第1回 2月13日/2月23日

作家・柴崎友香による日誌。「なにかとしんどいここしばらくの中で、「きっちりできへんかったから自分はだめ」みたいな気持ちをなるべく減らしたい、というか、そんなんいらんようになったらええな」という考えのもとにつづられる日々のこと。「てきとうに、暮らしたい」、その格闘の記録。

2月13日

「地震があった」


地震があった。

夜、一度ヨギボー(ビーズクッションのソファ)で寝てしまう癖があって、それでちょうど目が覚めかけたときなのか、揺れで目が覚めたのか判然としないけれど、ずずん、と地面の深いところで振動するような感覚があり、地震かな、と思ったら、あちこちがかたかた鳴り始め、揺れ始めた。最近の地震になかった感じ、と思ったのはその通りで、だんだんと揺れが大きくなり、なにが当たっている音なのかわからないがかちゃかちゃこんこんとあちこちで音がする。

ああ、これはよくない、とわたしはとりあえず玄関ドアを開けて廊下に出た。

それは、1995年の阪神淡路大震災の経験からで、あのとき、玄関ドアや窓も歪んだり押し潰されたりして外に出られなかった人がたくさんいた。それに、今の部屋は家中の壁がほぼ本棚で逃げ場がないので、とりあえず外に出たほうがいいだろうと思った。携帯だけ持って。

外に出ると、建物が揺れているのが目で見てもわかって、こんなのは何年ぶりやろうか、少なくとも今の部屋に引っ越してきてからは間違いなくいちばん大きい地震。廊下の先の4軒向こうのドアが少し開いて、ストッパーを置く手が見えた。すごい揺れ、と女の人の声がした。揺れはまだ収まらない。

わたしは廊下にしゃがんで、携帯でツイッターを見た。すごく揺れてる、と知っている何人かのツイートが目に入った。ようやく揺れが収まって、部屋に戻った。物が落ちてたり倒れてたり壊れてたりしてたらいややなと思ったけど、被害はなにもないようだった。そうなると、部屋にいてどこがどれくらい揺れたか確認しといたらよかったなと思ってしまう。なんでもあとからだ。あとからしか、どうすれば最善だったのかはわからない。

ツイッターには、福島で震度6強、の文字が流れていく。

なんでやろう。思い浮かぶのはそればかりだ。なんでやろう。なんで、被害を受けた場所にまた地震があるのやろう。

よく見ると、何冊か本が落ちていたし、棚の上に並べていた『AKIRA』全5巻が倒れて今にも落ちそうだった。

思い出して、テレビをつけた。10年前と違って、わたしはテレビを見ることがほぼなくなっていて、あのときなら真っ先につけっぱなしのテレビで緊急地震速報を聞いただろうけど、今はテレビをつけることさえ少し後にしか思いつかない。NHKにチャンネルを合わせると、どこかの人に電話で様子を聞いていた。夜だから、被害はすぐにはわからないだろう。映像もない。

東京は震度4だった。

それは1年以上経験していなかった。

10年前のあの日からしばらく、大きな余震はしょっちゅうあった。

あのとき住んでいたアパートは揺れやすかった。棚の上に置いていたソフトバンクでもらった白い犬のぬいぐるみが落ちるのが、震度4の目安だった。

いつの間にか、その揺れの感覚を忘れていた。

26年前、阪神淡路大震災を経験してから、地震が怖くなった。

東京で5回引っ越したけど、部屋を探すときもいつも地震のことを考える。階段で上がれる階で、都心から歩いて帰れる距離で、新耐震基準の建物で。食器棚は高さが1メートル以下ので、気休めかもしれないが開きではなく引き戸。職業柄どうしようもない大量の本棚は、下に「ふんばる君」を置き、上にはつっぱり棒をつけている。不格好だし、どこまで効果があるかわからないが、できる限りのことはする。寝るところの周りには倒れてくる可能性があるものは置かない。

前は震度いくつでもだいじょうぶだった、というのはあてにならない。揺れと家の方向や家具の置いてある向きの兼ね合いで、全然違う。直下型とプレート境界型でも揺れ方はまったく異なる。

26年前の地震で、わたしの感覚は変わった。ひと言で言うなら、地震が怖くなった。

ほんとうに怖くなった。

外国に行くたび、ここは地震がないんやな、と思う。

地震なくてええな、と思う。

地震がなかったら失われなかったものがどれだけあったやろうか。

ともかく、部屋片付けなあかん。これ以上、本も物も増やしたら危険やな。棚の上に小さい棚(飾り棚的なやつ)置いたらあかんな。棚の上にお土産を飾ってるのもあかんな。ともかくも、物を減らさないと。

 

