第9回 あの男に「死んでもいい」と思われた私

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

未だ記憶の中で色あせないのが、相模原で起きた障害者施設殺傷事件、通称やまゆり園事件だ。この事件のことを考えると私の中で怒りが吹き出してならない。そして、私の中で、二つの感情が沸き起こる。それは、自分が障害者であり、犯人から死んでも構わないと思われたという悲しみと、犯人が措置入院をしていたということから、世論が措置入院患者の監視を強めることに傾いていったことに対する怒りだ。

テレビをつけるとニヤリと笑う犯人の顔がテレビに映る。気分が悪くなりながら私は目を離せないでいた。私はこの人に死んでもいいと思われたのだと思うと吐き気がした。

私は措置入院を一度経験している。その当時、ほとんど睡眠が取れておらず、それでも、仕事を休むことができなかったため、精神が混乱して、統合失調症のような症状を一時的に発症した。その時は、友人に助けてもらい、家まできてもらった。友人が連絡したのか、実家の母も来てくれた。あの時、私はとても混乱していて、前後不覚であった。自分の気分の悪さと、世界が奇妙に変容しているのを感じて、自分から警察に連れて言って欲しいと近くにいた人にお願いした。私は正気を失っていたけれど、善悪は失っていなかった。

その後、精神病院に入院して、身体拘束をされて、点滴をされた。私は恐怖と不安を感じながら、何日間も眠った。眠り疲れた頃には体調は随分回復していた。3度の食事を取り、入院患者とレクレーションをして過ごした。二週間ほどで退院して、少しずつだが仕事にも戻り、日常を取り戻した。

けれど、私の措置入院が近所の人に知られたら、私は要注意人物として世間の人に監視されなければならなくなるのだろうか。国などの機関に自分の医療情報を勝手に見られ、要注意人物としてマークされるなんてとんでもない。精神医療というものは、犯罪を抑止するものではない。精神を病んだ人が、回復できるように治療をするのが、精神医療であるはずだ。

時々、異常な事件が起こり、その犯人に精神科の通院歴が発見されると、マスコミは躍起になって騒ぎ出す。精神科の通院歴と、犯罪を起こすことは関係がない。それに、健康とされている人だって犯罪を起こす。妻が浮気をしたことで、頭にきて、妻を殺した夫は精神異常者だろうか。そもそも、事件を起こした犯人の病気をニュースで伝えなければならないのなら、殺人事件を起こした人が、高血圧だったとか、事件当時はインフルエンザだったとかまで、伝えるのが筋ではないか。

2001年に池田小学校で連続殺傷事件が起こった時、犯人が精神科に通院していたことが報道され、メディアでは精神疾患の患者を野放しにしていいのかと言う論調であった。私はこの報道で瞬く間に具合が悪くなった。私は当時、精神病院を退院したあとで、実家に引きこもり、精神科に通院するだけの毎日を送っていた。テレビで犯人の精神科の通院歴が流れている。母も何も言わない。他のチャンネルを回しても同じニュースばかりで、私はいたたまれなくなって、食事中の茶碗と箸をおいて、自分の部屋に引きこもった。昼間からカーテンをしめて布団の中に潜り込む。世界中の人が私のことを危険な人間だと責め立てているような気がした。うっすらと目を開けて天井を眺めていると、どこからか悲しみが押し寄せてきて、私の心を乱した。精神疾患の治療だけに専念していれば、自分の苦労は取り払われると思っていたが、社会には偏見というものがあって、それは自分の力ではどうにもならないのだと、ひしひしと感じた。

やまゆり園の事件は日本が障害者に対して抱えている闇を浮き彫りにした事件だと思う。

障害者をひとところに集めるというのは、社会にとって健康な状態でない。なぜ、障害があるからと言って、人里離れたところで、暮さなければならないのか。本来ならば、障害を抱えても、街の中で暮らすのが一番よいはずだ。私も障害を持っているけれど、市井の人として街の中で暮らしている。普通にスーパーで買い物をし、休みの日は映画を見て、たまには居酒屋に出かけたりする。この街中で、障害者の私は普通の人に紛れてひっそりと暮らしていて、それは、とても心地がいい。私は車椅子の人や重い障害を抱えた人に街の中で当たり前のように出会うことができるのが理想の社会だと思っている。一度、車椅子の人と街中を歩いたことがあるが、警備員の人や、運送会社の人が車椅子の人に向かって、笑顔で挨拶をしていた。きっと、こういうことが必要なのだと思う。

犯人は、障害者は周りを不幸にする存在なので、安楽死をさせられる社会にするべき、という。この言説を私は全くの間違いであると考えているが、働くことができず、税金を使うことしかできない存在が社会に必要ないというのは、一定の人が考えていることなのだろう。先日も、「LGBTは生産性がない」と言う発言が話題になったりもしたので、生産性で人間を測る人は一定数いる。

