第2回 「賢夫人」という生き方 前編

真珠夫人、感傷夫人に黄昏夫人……明治以来、数多く発表されてきた「夫人小説」。はたして「夫人」とは誰のことか? そして私たちにとって「夫人」とは? 夫人像から浮かび上がる近代日本の姿!

作品名:「家庭教育 賢夫人」(『教育小説 未来之軍人〈もののふ〉』所収)はるの舎〈や〉主人 1895(明治28)年

さて、夫人と名のつく小説「夫人小説」を時代順に並べる、などと意気込んではみたもののどの作品を端緒とするかという問題がすでに悩ましい。

いくつかの文学年表をひもといてみると、どうやら武田仰天子『竹夫人 鐵如意』(志がらみ草紙、明治24年)が最初のようだが、「竹夫人」とは夏用の竹製の抱き枕のことであり、夫人と名がつくとはいえさすがにこれを「夫人小説」に入れるわけにはいくまい。

国会図書館サーチ(NDL-OPAC)で検索すると所蔵作品中最古のものは「はるの舎主人」の「家庭教育賢夫人」と出る(評伝や翻訳作品、詩歌は除く)。はるの舎主人、つまり坪内逍遥である。

逍遥といえば小説家であり翻訳家であり劇作家であり、東京専門学校(現・早稲田大学)で教鞭をとった教育者でもある。日本初の小説論といわれる『小説神髄』とその実作『当世書生気質』が書かれたのは本作の10年前、そして6年前に発表した『細君』を最後に小説については断筆を決心している。では、なにゆえその後に小説を、しかも専門ではない「家庭教育」や「賢夫人」についてものしたのか、という謎はしばし置いておいてまずは内容をざっと紹介しておこう。

「土一升金一升」と謳われる一等地日本橋の大邸宅に住む、財産家の夫とその妻で子爵の出である春子(この人が「賢夫人」)、娘の文子の三人家族がこの物語の主役である。四つの小話で構成され、第一回で4歳だった文子が第四回では小学生に成長し、それぞれの年頃に向けた母の教育が示される。例えば4歳の文子が針で障子に穴を開けるいたずらをしたときは「嬢や、おまえ針をおもちゃにすると手々いたいいたいするよ」と声をかけるのみ。怪我をしたところで初めて優しく諌めるが、ふと障子の穴が直列であることに気がつき「是れぞ即ち幾何の観念の芽出しー工夫力の卵!」と天啓を得る。そして錐を渡し、紙に四角や三角を穿たせて「ソラ四角お箱のようなものができましたよ」「何に似ているだろうねえ……富士のお山かね」と励ましながら工作の授業に突入していくのである。危険を察知しても過度に干渉せず、子どもにあえて体験させて自主性を養い、あまつさえそこから新たな勉強に繋げるなんて方法は、現代でも十分理想の子育てとされるだろう。また「第四回恵みの露」では、学校から帰宅した文子に今日習った「修身の格言と事実」を報告させ、事前に丸をつけて選んでおいた新聞記事を読ませるなど、春子の隙のない教育ママぶりには思わず、よっ、完璧主義のセレブママ! と126年先から声をかけたいくらいである。なにしろ新聞を読んだ文子令嬢、貧乏車夫の話にいたく心を動かされて小遣いを新聞社付けで送ることまで決意するのだ。小学生にしてノブレス・オブリージュ(持てる者の義務)の実践者とは、この母にしてこの子あり。

とはいうものの、乳母も下女もいるようなお金持ちの奥様が優雅に子どもを教化する話を読まされても鼻白まないでもない……などと思いながら「緒言」を読むと、逍遥は「(引用者注:子供にとって)家庭教育の良否〈よしあし〉は大いに学校教育に影響〈さしひびき〉するものなれり」との信念を胸に、日々忙しい親たちに読みやすいよう小説体に書き下したとおっしゃる。つまり、この本は小説というより世の夫人たちへの啓蒙書なのである。どうりでつまら……いや、教科書的だったわけだ。では、逍遥がなぜこんな啓蒙書に手を出したのか。

