第10回 当事者の家族

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

精神疾患になって、当事者研究をするようになってから(第6回参照)、私はいろんな講演会に顔を出すようになり、自分の当事者研究を発表する機会が増えた。研究を発表するのは誇らしい。普段ならあまり口にすることができない「多量服薬」について語ることができるし、同じような苦労で苦しんでいる当事者の助けになると思うと嬉しくなる。隠さなければいけないとされる精神疾患やその症状を人前で話すことは自尊心の回復にも繋がる。

思えば、私たち当事者は長い間、存在を隠されてきた。過去に精神疾患の患者を自宅監置してきた歴史もあるし、最近でも、精神疾患の子供を隔離して、十分な食事を与えず、殺してしまった事件もある。親たちは子供の病気を恥ずべきもの、隠さなければいけないものと捉えている。そして、その意識は子供にも伝染する。私も精神科に通院する時、自宅から遠い病院に行くようにと親に言われた。近所の人に見つからないようにするためである。私はそれから自分が恥ずかしい存在だという意識が芽生えるようになった。

当事者研究を講演会で発表するため、自宅でパソコンを立ち上げて初めてパワーポイントに触った。ネットで使い方を検索しながら、当事者研究をまとめていく。初めて触るソフトなので、最初はうまくいかなかったが、時間が経つにつれ徐々に慣れてきた。パソコンで文字を打ちながら、自分がしてきた多量服薬という罪が、研究という言葉の力で浄化されていくのを感じる。まとめるのに数日かかったが、満足のいく出来になった。

パワーポイントの作業が終わってから、台所に行って冷蔵庫の麦茶を出してゴクゴクと飲む。講演会に出るのが楽しみで仕方なかった。社会から隔離されてきた精神障害者だからこそ、人の役に立つという感覚が誰よりも欲しいのだと思う。人と接することなく、社会で働いていない状態が続くと、人は誰かの役に立ちたいという気持ちが芽生えてくる。普通に働いて生きている人は、日々の仕事や雑務で人と接し、助け合うという感覚を常に持っていて、それが当たり前になっているけれど、私のような障害者にはそれがない。働くことで社会にコミットできれば一番いいのだけれど、それができないから、当事者研究という手段を選んだ。研究は私にやりがいと役割を与えてくれたのだ。

講演会当日、私の当事者研究に聴衆は真剣に耳をかたむけていた。こういった講演会は、当事者よりも当事者の家族の方がよく来ている。当事者は精神疾患になったことで、エネルギーがなくなっているし、回復しない自分に対して、投げやりになっている人も多い。それは私自身が一番よく分かる。私もこういった講演会に自主的に来るまで10年はかかっている。自分で興味を持ってこの場に足を運ぶまで勇気が必要だったし、講演会の主催者やその考えに賛同できないと訪れることは難しい。

私が多量服薬の当事者研究を発表し終わった後、司会者が「何か質問はありませんか」と聴衆に問いかけた。

おもむろに年老いた父親と思しき人が手をあげる。司会者が指して、マイクを回す。

「研究を聞かせていただきました。確かに、あなたも多量服薬をして、こうして研究をして大変だったと思います。けれど、うちの子はもっと大変な思いをしている。もしかしたら、今日明日にでも、本当に死んじゃうかもしれないんだよ!」

年老いた父親は怒りで語気を強めた。私はびっくりした。なんと答えていいかわからない。父親はさらに自分と子供がどれだけ苦労をしてきたかを語り始めた。父親の横で、母親と思しき人がオロオロしている。年老いた父親はこと細やかに子供のことを話し始めた。何歳の時に発症したか、入院を何回したか、変わりゆく病名までこと細やかに語りだす。しまいには飲んでいる薬のミリ数まで発表された。聴衆は黙って聞いていた。

こういうシーンはとても多い。親からぶちまけられる自分の子供の語りはあまり癒しにならない。当事者が自助グループで自分のことを、言いっぱなし、聞きっぱなしの空間で話し続けるのとは少し違う。ここは、自助グループではない。何か建設的なことをしたくて集まっているはずだ。全国に家族会があるけれど、親のこういった不満や行き所のない感情を受け止めてくれる場になっていないのだろうか。精神疾患の子供を持つ親たちだからこそ、苦悩は共有されなければならない。いつでも傷を癒すのは、同じ困難の渦中にある人の言葉なのだから。

私は長い時間、年老いた父親の話を聞き続けた。聞き続けていると、生きてここにいる私が悪人のように思われてきた。私は良い事をしていると思って、意気揚々と研究をまとめたけれど、それは良くないことだったのではないか。少なくとも、目の前のこの人はとても不機嫌なのだ。

