第2回 3月4日/3月9日

作家・柴崎友香による日誌。「なにかとしんどいここしばらくの中で、「きっちりできへんかったから自分はだめ」みたいな気持ちをなるべく減らしたい、というか、そんなんいらんようになったらええな」という考えのもとにつづられる日々のこと。「てきとうに、暮らしたい」、その格闘の記録。

3月4日

「去年の緊急事態宣言のときに、noteに日記を書いてみようと思ったのは、いちばんはたぶん自分がしゃべりたかったからだった」


去年の緊急事態宣言のときに、noteに日記を書いてみようと思ったのは、いちばんはたぶん自分がしゃべりたかったからだった。人と話す機会がほぼなくなってしまった一方で、どんどん変わっていく状況やツイッターに流れてくるこの事態に対応するための政策についてのあれこれやら、情報ばかり入ってきて、それを誰かと話したい、という気持ちに近かったと思う。

あっちこっちで何回も書いているとおりにわたしは日記を書けたことがなく、小学校の宿題の日記もまとめててきとうなことを書いていたのやけど(作家にはけっこう多い、というのはわたしの狭い観測範囲で偏ってるかもしれないので、作家の知人で宿題の日記はてきとうなこと書いてたって話は何人も聞いた、にしとく)、だからnoteに書いてた日記が20日ぐらい続いたのは新記録だった。それも毎日とちゃうけど。日記が書けなくてこの連載のタイトルも「日誌」にした話はまたおいおい書くことにして、ともかく今はそれ以来の、2度目の緊急事態宣言中になる。

去年の4月5月に書いてたことを読み返すと、今とだいぶちゃうなと思うし、このときの感覚をもうだいぶ忘れてるなと思うし、このときは来年の春がこんな感じとは思ってなかったよな、と思う。何か月かしたらイベントできるかも、みたいな話もまだしてたし。

あれから、人に会ったり、仕事のインタビューを受けたりすると、なにか変わりましたか、作家の人はあまり変わらないと聞きます、てよく言われる。

わたしは小説を書くとき、登場人物の仕事だけは取材したり人から話を聞かないと書けなくて(他のことも調べたり取材したりするけど、仕事は特にそれなしでは書けない)、仕事って同じ業界や職種でも個別にかなり違ってて、その個別の具体的な行動にリアリティが必要と思うからなんやけども、取材するときは「業務内容は?」と質問するよりも「仕事の一日はなにをしてるか朝から順番に教えてください」と聞いたほうがよくわかる、との結論に達した。少なくとも、わたしが書く小説ではそういうふうに聞いたことのほうが必要になる。

ほんで、「仕事の一日なにしてるか?」的には、変わらないと言えば変わらない。家にいるし、机でパソコン開いて書いて、本読んで。新刊が出たときに書店を訪問することやお客さんを入れてのトークイベントは難しくなったけど、演劇やライブのように活動自体が困難というわけでもない。在宅する人が増えて、かえって本は読まれてるって話も聞く。

わたしは特に変わっていないほうだろう。この数年続いていた外国へ行く仕事がなくなったけど、たとえば子供の学校や家族の仕事の対応で大変で、ということもない。作家の方は生活が変わらないですよね、と言われるたび、確かにそうやけど、でも、ぜんぜん違う、と思う。1年前と今と、ものすごく違うし、この1年の生活は表面的には変わらないように見えても中身?  なんて言うたらええやろ、表面の下にあるものはぜんぜん違う。

昨日、仕事で電車に乗った。電車に乗ると、みんな通勤してはるんやな、と思う。そんなの当たり前、と言われるやろうけども、その当たり前が遠のいてしまってるというか、ずっと家にいて、出かけるのは近所のスーパーぐらいで、それにあまりにも慣れてしまって、自分以外の人の生活が目に入る機会がすごく減ったことを、電車に乗る度に思う。そもそも東京に来てからは通勤通学の経験はないのやけど、それでも、前はそれなりに電車に乗る機会があって、通勤したり出かけたりする人で混み合ってる世界を体感しながら暮らしてたんやな、と気づく。