2月23日

「わたしの部屋の中にある植物は大半がプラスチックでできている」


わたしの部屋の中にある植物は大半がプラスチックでできている。

うちに来た友達にこれはみんなうそのやつやで、と言うと驚かれる。

16年前に東京に引っ越して一人暮らしを始めて、家の中にあるものが全部自分の意思によるものになった。やっぱり植物とかちょっと置いとかんと殺風景な感じするなと思って、その少しあとに小説の賞をもらったお祝いを出版社の人からなにがいいですかと聞かれたので、観葉植物をいくつか選んだ。サボテンとセロームっていう葉っぱの縁がなみなみのやつとストレリチアっていうしゅっとしたやつと、あと小さいサボテンとワイヤープランツ。

植物は難しい。まず水をやりすぎた。説明書に書いてある通りに水をやったら(ここポイント。書いてる通りにしたら多かってん)即根腐れした。慌てて鉢から出して土を乾かして、ワイヤープランツ以外は復活した。どうも、ほったらかしぐらいでちょうどええというか、水やらずにしおれて慌てて水やるのは全然復活するけど、根腐れはタチが悪い。人間も過保護っていうかあれこれ抑圧しすぎのほうがあかんぽいもんな、とわかったようなこと思ったけども、植物と人間は違うので単純に結びつけたら間違う。

そのあとも、ちょっと流行ってた壁に掛ける植物みたいなやつも買ったことあってんけど、生きてる植物の困るとこは育つこと。伸びるねんな、あっという間に。しかも、そっちとちゃうていう方向に。そらそやな、植物は植物の都合で生きてるのやし。ほんで、わたし、その伸びたのを切ったりするんが苦手なんよね。若い頃、美大に行った友達が生け花の授業があって「先生が自然を表現するって言いながら切ったり無理やり曲げたりするんが納得いかん」て言うててんけど、ちょっとそれに近い気持ちかも。庭木を剪定するとか、やらなあかんのはわかるけど、自分では無理やな。庭ないけど。

5年ぐらい前に、最近のフェイクグリーンはめっちゃようできてるっていうことを知り、いくつか買ってみたらほんまにようできてる。最初は花のほうを買ってたんやけど、引っ越しを機に緑系をいろいろ買ってみたら、これがとてもよかった。エアプランツとか、ほぼ本物やん。うその植物がええのは、いちばんは伸びひんことで、思った形のままそこにあってくれること。壁に掛ける~を買ったときは、売ってたときのフレームに収まったいい感じの緑の期間、ちょびっとしかなかったもんな。そうすると結局捨てなあかんことになるから悲しいやん。

それから、水がいらん&軽い。このことによって、本棚にも置けるのですよ。家じゅうがほぼ本のわたしにはすばらしいことです。本には水厳禁やからね。

あと、日が当たらんでもええから、浴室とか窓がないとこでもいけるしね。

いろんな種類を試してみて思ったんは、今はエアプランツとか多肉植物とかそいうのんがおしゃれなんやな。「今はこれがおしゃれ!」みたいなのを特に学んでなくても、部屋に置いてみたらなんかこれのほうがええ感じに見える、っていうのがわかるもんやな。観葉植物の定番アイビーとか置くと、ちょっと前の喫茶店とか病院の待合室みたいになるもんな。

ちゃんと世話できる人はほんまの植物ですごくいいと思うけど、部屋がたいへんなことになりがちな人にはうその植物、おすすめです。大阪の人やったら、心斎橋筋商店街をずーっと北に行って本町駅近くの「花びし」ていうお店がええよ。

ところで、買ってすぐに根腐れし、その後も何度か危機が訪れたサボテン、セローム、ストレリチアは今も元気です。むしろ引っ越しの度に処分しようかと思うのですが(引っ越しの時も運ぶの大変で引っ越し屋さんに申し訳ない荷物の筆頭)、今回もストレリチアが運ぶ途中で折れまくったので全部切って粗大ごみの日を予約しなければと思ってたら、切ったところから新しい葉っぱが生えてきてすっかり元通りに。生命力すごいな。でも、10年以上経つけど花が咲いたことないねんなー。サボテンも。

在宅勤務歴20年。やっとそれなりに自分が暮らしやすい部屋にできてきた。

 

1973年大阪生まれ。小説家。2000年に『きょうのできごと』(河出文庫)を刊行、同作は2003年に映画化される。2007年に『その街の今は』(新潮文庫)で織田作之助賞大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』(河出文庫)で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』(文春文庫)で芥川賞受賞。街や場所と記憶や時間について書いている。近著は『百年と一日』(筑摩書房)、岸政彦さんとの共著『大阪』(河出書房新社)、『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、『パノララ』(講談社文庫)など。