しかし、年老いた当事者の父親は自分の子供が死んじゃうかもしれないというが、私も何回も死にかけている。医者から「死んだり障害が残ったりしても、文句は言いません」という念書を親は書かされているし、実際、3日間ほど意識不明だった。そのあとの多量服薬も、人工透析などかなり大きい処置をしていて、本当に「死んじゃうかもしれない」状態だった。けれど、そのことは口に出さずに我慢した。当事者の父親は思ったことを全て口にしたが、私はつぐんだままだった。多分、この父親が望んでいるのは、自分の子供の回復だけで、私や他の当事者のことはどうでもいいのだと思う。それは、親である以上、仕方ないのかもしれない。

けれど、このような父親はまだいい方だ。他の講演会でも同じ多量服薬の研究を発表した。そこに、子供と一緒に参加している父親がいて、私の研究を見て、こう述べた。

「素晴らしい研究でした。特に、パワーポイントを使えるのが素晴らしい。うちの子供はパワーポイントを使えない。うちの子は本当に何にもできやしないのです」

私はそれを聞いて、

「いや、パワーポイントは誰でも使えますよ。私じゃなくて、パワーポイントを作ったマイクロソフトが凄いんです。息子さんだって練習すれば使えますよ」

とフォローした。父親の隣で当事者の息子は黙りこくって小さくなっていた。なぜ、子供の横でこんなことが言えるのだろう。私はなんとなく、息子が病気になった理由を察した。きっと子供の頃から「あれもできない」「これもできない」と言われてきて育ったのだろう。子供にとって親は絶対的な存在である。褒められたり、認められたりすることで自尊心を養っていくのに、こんなことをいう人と四六時中一緒にいたら自分を大事にできなくなる。病気であろうとなかろうと、自分の子供に尊厳を持って接することはとても大切だ。この親がすべきことは、子供が病気によってできなくなったことを認めて、できることを応援することだろう。

それに私だって回復はしていない。回復とは回復し続けることであって、結果ではないのだ。私は一生病気であって、できないことや諦めなければならないことは健常者より多いと思う。けれども、私は私の人生を満足する形で生きていきたい。私のような心持ちまでいかない当事者の人もいるかもしれないが、私も昔は全てを諦めて絶望していた。全ての精神障害を持つ当事者が、満足のいく人生を送れるように、周りの支援が必要だ。良い医療、当事者を支えるワーカー。グループホームや就労支援事業所などの社会資源の充実。しかし、残念ながら日本の医療はまだそこまでたどり着いていない。

当事者の親は子供のダメなところばかりが目につき、指示的になる。子供ができていることに目がいかない。本当は、病気であろうとできることや良いところはたくさんあるはずなのに、病気ばかりに目がいってしまって、健康な本来の部分が見えなくなっているのだ。親には当事者の良い部分を見つけるように努力してもらいたい。そして、親自身にも回復して欲しい。

私は常々、当事者の家族も回復しなければならないと思っている。病気になった子供との関わりに疲れ果てている親は多い。子供が精神疾患になったことで、親もうつ病になることが少なからずある。そして、信じられないくらい公的サービスは不足している。家に引きこもりがちになる当事者のためには訪問看護の充実が望まれるが、まだまだ少ない。

それに、当事者の親には過干渉な人が多い気がする。あれをしてはダメ、これをするのもダメ。親である自分の方が世の中をわかっているのだから、間違えないようにしてやりたい。しかし、それはとてもおこがましいことだと思う。私たち当事者は間違えないように、失敗しないように、と周囲に指示されることで、失敗する権利を失ってしまった。本来ならば、自分で選び、それが間違いであろうと、選ぶ事が大事なのではないか。そうやって人は成長していくものなのだから。

精神疾患の親と子は同居していることが多いが、早いうちに別居した方がいいと私は考える。私も親とずっと同居していたが、いい結果は生み出せなかった。私は母に依存的になっていたし、母も私の世話に一生懸命になってしまって、成人した人間同士の暮らしとは言えなかった。それに、親にとっては、自分が死んだ後の子供の生活のことは心配でしょうがないと思う。しかし、考えてみて欲しい。子供から失敗する権利を奪い、自立する可能性をジリジリ消費しているのは親なのだ。

使える公的サービスはいくつかある。障害者年金を受給したり、グループホームを使ったり、生活保護を利用するのもいい。もちろん、子供のことが心配だという親も多いだろうし、当事者も自信がない状態の人が多いかもしれない。しかし、親が死んだあと、一人になって生活保護を受けて元気に暮らしている当事者は意外に多いと本で読んだ。思い切って離れてしまえば、なんとかなるのだ。もちろん、今までの生活を手放す勇気が必要だ。親と子が手を離すこと。それがきっと、回復への一歩なのだ。

 

1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。自殺未遂の体験から再生までを振り返った著書『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)が大きな反響を呼ぶ。ツイッター:@sbsnbun、note:https://note.mu/sbsnbun、ブログ:http://sbshinbun.blog.fc2.com/