その謎を解くカギは明治28年という出版時期にある。

日清戦争に勝ったこの頃は、欧化主義の反動による国粋化の時代で、いわゆる良妻賢母教育まっただ中である。本のタイトルにもあるように『未来之軍人』として国家の財産である子どもの教育を家庭の中から徹底せよ、それは家事や育児を取り仕切る母(夫人)の領分であるという思想が逍遥をして執筆に駆り立てたと思われる。とはいえ、教育勅語を「経文」化して唱える式のものであってはならないという信念もあった。実は逍遥、本作発行の約1ヵ月前に早稲田中学校創立時の教頭職に推挙されている。これにあたり、中学校や小学校に足を運び、大量の国内外の倫理本に目を通したといい、本作にある「泰西大家の理説」、「彼〈か〉の英国に名も高きスペンサー翁が著しし如く」といった文言もそれを裏付ける。スペンサー翁とはイギリスの社会学者で哲学者ハーバート・スペンサーのこと。現代ではほとんど読まれなくなったが、明治10〜20年代には『教育論』『社会組織論』などの著作が50以上も翻訳されて「スペンサーの時代」と呼ばれるほどの一大ブームを築いた。その教育論は、子供を叩いたり脅したりしていうことを聞かせる強制的方法ではなく、愛情と信頼を軸に道徳的感情と共感力を育てて支配すべし、というもの。まさに「家庭教育 賢夫人」そのもので、取材と資料から導きだされたひとつの成果が本作だったと思われるのだ。

とはいえ、そんな理想的な家庭教育、それ以前に理想的な生活をしていた人が世間にどれほどいたかといえば心もとない。そもそも春子は子爵の出だが、爵位のある家つまり華族は明治28年当時、人口の0.01%(『華族青年会雑誌』)でしかなかった。ほぼ雲の上の人と言ってもいい。また春子は「某貴婦人学校」を出、娘の文子も後に女学校を出ているが(実は明治28年に文子は結婚したというオチが最後に付け加えられている。つまり4歳の頃の話は明治15年前後なのだ)、文子と年齢的に近い与謝野晶子は小学校ではなく漢学塾(私塾)に行った後、女学校の技芸科(家政学)に通っている。明治15年の女子小学生の就学率は30%程度(『学制百年史』)、大半の子は家業の手伝いをしたり針仕事で賃金を得たり工場勤め、女中奉公に出たりしていたのだ。そう考えると、本書「家庭教育 賢夫人」がいかに限られた人々に向けられていたかがわかるというもの。

しかし、これより7〜8年後となると様相が変わってくる。そんな時代の「賢夫人」小説2篇を、後編ではご紹介しよう。


※本作品は国会図書館サーチ(NDL-OPAC)の書誌情報には「著者標目 坪内,逍遥」とあるものの、『坪内逍遥選集』(第一書房、昭和53年)、『坪内逍遥事典』(平凡社、昭和61年)、瀧田貞治『逍遥書誌』(国書刊行会、昭和51年)などに記載がない。時期的、内容的に間違いないと考えるが、識者のご教示を待ちたい。
〈おもな参考文献〉
『近代日本文学大系25 日本小説年表附総目録』(国民図書)
高野辰之 本間久雄編『新訂 日本文学年表 日本文学全史 巻十五』(東京堂)
宗像和重 山本芳明編『編年体 大正文学全集1912-1926 別巻 大正文学年表・年鑑』(ゆまに書房)
『総覧シリーズ 明治・大正・昭和文学作品総覧 ―作者・書名・作品索引―』(教育出版センター)
小田切進編『日本近代文学年表』(小学館)
『編年体文学史 文学明治100年 編年体文学史(国文学六月臨時増刊号)』(学燈社)

 

兵庫県生まれ、東京育ち。文筆家、デザイナー、挿話蒐集家。著書『20世紀破天荒セレブ――ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝――莫蓮女と少女ギャング団』(河出書房新社)、近刊に『戦前尖端語辞典』(左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)。2022年3月に『明治大正昭和 不良少女伝』がちくま文庫となる。唄のユニット「2525稼業」所属。
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第1回 はじめに

真珠夫人、感傷夫人に黄昏夫人……明治以来、数多く発表されてきた「夫人小説」。はたして「夫人」とは誰のことか? そして私たちにとって「夫人」とは? 夫人像から浮かび上がる近代日本の姿!