私は自分が生活保護で生きていた時期、自分は生きていてもいいのかととても不安だった。毎日、行くあてがなくて、昼間の街をぶらぶらしていると、スーパーやコンビニで働いている人がとても偉く見える。私もちょっと前まではあちら側にいたのに。私は何も生み出しておらず、ただ、全てのものを消費しているだけ。不安で足元がグラグラした。やまゆり園の犯人からしたら、私は「死んで欲しい」人間だったのだ。

しかし、一冊の本が私の考え方を変えた。横塚晃一『母よ!殺すな』である。これは脳性麻痺の子どもを母親が殺した事件が起こった時、社会が母親に同情し、減刑を望んだ裁判が元になってできた本だ。社会は、母に同情するが、殺された当事者からしたら、フザケンナ!という話だ。私たちは怒りを持って挑まなければならない。障害を持っているから、常に人の手が必要だからと言って殺される道理など一ミリもないはずだ。

脳性麻痺者の会「青い芝の会」のスローガンは「われらは愛と正義を否定する」だ。障害者のための愛と正義はエゴイズムである。ここでいう愛とは上から下への一方的な愛を指し「働けなくて可哀想だから、周りの人たちにいじめられるから、だから施設へ行ったほうがいいだろう」というようなものだ。正義とは、より健常者に近い障害者の方が幸せだという思想で、社会復帰をしないものが悪になり、リハビリを押し付ける姿勢のことをいうと私は考えている。やまゆり園の事件も「障害者のため」にこの事件を起こした。最低最悪のエゴイズムだ。

障害者は基本的に働くのが難しいし、周囲の介助を必要とする場合が多い。私も10年以上仕事につけないでいて、母と二人で暮らしていた。市役所の手続きはいつも母に手伝ってもらっていたし、食事や風呂の支度などは母に任せていた。精神科で処方された薬を飲んでいると副作用で頭が鈍くなり体が重くなる。鬱の症状が酷いと、胸がキリキリと痛み、ぽっかりと穴が空いているような空虚感が私を襲い、目からは涙がボロボロと溢れ出て、必死になって頓服薬を口にする。私は病気が酷い時は母がいないと生きていられなかった。

そんな母との暮らしは次第に息がつまるものになっていくのだが、私の母は精神障害者の家族会に入って、同じ病を持つ親と出会い、少しずつ前を向けるようになっていった。私も精神科のデイケアに行き、同じ病気の人と出会うことで、私と同じ状況の人はたくさんいることに気がついた。働かないで生きている仲間達は、ほのかに私と母を照らした。何も生み出さずとも、生きてここにいるだけでも構わないと教えてくれたのだ。

『母よ!殺すな』に、仕事もない、身の回りのこともうまくできない障害者は何なのか、と言うことについて書かれていたことはこうだ。何も生み出さず、何もできない、その体は、命そのものである、とあった。私たちは、常に自分達にどれくらいの価値があるか考え、それがなくなったらおしまいだと考えている。なぜならこの社会では価値のないものは生きている意味がないとされているからだ。このような残酷な社会だからこそ、ただの命そのものである人たちの存在は確実にこの社会の希望であると思う。命をただ、純粋に生きる。それこそが人間の真実の姿なのではないだろうか。

少し前、優生保護法で堕胎を国から強制させられた人々が国を相手に裁判を起こした。優生保護法とは、病気や障害のある子を産ませないようにするために国が避妊手術を行ったのだ。私はこれを知った時、とても心を痛めたし、そんなに古い時代でもないことに驚いた。私の父や母が若い頃にあった法律だ。まさか、ナチスと同じような思想を日本で実践していたなんてと震え上がった。

テレビで優生保護法により、子宮をとった女性が話していた。自分はずっと施設で暮らしていたが、施設の介助者が「生理は汚いもの、ないほうがいい」として、子宮を取ることを勧めたという。子宮が病気を持っているなら仕方ないが、なぜ、健康な体の器官を取らなければならないのか。他にも、パイプカットをした男性もいて、結婚をしたが、妻にずっと言えなかったと語っていた。若い頃に、精神病院に入った経験があり、そこでパイプカットを勧められたという。こうした人権侵害を国が率先して行っていたという事実。やまゆり園の犯人を国は断罪できるのだろうか。

障害者は常に社会からの強風に晒されている。だから、強い心と意思を持って立ち上がらなければならない。ひどいことをされたら怒らなければならない。怒ることができなくなったら、おしまいだ。私は今日も怒っている。

 

1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。自殺未遂の体験から再生までを振り返った著書『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)が大きな反響を呼ぶ。ツイッター:@sbsnbun、note:https://note.mu/sbsnbun、ブログ:http://sbshinbun.blog.fc2.com/