第4回 羽犬塚

久留米に行く仕事で、あいにく市内は宿がいっぱいだったので、少し離れたところに泊まることにした。トランクをごろごろ引きずっていたら、知り合いにどこに泊まってるの、と尋ねられた。初めての土地で、その土地の名を口にすることには、どこか戸惑いが伴う。とりわけ、読み方のわからないものはそうだ。宿からのメールには「羽犬塚」とある。はねいぬずか?とおずおず言ってみたものの、読み方にもイントネーションにも、まるで自信がない。尋ねた側もこの土地の人ではなく、へえ、久留米市内じゃないのかと言うだけで、こういう言い方でよかったのかどうかわからない。

 

その夜、アニメーション版『この世界の片隅に』の片渕須直監督とご一緒する時間があった。

 

『この世界の片隅に』のすずもまた、「呉」という土地の名を発することに戸惑う人だ。すずは広島から呉に嫁いできた。広島と呉は同じ広島県だし、呉線一本で行けるのだし、嫁ぐ前からすずは何度か「呉」の名を口にしてきたはずだ。けれど、「くれ」というその二文字が、はたして呉という土地でどのように発音されるかまでは知らない。マンガ版では、彼女は嫁いだばかりの家で、実兄にはがきを書こうとして、おずおずと新しい家族にこう尋ねる。「あのお……………ここって呉市…?の何町…?の何番ですか?」 もちろん、すずが尋ねたのは発音というよりは正確な住所なのだろうけれど、「呉市…?」というところに記された三点リーダーは、すずが微かに感じているであろう、言い慣れない土地の名への戸惑いを示している。

 

そして、すずの戸惑いは、ただの杞憂ではない。実は広島弁と呉弁では、「呉」の発音は微妙に違う。広島では「↑く↓れ」と頭を高く発音するが、呉のいくつかの地域では「く↑れぇ↓」と、むしろ「れ」を持ち上げてから語尾で下げる。おそらくすずは嫁いでから、「くれ」に代表される広島と呉の微妙なことばの差に、嫁ぎ先で感じるさまざまな違和の感覚を重ねたに違いない。

 

このような微妙なイントネーションの差は、マンガ版の文字には顕れない。しかし、アニメーション版には声が伴う。そして驚くべきことに、このアニメーション版では、よそものには判じがたいこの「くれ」の微細な発音の差が使い分けられている。広島から呉に嫁いだばかりのすずは、最初「↑く↓れ」と広島風に発音しているのだが、映画の終盤では「く↑れぇ↓」と呉風の発音に変化している。広島弁と呉弁の微細な差を知る者は、そこからすずの嫁ぎ先での変化を感じ取ることができる。それを演じ分ける、のんの発音は見事なものだ。そしてこの差を意識的に演出したのは、片渕監督自身である。

 

大阪生まれで関東育ちの監督は、広島や呉のあちこちでいろいろな人に話をきくうちに、方言の微妙な差が身についたのだそうだ。「いよいよ映画を作るために呉の人たちの前で話をしたら、コイツは地名の発音が土地のことばだから信用できる、ということになりました」。こともなげにそうおっしゃるのだが、民俗学者や文化人類学者でも、なかなかそこまではいかないものだ。おそらく天性の耳のよさをお持ちなのだろう。それは、監督自らがこの映画の音響設計に携わり、空襲の音響をはじめ、細部の音に入念な演出を施されていることからもわかる。

 

***

 

焼き鳥を食べ、地酒を飲み、宿に帰るべく久留米駅から電車に乗ったら、「はいぬづか」というアナウンスが聞こえて、しばらくしてようやくそれが「羽犬塚」の読み方なのだと気づいた。「はね」ではなく「は」だったのか。それに「は」と「いぬ」の間が予想外に詰まっている。漢字を知らなかったら「ハイヌ」という単語だと思っただろう。

 

しかし、駅のアナウンスだけでは、まだ本当の発音は分からない。宿に着いて、フロントの人に「はいぬづかって、地元ではどんな発音ですか」ときいてみた。「→はいぬ↓づ↓か、ですかね、でもわたしもこの辺の人間ではないので」。答えはどうも心許ない。ちょうど向かいに、よさそうな店構えの焼き鳥屋があった。さっき久留米で焼き鳥を食ったばかりだが、たいそう旨かったし、この店なら土地のことばをきけるかもしれないと思うと、もう少し食える気になった。

 

しかし、いざ一人で飲み屋に入ってみると、いきなり地名がどうのという話にもならない。向こうの客は、出張で来ているのか、大阪弁で仕事の話をしている。串を何本か食べ、少しく飲んでから主人が「どちらから?」と声をかけてくれたのをきっかけに、おずおずと「はいぬづか」のことを尋ねてみた。「うーん、ぼくは熊本の出ですから」。それで話は「はいぬづか」をすっ飛ばして、わたしの住んでいる滋賀と彼の出身地である熊本の話になった。

 

大阪弁の客たちは帰ってしまい、結局、のれんを片付けるまで主人と話してから、「そうそう、この店の向こう側に、絵を描いてもらったんですよ」と店の横の壁面の前に案内された。そこには、背中に羽の生えた犬が描かれていた。羽と犬が、あっさりつながっている。そうか、これがハイヌだ。

Profile

1960年生まれ。滋賀県立大学人間文化学部教授。専門は人どうしの声の身体動作の調整の研究。日常会話、介護場面など協働のさまざまな場面で、発語とジェスチャーの微細な構造を分析している。最近ではマンガ、アニメーション、演劇へと分析の対象は広がっている。『介護するからだ』(医学書院)、『うたのしくみ』(ぴあ)、『今日の「あまちゃん」から』(河出書房新社)、『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』(新潮選書)、『浅草十二階(増補新版)』『絵はがきの時代』(青土社)など著書多数。ネット連載に「チェルフィッチュ再入門」、マンバ通信の「おしゃべり風船 吹き出しで考えるマンガ論」などがある。