第3回 3月25日/4月4日

作家・柴崎友香による日誌。「なにかとしんどいここしばらくの中で、「きっちりできへんかったから自分はだめ」みたいな気持ちをなるべく減らしたい、というか、そんなんいらんようになったらええな」という考えのもとにつづられる日々のこと。「てきとうに、暮らしたい」、その格闘の記録。

3月25日

「3月25日、と書いたけれども、ほんとうの3月25日になにをしていたか、どんなことを思っていたかはよく覚えていなくて、スケジュール帳を見たらその日にはなにも書いてなかったのでこの日にしてみた」


3月25日、と書いたけれども、ほんとうの3月25日になにをしていたか、どんなことを思っていたかはよく覚えていなくて、スケジュール帳を見たらその日にはなにも書いてなかったのでこの日にしてみた。

日記を書くのが苦手、というのは、続けることが苦手、宿題をやるのが苦手、てことやとずっと思ってたけども、去年20日だけ書いてた日記とか、10年書いてる「よう知らんけど日記」とか、あと最近は文芸誌なんかで日記企画があって、特に去年はコロナ禍で外出できないから世界中で日記を書く&読まれるてことがあり、そういう中で自分の「日記」も読まれて、そうするとどうも「日記」自体がなんか自分にはなじめないものなんやなと思うようになった。

実は、継続しなくて1日だけでも日記を書くのは苦手で、たぶんわたしは文章を誰かに読まれる前提でないと書けないし、誰にも見せない日記でも自分のことを書くのがいやみたいやねんな。

さんざん書いてるじゃないですか、と言われそうやけども、こうして人に読まれる前提で書いている文章は材料が自分のことであって自分についてではないというか、なんて表現したらいいんやろうな。これについてはもっと考えることがありそうなので、そのうちにまた書くと思うけど、ともかくも自分のことを書くのは好きじゃない。家にある紙のノートに自分の今日した行動を書くと、いやになってしまう。なんやろな、これ。

今年の初めに読んだアンナ・バーンズの『ミルクマン』て小説が、ひたすら語り手の18歳女子の独白、ほぼしゃべり言葉で改行もなくびっしりずっとしゃべり続けるような文体で、しかしそうやってしゃべり続けること、言葉で表現し続けること(彼女は19世紀の小説を歩いているときも読んでいる)が、厳しい状況の周りの世界にのみ込まれないように抵抗することになってて、ほんとうにおもしろい素晴らしい小説やったんやけども、わたしももしかしたら誰か(特定の誰かではない誰か)に向かって書き続けることで自分を保ってきたのかもしれない、子供のころからずっと。

ということで、25日て書いたけども、だいたい3月の後半のこと。

2回目の緊急事態宣言が当初3月7日までだったのが21日まで延長され、去年の緊急事態宣言中に比べると、一般の人はだいたいの対策はできるようになってて(去年の緊急事態宣言中はまだマスクとか消毒用アルコールも店頭にやっとときどきあるようになってきたくらいの感じだったことを、忘れていってるなって思う)、休業要請も前回に比べると厳しくなくて、とにかく飲食店が厳しい、人と会ってしゃべる機会がなくてつらい、という感覚が強い。というのはわたしが家で仕事してるからであって、通勤したり実際に関係のある職場だとなにが大変か、どういうふうに変わったか、体感してることは全然違うのだとも思う。

飲食店が早く閉まって、それは夜の飲食店の営業としてはかなり無理がある時間で、7時ごろに前を通ってお客さんの姿があったらちょっとほっとしたりもするけど、この制限の中で開けてるも休業するのもほんまにしんどいやろうなと店の前を通るたびに気が気でない(家が自営業やし飲食バイトの経験もあるので、食材の仕入れとか雇用とかあれこれ考えてしまう)。

近くの商店街では年が明けてすぐにチェーン店も個人経営の店も数軒が相次いで閉店してしまった。早く帰らないとごはんが食べられないというのもあるし、街の中心部にある飲食以外の店も開けててもお客さんが少ないとも聞いた。

だから制限しないでほしいというのではなくて、今接触の機会を減らさないとあかんのは当然のことやし、いちばん大変なのは医療関係やし、だから補償をしっかりやって、お店の人自身も感染の不安はあるやろうし、休めるようにしてほしいと思う。