ほとんど家にいる、「不要不急の」外出を避ける、ということは、身近な限られたところ以外を見る機会がとても少なくなる。今通勤してる人がどれくらいいるかとか、厳しい状況でたとえば医療機関で働いてる人がいるとか、一方では繁華街のお店がどれくらい閉店してしまってるかとか、そういうことがうっかりすると意識から抜けてしまうような感覚を、普段は気づくことも少ない。だから久しぶりに遠く(と行っても電車の乗り換えがあるとかそれくらい)へ行ったときに、あれ? と、今まで自分がなんか世の中からずれた場所にいたんちゃうか、みたいに思ってはっとする。

そういう、今の生活の大変さというか、街で人がどんなふうに働いてるかの体感が持ちにくいわたしが、なにをどういうふうに書けるんやろうなあ、とその気持ちは濃くなったり薄くなったりしながらずっとある。

変わったようには見えないこともすごく変わったと思う。

それとわたしは、賑やかな、夜も煌々と明るい街が好きなんやけど、それは別に自分自身がそこで飲み会やら夜遊びやらしょっちゅうするわけでなくて、ただそこをみんな元気やなあ、あほなことして騒いでんなあ、みたいなことを思いながら歩くのが好きで、繁華街歩いてるときだけかと思ってたけど、実は家にいてても、どこかで誰かが楽しかったりあほなことしてたりすることにほっとしてたというか、自分は夏に海に行ったりもせえへんねんけど(最後に海で泳いだのは32年前。あ、4年前にフィリピンに行ったとき一瞬だけ海に入ったか)、夏になったら海に出かける人がようさんおって楽しそうで夏やなー、ていうことに支えられてたんやな、って、この状況になってすごい思った。

こういうことを書くと、人の幸せを願ってるいい人、みたいに思われたり、日々の暮らしにささやかな幸せを見つけるポジティブな意識、のようにとらえられたりすることもあるんやけども、そういうのではなくて、世の中が殺伐としてたりさびしそうなんより楽しそうなほうがわたしも楽やし、自分は海に行くの億劫やけど(暑いし)、誰かが行ってくれたらええなー、と思うんよね。

ほんで、それがない去年はずっとさびしくてつらい気持ちがあった。

変わらないですよね、と言われるたび、すごく変わった、と思う。

すごく変わったことが見えにくいのが、今回の状況で、でも実は、表面的には変わらないように見えてただけやったことがもっとようさんあったんちゃうん、というのが、この20年、30年ぐらいのことのような気もしてる。

 

3月9日

「年末にぺらぺらの鍋を買った」


年末にぺらぺらの鍋を買った。

スーパーの生活用品売り場で安売りされていた鍋で、「一人用鍋」として使う鍋。なんか軽い鍋がほしいなと思ってた。家には小型の土鍋と、ストウブていう鋳物鍋のええやつがあって、どちらも鍋としての性能はたいへんよい。特にストウブは、ずっとほしかったのがカタログギフト的なものをもらう機会があってそれで入手したものなのやけども、確かに料理もおいしくできるし、これでごはん炊くととてもいい。土鍋も、わたしは冬は毎日晩ごはんは鍋でいいので長らく活躍してきた。

でも、重い。重いねんなー。この重さ、分厚さがおいしさの秘訣、なのはわかってて、実際その有り難みを感じてどちらの鍋も好きなのやけど、このところ急速に重いものが、すごくいやではないけども、ちょっと億劫な感じがしてしまう。

重いと、それ自体よりも、わたしの場合は他の食器を割ってしまう危険がある。あんまりきっちりしてない、というより、かなり雑でこまごましたことができないので、落としたりぶつけたりして、そうすると重い物はほかの物が割れやすい。去年は、これらの鍋ではないが、不安定なところに置いていた物が連鎖的に落ちて、レンジオーブンの中のセラミックのお皿を割ってしまって、メーカーからそれを取り寄せようと思ったら5000円! まじで! ていう事件と、やっぱりなんか落としてまとめて割れて、ガラスのピッチャーが殺人兵器の作り方かとつっこみたくなるぐらいに凶器な割れ方をしてどこをどう片付けようとしても怪我をしそうで大変という事件があった。

