最終回 わたしの銀河鉄道の夜

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

私は小さな頃から自分が嫌いだった。それは、学校でいじめられていたことが原因だったと思う。バカにされたり、のけ者にされたりしながら学校に通い続けていた。まだ、その頃には登校拒否なんてものがなくて、学校は絶対に行かなければならないものだった。私は重い足をズルズル引きずりながら、学校へ行き、授業を受けるのが苦しくなると保健室に逃げ込んだ。クラスでバイ菌扱いされ、私と机をくっつけるのをクラスメイトは嫌がったし、グループ分けの時には、どこのグループにも入れてもらえなくて、余ってしまい、担任から「あなたがいると本当に困る」とため息を疲れた。私は自分がクラスメイトから嫌われているせいで、担任の先生を困らせていることが悲しかった。

中学生になると、いじめは激しくなり、リーダー格のバスケ部の女子は、私の両足首を握り、股間を足でガンガン蹴りつけた。私が泣いてもクラスメイトたちは止めることはせず、黙って見ているだけだったし、机を蹴っ飛ばされて、中に入っていた教科書やノートが散乱しても誰も私を助けてはくれず、私はますます他人が信じられなくなった。私は世界に対して完全に閉じていた。誰も寄せ付けず、誰も信じない。私の中に侵入できたのは、漫画だったり、本だったり、アニメーションだったりした。私は虚構の世界を取り込むことでやっと息をしていた。私がそれらを受け入れたのは、この中に私の知りたいことがあると確信していたからだ。私が欲していたのは「ほんとうの幸せ」だった。

高校生になると、家にいたくなくて、日が暮れてから夜の街をほっつき歩いた。高台に登ると広めの公園があり、子供達はみんな家に帰ってしまって、ジャングルジムやブランコなどが寂しそうに佇んでいた。目の前にあるジャングルジムによじ登ると、ペンキの剥がれた鉄棒は血とよく似た匂いがした。てっぺんまで登って腰を下ろすと、眼下に私の街が見える。団地の塊、商店街、学校。私の住んでいる街はこんなにも小さいのかとため息をつく。団地の窓の明かりはチラチラと宝石のように輝いていて、あの中で人が人を殴ったり、怒鳴りあっているのが信じられなかった。遠くから見ていれば美しいのに、家族というのは近くで見るとおぞましいものになるのだ。私は自分の家族を思い出していた。酒を飲んで暴れる父、怒鳴り合う両親。なんで結婚したのか、なんで家族になったのかわからない。しかし、私の家族もまた、あの団地の窓の明かりと同じ光を放っているのだ。

私が育った街はあまりお行儀が良くなくて、夕方になるとどこからか暴走族がゴッドファーザーのテーマを流しながら道路を走り抜けるし、花火大会の後には、南国の鳥のように華やかな特攻服を着た人たちがたくさん集まる。その紫の服の布地には「喧嘩上等」の文字が金の糸で刺繍されていた。この街では悪くなることがカッコよいとされていて、悪くなった人たちは人を殴ったり、物を盗んだりして生きていた。私はそういう人たちの中で暮らしていた。クラスメイトの女の子と一緒にスーパーに行った時、その子は陳列されているイチゴポッキーをスカートのポケットにサッと入れた。私はそれを見てとても悲しかった。

それでも私はこの街でよく生きたいと考えていた。私は図書館に通いつめ、たくさんの本を読んだ。哲学の本、宗教の本、日本文学、外国文学、児童書、絵本。本は私にいろいろなことを教えてくれて、無駄だった本は一冊もない。読書のなかで出会ったのが宮沢賢治で、私が一番好きな作家だ。私は彼の唱える犠牲的精神に憧れた。彼の作品に出てくる人々や動物たちはとても無垢で、他人の幸せを願うことを当たり前のこととしている。グスコーブドリの伝記のブドリは街を救うために自分の命を落とすことを厭わないし、銀河鉄道の夜のカンパネルラはザネリの命を助けて死んだ。私が一番好きな作品は「銀河鉄道の夜」で、何パターンもある「銀河鉄道の夜」を全て読んだ。そして、この作品の中には「幸い」というフレーズが何回も出てくる。「みんなの幸い」、「一番の幸い」、「ほんとうの幸い」、銀河鉄道の旅は「幸い」を探す旅だとも言えよう。ジョバンニは蠍の火を見た後にカンパネルラに言う。