わたしはほぼ家で外に出るのは近所のスーパーぐらいやけど、映画館だけはときどき行ってて、自分が行く映画の傾向からしてそんなに混んでることはないし、一人で行って一人で帰ってきて、その時間にとても助けられてもいる。

感染者数もまだまだ多いし、変異株で大変なことになってる外国のニュースも入ってきてて、毎日のニュースでは東京何人、大阪何人とかなりの感染者数が伝えられて、人には会えないけど飲食以外の仕事はだいたい通常通りのようで電車もまあまあ混んでて、アメリカの大学に勤める人から来たメールにはワクチンの接種が進んでいて秋からは大学は通常の授業になりそうと書いてあり、あるところと別のところと、同じ日本でもニュースやSNSと自分の身の回りで見ることと、あまりに状況が違って、今現在の状況がうまくつかめなくなってる。自分が立ってるところがわからんようになる。

21日に緊急事態宣言が解除になり、でも感染者数は数百人のままで、去年の緊急事態宣言が終わるときのようなちょっとした明るさみたいなものはなくて(あのときだって、明けた! ていう感覚は警戒されてけど)、ほんまにだいじょうぶなん、ていう不安感ばかりがある。

わたしは毎年桜の季節は時間の早さに焦ってしまうねんけど、今年は焦ることすらも間に合わないまま、あっちゅうまに咲いてあっちゅうまに雨風で散って、去年から時間の感覚がようわからんようになってるよね。

 

4月4日

「審査員をしてる写真の町東川賞の授賞式と写真展のオープニングイベントがあり、北海道の東川町(旭川の隣です)に行って帰ってきたのが1日」


審査員をしてる写真の町東川賞の授賞式と写真展のオープニングイベントがあり、北海道の東川町(旭川の隣です)に行って帰ってきたのが1日。

がらんとした羽田空港から1年半ぶりに飛行機に乗り、いつもなら夏休みに町のお祭りといっしょに開催されて賑やかな受賞イベントと違って参加者もごくごく限られた関係者だけで雪がまだ残ってて寒くて静かな風景もよかったし参加された第36回の受賞者のみなさん(国内作家賞の長島有里枝さん、新人作家賞の上原沙也加さん、特別作家賞の高橋健太郎さん)や審査員、東川町のスタッフのみなさんとお話できたのはとても楽しかった。

それから、3日。旅行の荷物は、とりあえず中身は全部出して空にしたキャリーバッグを直す(大阪弁で「しまう」「片付ける」の意味。わかってても感覚的にどうしてもこれでないと落ち着かない大阪弁の一つがこの「直す」なので、このあとも場合によって書いてしまいますが、変換して読んでください。共通語的には「修理する」なのやけど、つまり「しまう」「片付ける」も「元の状態に戻す」やから、「直す」)まではできるようになってんけども、出した細々したものが床にだばーっとある状態が3日目。とりあえず洗濯するものはしたけど(干して取り入れた状態で積んであるけど)、年度末に3日家を空けてた分の仕事をやらなあかんのが次々とあって、すぐ使わへんものとかが転がったままになってる。

前は、キャリーを開いた状態のまま1週間ぐらいそこから物を取りだしてたりしたので、そこから比べたらましにはなったかな。

わたしには「出した物を戻す」が難しくて、しかもきっちりしてないのに、たとえば本棚で何巻かあるものが数字通りに並んでないのはつらくて、床に転がってる状態なら揃ってなくても気にならないというような、ややこしいところがあり、後で並べよう、がどんどん積もって収集つかなくなってる状態が通常。

「てきとうに暮らす」こととして、たぶん、片付けたいとか、物を減らしたいとか、何回も書くことになると思うけど、それは昨今人気の、最小限の物だけで生活するとか、執着を手放して大量に捨てるとか、そんな状態とはかけ離れていて、部屋の中で動くと体が当たって物がぼたぼた落ちてくるとか、そのうち床にある物を踏んで滑って大怪我するのではないかとか、そういう次元の話で、生活上困ってるのでもうちょっとましにしたい、ということです。