「小説」という概念が登場してこのかた、実にさまざまなジャンルが誕生した。

「冒険小説」「探偵小説」「ミステリー小説」など形式の分類もあれば、日本では「観念小説」「深刻(悲惨)小説」「中間小説」など概念やポジショニングを表すものもあり、それはそれは把握しきれないほど多岐にわたるが、そんな小説分類法に今日さらなるジャンル「夫人小説」を加えようという不心得者が現れた。筆者である。

発想の発端は、『○○夫人』と名のつく小説って世の中にどれくらいあるのだろうという素朴な疑問から。既に読んだ作品を思い出してみても、チャタレイ夫人(『チャタレイ夫人の恋人』)、エマニュエル夫人、ボヴァリー夫人、ダロウェイ夫人、ウィンダミア卿夫人(『ウィンダミア卿夫人の扇』)、真珠夫人、武蔵野夫人……といくつでも挙げられる。これはもしや宝の山では! と思い、他にもないかと調べたら軽く2~300作品は見つかった。絶版本や雑誌発表のみの作品を含めるともしかしたら倍くらいにはなるかもしれない。最近あまり聞かなくなった「夫人」タイトルだが、一昔前が真空パックされたような懐かしい良さもある。これらを「夫人小説」と称して分類することで何かが見えてくるかもしれないと考えたのだ。

ここであらためて「夫人」についてもさらっておこう。

「夫人」は夫の人と書き、既婚女性の呼称である。語源には諸説あるが、現在のような使われ方は外交の場に夫婦ペアで登場するようになった明治の欧化政策時代といわれている。つまり、初期の「夫人」は上流階級、支配階級の奥様と同義であり、女房、おかみさん、嬶などとは一線を画す存在だった。それが次第に誰かの奥さん程度の言葉となり、現代では「妻で母で女です」というどこかのキャッチコピーではないが一人何役もこなす女性が理想とされ、「夫人」は男性に隷属しているかのような印象を持たれてあまり使われなくなってしまった。懐かしさ、の理由はこんなところにあるのだろう。

とはいえ、「夫人小説」には、まだまだある種のときめきがある。その正体は秘密めかした雰囲気とでもいおうか。「小説」という虚構の膜と、他人の妻というもうひとつの膜によって「夫人小説」の世界は宿命的に二重にくるまれている。そのうえ夫人が秘密を持っていれば膜は三重にも四重にも厚くなる。隠されれば見たくなるのが人の性、タイトル『○○夫人』の持つあざとさが21世紀の今でも通用する所以だろう。

エポックメイキングな作品が多いのも「夫人小説」の特徴だ。

国木田独歩『鎌倉夫人』はモデル問題で物議を醸したし、菊池寛『真珠夫人』はその後のいわゆる「通俗小説」の方向性を大きく示した。織田作之助『土曜夫人』は作者死亡で未完ながら映画化され流行語になり(この展開は他の「夫人小説」にも散見される)、大岡昇平『武蔵野夫人』はレイモン・ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』(この小説はドルジェル伯夫人が主人公にも関わらずタイトルに「夫人」がないのがいかにも惜しい)にオマージュを捧げている。

ちなみに、「夫人小説」は著名な作家も密かに(?)手を染めている。

坪内逍遥、森鴎外、泉鏡花、太宰治、萩原朔太郎、島崎藤村、夢野久作、岡本かの子、神近市子、野上弥生子、宇野千代、横溝正史、平林たい子、源氏鶏太、塩田丸男、佐藤愛子、変わり種ではC・W・ ニコルなんて人も。

また、エロとの親和性が高いためか発禁本も多い。有名どころの『ボヴァリー夫人』『チャタレイ夫人の恋人』は本国だけでなく邦訳本も発禁。国内作品では、戦前に生田葵山『富美子夫人』の前編に当たる『富美子姫』が風紀紊乱のかどで発禁となり、戦後にはカストリ雑誌に連載されていた北川千代三『H大佐夫人』が戦後第一号の発禁本になった(エロといえば官能小説界の「夫人」人気は不動で、一人で23作品をものした作家もいるほど)。

そんな、何かと世間を騒がせてきた「夫人小説」の高いポテンシャルを確かめるべく、できるだけ集めて読んで代表的な作品を時代順に並べてみようというのが「夫人小説大全」のテーマである。「夫人小説」に現れた夫人(女性)、世相、風俗描写を通して読者に求められ、受け入れられてきた近現代日本の夫人像の変遷が見えてきたらしめたもの。何が出るかは筆者にもまだわからない。みなさんと一緒に楽しんでいければと思っている。

兵庫県生まれ、東京育ち。文筆家、デザイナー、挿話蒐集家。著書『20世紀破天荒セレブ――ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝――莫蓮女と少女ギャング団』(河出書房新社)、近刊に『戦前尖端語辞典』(左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)。2022年3月に『明治大正昭和 不良少女伝』がちくま文庫となる。唄のユニット「2525稼業」所属。
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