「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならぼくのからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

私はこの言葉に心を打たれ、何回も読み返した。ああ、そうか、わかった。この世で幸せになるとは、他者のために自分を犠牲にすることなのだ。人のために生きることで、私の価値はようやく出るのだ。それなら、何度でも自分の体を差し出そうじゃないか。この無力で、無意味な私の人生と肉体。人のために差し出すことでようやく私は自由になれるのだ。私の幸いとはこれなのだ。

私は人のために自分を犠牲にしたいと考えたが、実行に移すのは難しかった。学校帰り、重い荷物を持っている老人に出会い「持ってあげましょうか」と声をかけたけれど、無視された。高校の門の前で、演劇部の人たちが、部員が足りなくて大会に出られないと言ってビラを配っているところへ声をかけた。そして、一ミリも興味のない演劇部に私は助っ人として入った。私は発声練習をしながら心の中で叫んでいた。「私は役に立っていますか」と。

高校の通学路で、鳥が車にはねられて、干からびて死んでいた。私はそれをティッシュで包み道端の土の中に埋めると、一緒に登校していたクラスメイトは私のことを気持ち悪いと言って嫌な顔をして避けるようになった。死んだ動物に触るのは気持ち悪いかもしれない。けれど、私は一つの命を必死に生きた小鳥を放っておくことができなかった。私は動物だろうが、虫だろうが、草花だろうが、全ての命あるものを自分より尊いと考えていた。そして、私の命は干からびて死んでいた小鳥より価値のないものとして映っていた。徹底的にいじめ抜かれ、友達もおらず、どこにも所属できなかった私の心はひどく病んでいて、価値のない自分に価値を出すために人の犠牲になる、そんな思考に絡め取られて行動していた。

しかし、何をやっても私の心は満たされない。そもそも、カンパネルラのように死にゆく人を救うような劇的なことは人生の中であまり起こり得ない。私にできる良いことは限られていたし、実行に移しても満足度は低かった。私は亡者のように他人の役に立ちたい、人のために犠牲になりたいと考えていた。そう考えすぎていたせいだろうか。私は大人になってから、社会の犠牲者になった。ブラックな会社に就職し、貧困に陥り、自殺を試みた。その後、精神病院に入院し、社会から放逐された。緑が生い茂る町外れにある閉鎖病棟の精神病院。あの中に入った時、私の人生は終わったのだと感じた。病院の窓は開かず、外にも出れず、毎日冷めた食事を取り、看護師に薬を口に放り込まれる。私の人としての尊厳はたやすく踏み潰された。薬によってぼんやりとした頭で窓から夜空を眺める。窓の外には星がチカチカと瞬いていた。私は憧れていたカンパネルラになれたのだろうか。

精神病院を退院して、実家に引きこもるようになった。再就職ができなかった私は、暇つぶしに文章を書くようになった。フリーペーパーとして発行したり、ミニコミと言って冊子で発行したりした。コツコツと続けていると、雑誌から取材が入り、私のミニコミは売れ始めた。インターネットが登場してからはブログも始めた。私が書くことはほとんどが自分の体験だ。精神病院に入院したこと、いじめに遭っていたこと、生活保護を受けたこと。本を出版することにもなり、私の体験はたくさんの人に読まれる機会に恵まれた。読者から温かい言葉をもらえるようになって、私はようやく少し人の役に立てたような気がしている。私は社会から放逐されたものとして文章を書いている。排除されたものにしか見えない視界で、社会を見ている。自分を犠牲にして文章を書いている私はほんの少しだけカンパネルラに近づいたのだ。(了)

※「わたしはなにも悪くない」は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。本連載は、大幅加筆のうえ単行本化の予定です。ご期待ください。