東京に来ると同時に一人暮らしを始め、そこから今の部屋で5軒目なんやけども、引っ越しを繰り返して学んだことは、収納家具は増やさない、便利グッズも増やさない、やね。入れるところを増やしたら物も増えるだけやし、便利グッズ的なものはたまーに、50個に1個ぐらい当たりがあるけど、たいていは微妙で、用途が限られてるから他に使いようがなかったりするし。

それと片付け本や片付け特集の雑誌を買ってはそれがまた積まれて場所を取っているて人もきっとわたしだけじゃないと願って書きますが、そこに載ってるやり方も自分に向いてるのと向いてないのがあるから向いてそうなのを判別するのもだいじやね。

よくおしゃれに片付いた部屋紹介の写真で、真っ白い同じ大きさの箱や蓋付きの収納ケースに入れたのが無印良品の木製の棚っぽいのにずらっと並んで、こんなすっきりした部屋やったらええのう、と無言で見つめてしまうことがありますが、わたしは、蓋があるものは無理。蓋を開ける、閉めて元に戻す、と行動が2段階になった段階で脳が拒否するというか、箱に入れるのが面倒で放置&箱は開けないので一度入れたものは出さないかどんどん溜まってブラックボックスになるか。さらに、箱やケースが不透明で中が見えないのもつらい。わたしにとっては、見えないものは存在が消えるんですね。だから、探せない、あるとわかってる物をまた買うことが起こりがち。

今の部屋は、LDKのLD部分をごはん食べるところと仕事するところにあててて、スペースは分けてるけど壁はなくて見渡せる状態で、なにがどうなってるか把握できるようにしてる。

寝るところだけは、仕事してるときに目に入らないようにしたい(見ると眠たくなるので意識から消しとく)ので、別のちっちゃい部屋にしてる。そこはクローゼットにもしてるので服の中で寝てるような状態なんやけども、わたしは狭いとことかが落ち着くタイプやしちょうどいい感じ。

引き出しやファイルボックス(蓋なし)は、半透明か窓部分があって中がわかるものを使ってる。こういうのは、発達障害に関する本を読んでいてわかるようになったのも大きい。今は、発達障害やその傾向がある人がどうやって生活を工夫するかの本がたくさんあって、わたしは特に診断を受けたりとかではないけども、あ、これは使えるかも、確かにそういうとこ(見えなくなると把握できなくなるとか)あるわ、と気づいて取り入れられることがたくさんあって助かってる。

わたしが若いときは収納の実例は紹介されてはいたけど、その人の偏り別に理由とやり方を示してくれるものはほとんどなくて、やみくもに、片づいたおしゃれな部屋の人いいなー、できひん自分はあかんなー、と思うだけやったので、いろいろ知るのは楽しい。

人によって違うから、引き出しの中身がうっすら見えてるのがとてもいや、ていう人もいるやろうし、蓋できっちり閉まるところに出し入れすることが苦じゃなくて落ち着くていう人もいるやろうし、わたしがここに書くのは誰か役に立つ人がおったらええな、ということで、これがとにかくおすすめというのではないです。自分もまだいろいろやってみてる途中やしね。

いちばんに思うのは、できへんから、片付いてないから自分はあかんと思わんでもいいようになったらいいなということで、人にはほんまに向き不向き、できることできないことがあって、たとえばわたしは地図や方向が非常に得意な性質で道に迷う体験をしてみたいのにどこかすぐにわかってしまうくらいの感じなんやけども、身近な人に地図も普通に道歩いてての方向も把握するのがものすごく苦手な人が何人もいてる。

わたしはその感覚ってどんなんか知りたいとは思うけど、なんでできへんのやろとかそれで道に迷って遅れるのはあかん人やとか思わないし(たまに「こういうふうにすれば」といわゆるマンスプレイニング的なことを言いかけることがあるので気をつけてる)、そういう「ちょっと違う」とこがあるだけやん、て、わたしができないことを納得したいだけなのかもしれへんけど。

あ、あと地震やね。地震のとき、今の大量の物のだばーっとなった部屋では危ないし片付ける(こういうときは「直す」じゃなくて「片付ける」を使う)のも大変なんで、もうちょっとどうにかしたい、というとても物理的な話です。

ちょっとずつ、やっていこ。それで1週間ぐらいで旅行の荷物は9割は片付いて、でも何個かは部屋の中をさまよい続けることになるね。

 

