「赤十字が、NHSの「人道的危機」を警告している。NHSは労働党の発明品だ。いま労働党が集中すべきなのはNHSの問題だ。EU離脱の国民投票で、離脱派の勝利の大きな原因になったのは『EU離脱すれば拠出金が浮くので週3億5000万ポンドをNHSに注入できる』という離脱派のスローガンだった。離脱派のキャンペーン統括者、ドミニク・カミングズでさえ自らこう言っているのだ。「NHSに週3億5000万ポンドを投入できるようになるというスローガンがなかったら、僕たちは勝てただろうか?」。(中略)それなのに労働党はNHSの問題に背を向けようとしている。何故なんだ?」
( theguardian.com )

そもそも、コービンが党首に就任してからこれまでを振り返ると、彼の支持率が上がったのは、彼が地べたに根差した問題を取り上げ、地味に与党を追い詰めたときである。例えば、タックスクレジット問題で、ワーキングプアのシングルマザーがテレビ番組で泣いたことを受け、「新税務年度から、必死で働いて子供を育てている家庭が今より貧しくならないと首相は保証できますか」という「ど」がつくほどシンプルな質問を6回も繰り返して国会で首相を追い詰めたときは、あれぞコービン節と思える迫力だった。が、あれ以降、コービンが首相を本気で慌てさせたことはない。

トランプが不法移民を取り締まるために国境に壁を作ると言って支持を集めたように、コービンは富裕層を取り締まるために年収に壁を設けると言って支持率の挽回を狙っているのだとすれば、コービンはなぜ彼が労働党党首に選ばれたのかをわかっていない。

英国の人々は、自転車で通勤するコービンに、15ポンドのトナーカートリッジしか議員経費に計上しないコービンに惹かれたのだ。攻撃的なことを言って人々を扇動しようとするコービンじゃない。

ところで、離脱派の「NHSに週3億5000万ポンド投入できる」は真っ赤な嘘だったわけだが、それを信じて離脱に投票した人たちを「バカ」と嘲り叩く以外に、左派は何かやってきただろうか。こういう点こそが現在の左派に突き付けられている最大の命題だ。

離脱に投票した人たちのささやかな願いを、党派を超えてNHSを守りたいというピープルの気持ちを、汲み取る勢力にいったい左派はなろうとしているのだろうか。離脱に投じた人々が離脱を選んだ理由の1位は「移民問題」だったが、2位は「NHSへの3億5000万ポンド」だった。最新の調査でも、英国民の49%がNHSのためなら増税も受け入れると言っている(33%が増税反対)ほどなのだ。

病気になったとき、怪我をしたときに、病院で最初に聞かれる質問が「あなたは保険を持っていますか?」ではないこの国に、誰でも無料で医療サービスが受けられるこの国の制度に、英国の人々は想像以上に誇りを抱いている。

攻撃的な大騒ぎを繰り返して人々を分裂させることを戦略にすれば左派は崩れる。

いぶし銀のようなNHSこそが、英国のレフトの牙城なのだ。

 

Profile

1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『労働者階級の反乱──地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)、『花の命はノー・フューチャー』(ちくま文庫)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)
、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)、『THIS IS JAPAN──英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)など。『子どもたちの階級闘争』で第16回 新潮ドキュメント賞受賞。