わたしが唯一集めてると言ってもいいファイヤーキングとかのミルクガラスの食器、分厚くて重くて白とか翡翠色のアメリカのダイナーとかで昔使ってた感じの食器、それのマグカップを会社員時代に会社でも使ってたんやけど、お昼休みにお弁当食べてたグループ(みなさんは作ったお弁当でわたしだけコンビニで買ってた)の6人分のお茶を入れて運んでたお盆を落とし、全員のマグカップを割ったのに自分のだけ無事やったという事件もありました。ファイヤーキング、頑丈なんは保証するで。

それで、スーパーで売られてた安い薄い鍋を見て、ああいうののほうが使いやすいかもしらん、と気になり、2週間ぐらい逡巡したあと、買ってみた。結果としては、めっちゃええやんこれ、気軽に使えるし洗うのも片付けるのも楽やし。

そういや、昭和の家の台所にあったんってぺらぺらの鍋やったよな。アルマイトとかアルミとか、おばあちゃんの使ってる鍋ってそういうので、それでおいしいものできてたよな、と思ったのでした。とはいえ、わたしが買った鍋は、ステンレスでマーブルコートでぺらぺらって言いつつも、昭和のぺらぺらに比べたらえらいしっかりした物体で、なにをするにもかなり便利です。プラスチックの独立した取っ手がなくて、縁の一部が持ち手になってるだけなので鍋つかみ必須、料理してる途中に動かすのがちょっと不便、ぐらいかな。

わたしは自分の育った家が、冬はひたすら毎日鍋、それもいろんな味つけや具が変わるとかではなくて、昆布の出汁に毎回同じ中身やって、だから冬になったら毎日鍋で考えんでいいから楽やな、野菜食べれるし、今はいろんな種類の鍋のだし売ってるし、って生活を15年やってきてたのやけど、この冬はあんまり鍋をしなかった。せっかく鍋用にぺらぺらの鍋を買ったのに、鍋っぽいことは数えるほどしかやらなかった。なんでなのかはわからない。

一つは、出かけない生活が続いてるから、作ることに飽きてるんやろなと思う。自宅生活になって料理を始めたとか充実してるという話もよく聞いて、ええなあ、と思うけども、わたしは逆で完全にめんどくささがうなぎ登りになっており、作ってないわけではないねんけど、めちゃめちゃてきとうな、買ってきたもんになんか足す、ぐらいの感じになっている。人と食べに行くことがなくってめりはりがないとか、そういうことなんやと思うけど。

作りたい気持ちだけはあって、料理の本はつい買ってしまって、「NHK きょうの料理ビギナーズ」も毎月買ってしまうねんけど、そこに載ってた豚肉とごぼうのスープがおいしそうで、それで通販サイトで送料無料まであと500円! なときにキャロットラペのにんじんを作るピーラーを買って、それでごぼうをしゅっとやってみたら、なにこれ! すごいやん! とあっというまにささがき? 千切り? のごぼうができ、ぺらぺらの鍋でスープを作ったらとてもおいしかったです。便利な道具、えらい。

家族の分も作る方が大変やろな、めりはりがあって作る気するやろか、と考えてもいる。1年前から生活が変わって、毎日毎日作らなあかんものが増えてたら、その労力はやっぱり蓄積していくような気がするけど、どうしてはるのやろう。

ごはん食べるって、大変やんな。

 

 

 

1973年大阪生まれ。小説家。2000年に『きょうのできごと』(河出文庫)を刊行、同作は2003年に映画化される。2007年に『その街の今は』(新潮文庫)で織田作之助賞大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』(河出文庫)で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』(文春文庫)で芥川賞受賞。街や場所と記憶や時間について書いている。近著は『百年と一日』(筑摩書房)、岸政彦さんとの共著『大阪』(河出書房新社)、『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、『パノララ』(講談社文庫)など。