 

1973年大阪生まれ。小説家。2000年に『きょうのできごと』(河出文庫)を刊行、同作は2003年に映画化される。2007年に『その街の今は』(新潮文庫)で織田作之助賞大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』(河出文庫)で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』(文春文庫)で芥川賞受賞。街や場所と記憶や時間について書いている。近著は『百年と一日』(筑摩書房)、岸政彦さんとの共著『大阪』(河出書房新社)、『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、『パノララ』(講談社文庫)など。

第2回 3月4日/3月9日

作家・柴崎友香による日誌。「なにかとしんどいここしばらくの中で、「きっちりできへんかったから自分はだめ」みたいな気持ちをなるべく減らしたい、というか、そんなんいらんようになったらええな」という考えのもとにつづられる日々のこと。「てきとうに、暮らしたい」、その格闘の記録。

3月4日

「去年の緊急事態宣言のときに、noteに日記を書いてみようと思ったのは、いちばんはたぶん自分がしゃべりたかったからだった」


去年の緊急事態宣言のときに、noteに日記を書いてみようと思ったのは、いちばんはたぶん自分がしゃべりたかったからだった。人と話す機会がほぼなくなってしまった一方で、どんどん変わっていく状況やツイッターに流れてくるこの事態に対応するための政策についてのあれこれやら、情報ばかり入ってきて、それを誰かと話したい、という気持ちに近かったと思う。

あっちこっちで何回も書いているとおりにわたしは日記を書けたことがなく、小学校の宿題の日記もまとめててきとうなことを書いていたのやけど(作家にはけっこう多い、というのはわたしの狭い観測範囲で偏ってるかもしれないので、作家の知人で宿題の日記はてきとうなこと書いてたって話は何人も聞いた、にしとく)、だからnoteに書いてた日記が20日ぐらい続いたのは新記録だった。それも毎日とちゃうけど。日記が書けなくてこの連載のタイトルも「日誌」にした話はまたおいおい書くことにして、ともかく今はそれ以来の、2度目の緊急事態宣言中になる。

去年の4月5月に書いてたことを読み返すと、今とだいぶちゃうなと思うし、このときの感覚をもうだいぶ忘れてるなと思うし、このときは来年の春がこんな感じとは思ってなかったよな、と思う。何か月かしたらイベントできるかも、みたいな話もまだしてたし。

あれから、人に会ったり、仕事のインタビューを受けたりすると、なにか変わりましたか、作家の人はあまり変わらないと聞きます、てよく言われる。

わたしは小説を書くとき、登場人物の仕事だけは取材したり人から話を聞かないと書けなくて(他のことも調べたり取材したりするけど、仕事は特にそれなしでは書けない)、仕事って同じ業界や職種でも個別にかなり違ってて、その個別の具体的な行動にリアリティが必要と思うからなんやけども、取材するときは「業務内容は?」と質問するよりも「仕事の一日はなにをしてるか朝から順番に教えてください」と聞いたほうがよくわかる、との結論に達した。少なくとも、わたしが書く小説ではそういうふうに聞いたことのほうが必要になる。

ほんで、「仕事の一日なにしてるか?」的には、変わらないと言えば変わらない。家にいるし、机でパソコン開いて書いて、本読んで。新刊が出たときに書店を訪問することやお客さんを入れてのトークイベントは難しくなったけど、演劇やライブのように活動自体が困難というわけでもない。在宅する人が増えて、かえって本は読まれてるって話も聞く。

わたしは特に変わっていないほうだろう。この数年続いていた外国へ行く仕事がなくなったけど、たとえば子供の学校や家族の仕事の対応で大変で、ということもない。作家の方は生活が変わらないですよね、と言われるたび、確かにそうやけど、でも、ぜんぜん違う、と思う。1年前と今と、ものすごく違うし、この1年の生活は表面的には変わらないように見えても中身?  なんて言うたらええやろ、表面の下にあるものはぜんぜん違う。

