第2回 しぬ

「死ぬよ!」「死なないよ」と声がした。

ベンチに座ったわたしからは、高さ1mほどの壁の上に乗った子供が見える。「死ぬよ!」と言ったのはその子で、「死なないよ」はどうやら壁の下にいる母親の声らしい。子供は立ちすくんでいる。壁はいくつも並んでいる。壁と壁は数十センチくらい離れているだろうか、そのあいだを跳びかねている。

「死なないよ」ともう一度母親の声がした。子供はちょっとおどけて腰を振ってから、意を決したかのように跳んだ。跳びながらこう言った。「し、ぬ!」。一つ跳んではずみがついたのか、今度は「いくよ!」と自ら声をかけてから、調子をつけて三つ跳んだ。「し、ぬ! し、ぬ! しぬ!」。最後は両足で同時に着地して、ちょっと手をついた。それから母親にこう言った。「死なないっしょ」。

ずっと前に読んだブラッドベリの「びっくり箱」を思い出した。母親のいいつけを守ってずっと家に閉じ込められていた少年は、母親が倒れてしまったのをきっかけに、いいつけを破って家を飛び出す。「あの木の向こうまで走ったら、ぼくはきっとしんでしまう。だってお母さんがそういったんだもの。おまえはしぬよ、おまえはしぬよ」。しかし彼は外に出てしまう。錆びだらけのぎいぎい言う鉄の門を抜けて、そしてもう振り返らない。彼は笑い泣き、泣き笑い、飛び跳ねながらありとあらゆるものに触っていく。声に出して叫ぶ。「しんだ、しんだ、しんだうれしい、しんだ、しんだ、しんだうれしい、しんだ、しんだ、しんだすてき!」

 

I'm dead, I'm dead, I'm glad I'm dead, I'm dead, I'm dead, I'm glad I'm dead, I'm dead, I'm dead, it's good to be dead!

 

叫びは歌のようだ。そしてこの少年もまた、三つ目で違う調子になる。

***

札幌郊外にあるモエレ沼公園では、国際芸術祭をやっている(2017年8-9月)。わたしはその展示を見るためにやって来たのだが、来てからほどなく、展示だけでなく、公園全体が魅力的な場所であることに気づいた。この公園はイサム・ノグチが晩年の1988年に設計したもので、巨大な築山やガラスのピラミッド、噴水の間を縫って歩くだけで、すでに不思議な世界に入り込んだ気になる。園内にある高さ52メートルの人工山に登れば、美しい公園のプランを見渡せるだけでなく、遠く南側に札幌市街や藻岩山、北側に石狩川流域を眺めることができる。

なかでもわたしが興味をひかれたのは、公園の東部分、「サクラの森」のあちこちに設置された遊具だった。彫刻家のイサム・ノグチらしい、あちこちに意外な穴や曲線の仕組まれた遊具には、とりたてて説明はなく、どう遊んでも構わない。遊具の周りは落ちても怪我しにくいように柔らかい素材が敷いてある。

子供が去ってから、わたしも遊具の上に乗ってみた。パステルグリーンとブラウン、二色の複雑な壁で構成された遊具には、あちこちに階段があり、壁の上に登ることができる。壁と壁との間に数十cmほどのギャップがある。大人のわたしにはひょいとまたげるほどの距離だが、子供はそうはいかない。イサム・ノグチはこれらの玩具についてこう述べている。「大人の世界ではなく、背丈90cmの人間が走り回る世界です。僕が創造したものを子どもに発見してもらいたい。原始、人がそうしたように子どもにも直接向き合ってもらいたいのです」。まさに背丈90cmほどの子供がわたしの目の前で、イサム・ノグチの目論み通り、飛び回っていたのだった。

大人のわたしは野暮を承知で、子供の跳んだ箇所を検分してみた。はたして、1つめと2つめのギャップに比べて、3つめのギャップは少しだけ距離が遠かった。おそらくイサム・ノグチは、遊びが単調に陥らないように、わずかな不規則さを設計に埋め込んだのだろう。この工夫は、跳ぶ子供の声の調子を少しばかり狂わせた。というのも、「し、ぬ!」ということばは、子供の足が着地するタイミングと連動していたからだ。右足で着地する瞬間に「し」。左足が遅れて着地する瞬間に「ぬ」。1つめ、2つめを跳ぶとき、子供の声はまるで歌うように「し、ぬ! し、ぬ!」と右足と左足を交互に踏んだ。ところが、次に目の前に現れた3つめのギャップは、同じリズムで跳ぶには離れすぎていた。それでさっきよりも力を込めてジャンプした。込めすぎて、ちょっと前のめりになりながら、両足を同時につき、両手をつく格好になった。両足をつくときに危うく「しぬ」と声にした。

ジャンプは、ほんとうはいつだって賭けなのだ。ギャップは目の前に、思わぬ形で現れる。リズムに従って跳ぶのではない。体は跳ぶたびにリズムから離れる。リズムはしぬ。ギャップの向こうで足が着地する。リズムは生まれ直す。しぬ、といいながら生まれ直す。1の次に2が来てリズムが生まれる。3つめに気をつけろ。リズムは、ほんとうはいつだって賭けなのだ。

Profile

1960年生まれ。滋賀県立大学人間文化学部教授。専門は人どうしの声の身体動作の調整の研究。日常会話、介護場面など協働のさまざまな場面で、発語とジェスチャーの微細な構造を分析している。最近ではマンガ、アニメーション、演劇へと分析の対象は広がっている。『介護するからだ』(医学書院)、『うたのしくみ』(ぴあ)、『今日の「あまちゃん」から』(河出書房新社)、『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』(新潮選書)、『浅草十二階(増補新版)』『絵はがきの時代』(青土社)など著書多数。ネット連載に「チェルフィッチュ再入門」、マンバ通信の「おしゃべり風船 吹き出しで考えるマンガ論」などがある。