昨日、仕事で電車に乗った。電車に乗ると、みんな通勤してはるんやな、と思う。そんなの当たり前、と言われるやろうけども、その当たり前が遠のいてしまってるというか、ずっと家にいて、出かけるのは近所のスーパーぐらいで、それにあまりにも慣れてしまって、自分以外の人の生活が目に入る機会がすごく減ったことを、電車に乗る度に思う。そもそも東京に来てからは通勤通学の経験はないのやけど、それでも、前はそれなりに電車に乗る機会があって、通勤したり出かけたりする人で混み合ってる世界を体感しながら暮らしてたんやな、と気づく。

ほとんど家にいる、「不要不急の」外出を避ける、ということは、身近な限られたところ以外を見る機会がとても少なくなる。今通勤してる人がどれくらいいるかとか、厳しい状況でたとえば医療機関で働いてる人がいるとか、一方では繁華街のお店がどれくらい閉店してしまってるかとか、そういうことがうっかりすると意識から抜けてしまうような感覚を、普段は気づくことも少ない。だから久しぶりに遠く(と行っても電車の乗り換えがあるとかそれくらい)へ行ったときに、あれ? と、今まで自分がなんか世の中からずれた場所にいたんちゃうか、みたいに思ってはっとする。

そういう、今の生活の大変さというか、街で人がどんなふうに働いてるかの体感が持ちにくいわたしが、なにをどういうふうに書けるんやろうなあ、とその気持ちは濃くなったり薄くなったりしながらずっとある。

変わったようには見えないこともすごく変わったと思う。

それとわたしは、賑やかな、夜も煌々と明るい街が好きなんやけど、それは別に自分自身がそこで飲み会やら夜遊びやらしょっちゅうするわけでなくて、ただそこをみんな元気やなあ、あほなことして騒いでんなあ、みたいなことを思いながら歩くのが好きで、繁華街歩いてるときだけかと思ってたけど、実は家にいてても、どこかで誰かが楽しかったりあほなことしてたりすることにほっとしてたというか、自分は夏に海に行ったりもせえへんねんけど(最後に海で泳いだのは32年前。あ、4年前にフィリピンに行ったとき一瞬だけ海に入ったか)、夏になったら海に出かける人がようさんおって楽しそうで夏やなー、ていうことに支えられてたんやな、って、この状況になってすごい思った。

こういうことを書くと、人の幸せを願ってるいい人、みたいに思われたり、日々の暮らしにささやかな幸せを見つけるポジティブな意識、のようにとらえられたりすることもあるんやけども、そういうのではなくて、世の中が殺伐としてたりさびしそうなんより楽しそうなほうがわたしも楽やし、自分は海に行くの億劫やけど(暑いし)、誰かが行ってくれたらええなー、と思うんよね。

ほんで、それがない去年はずっとさびしくてつらい気持ちがあった。

変わらないですよね、と言われるたび、すごく変わった、と思う。

すごく変わったことが見えにくいのが、今回の状況で、でも実は、表面的には変わらないように見えてただけやったことがもっとようさんあったんちゃうん、というのが、この20年、30年ぐらいのことのような気もしてる。

 

3月9日

「年末にぺらぺらの鍋を買った」


年末にぺらぺらの鍋を買った。

スーパーの生活用品売り場で安売りされていた鍋で、「一人用鍋」として使う鍋。なんか軽い鍋がほしいなと思ってた。家には小型の土鍋と、ストウブていう鋳物鍋のええやつがあって、どちらも鍋としての性能はたいへんよい。特にストウブは、ずっとほしかったのがカタログギフト的なものをもらう機会があってそれで入手したものなのやけども、確かに料理もおいしくできるし、これでごはん炊くととてもいい。土鍋も、わたしは冬は毎日晩ごはんは鍋でいいので長らく活躍してきた。

でも、重い。重いねんなー。この重さ、分厚さがおいしさの秘訣、なのはわかってて、実際その有り難みを感じてどちらの鍋も好きなのやけど、このところ急速に重いものが、すごくいやではないけども、ちょっと億劫な感じがしてしまう。

重いと、それ自体よりも、わたしの場合は他の食器を割ってしまう危険がある。あんまりきっちりしてない、というより、かなり雑でこまごましたことができないので、落としたりぶつけたりして、そうすると重い物はほかの物が割れやすい。去年は、これらの鍋ではないが、不安定なところに置いていた物が連鎖的に落ちて、レンジオーブンの中のセラミックのお皿を割ってしまって、メーカーからそれを取り寄せようと思ったら5000円! まじで! ていう事件と、やっぱりなんか落としてまとめて割れて、ガラスのピッチャーが殺人兵器の作り方かとつっこみたくなるぐらいに凶器な割れ方をしてどこをどう片付けようとしても怪我をしそうで大変という事件があった。

わたしが唯一集めてると言ってもいいファイヤーキングとかのミルクガラスの食器、分厚くて重くて白とか翡翠色のアメリカのダイナーとかで昔使ってた感じの食器、それのマグカップを会社員時代に会社でも使ってたんやけど、お昼休みにお弁当食べてたグループ(みなさんは作ったお弁当でわたしだけコンビニで買ってた)の6人分のお茶を入れて運んでたお盆を落とし、全員のマグカップを割ったのに自分のだけ無事やったという事件もありました。ファイヤーキング、頑丈なんは保証するで。

それで、スーパーで売られてた安い薄い鍋を見て、ああいうののほうが使いやすいかもしらん、と気になり、2週間ぐらい逡巡したあと、買ってみた。結果としては、めっちゃええやんこれ、気軽に使えるし洗うのも片付けるのも楽やし。

そういや、昭和の家の台所にあったんってぺらぺらの鍋やったよな。アルマイトとかアルミとか、おばあちゃんの使ってる鍋ってそういうので、それでおいしいものできてたよな、と思ったのでした。とはいえ、わたしが買った鍋は、ステンレスでマーブルコートでぺらぺらって言いつつも、昭和のぺらぺらに比べたらえらいしっかりした物体で、なにをするにもかなり便利です。プラスチックの独立した取っ手がなくて、縁の一部が持ち手になってるだけなので鍋つかみ必須、料理してる途中に動かすのがちょっと不便、ぐらいかな。

わたしは自分の育った家が、冬はひたすら毎日鍋、それもいろんな味つけや具が変わるとかではなくて、昆布の出汁に毎回同じ中身やって、だから冬になったら毎日鍋で考えんでいいから楽やな、野菜食べれるし、今はいろんな種類の鍋のだし売ってるし、って生活を15年やってきてたのやけど、この冬はあんまり鍋をしなかった。せっかく鍋用にぺらぺらの鍋を買ったのに、鍋っぽいことは数えるほどしかやらなかった。なんでなのかはわからない。

一つは、出かけない生活が続いてるから、作ることに飽きてるんやろなと思う。自宅生活になって料理を始めたとか充実してるという話もよく聞いて、ええなあ、と思うけども、わたしは逆で完全にめんどくささがうなぎ登りになっており、作ってないわけではないねんけど、めちゃめちゃてきとうな、買ってきたもんになんか足す、ぐらいの感じになっている。人と食べに行くことがなくってめりはりがないとか、そういうことなんやと思うけど。

作りたい気持ちだけはあって、料理の本はつい買ってしまって、「NHK きょうの料理ビギナーズ」も毎月買ってしまうねんけど、そこに載ってた豚肉とごぼうのスープがおいしそうで、それで通販サイトで送料無料まであと500円! なときにキャロットラペのにんじんを作るピーラーを買って、それでごぼうをしゅっとやってみたら、なにこれ! すごいやん! とあっというまにささがき? 千切り? のごぼうができ、ぺらぺらの鍋でスープを作ったらとてもおいしかったです。便利な道具、えらい。

家族の分も作る方が大変やろな、めりはりがあって作る気するやろか、と考えてもいる。1年前から生活が変わって、毎日毎日作らなあかんものが増えてたら、その労力はやっぱり蓄積していくような気がするけど、どうしてはるのやろう。

ごはん食べるって、大変やんな。

 

 

 

1973年大阪生まれ。小説家。2000年に『きょうのできごと』(河出文庫)を刊行、同作は2003年に映画化される。2007年に『その街の今は』(新潮文庫)で織田作之助賞大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』(河出文庫)で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』(文春文庫)で芥川賞受賞。街や場所と記憶や時間について書いている。近著は『百年と一日』(筑摩書房)、岸政彦さんとの共著『大阪』(河出書房新社)、『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、『パノララ』(講談社文庫)など。