第4回 つややかな舌

やさしい夫がいて、かわいい子どもがいて、食卓には笑いがたえなくて。実家の両親はたのしく暮らしているし、おばあちゃんも気丈で元気だ。なのにどうしてこんなに不安で怖いのだろう。明日あの角を曲がると、奈落が待ち構えているのかもしれない……。誰も死んでほしくない。死なれたくない。なにげない日々の出来事から生の光と死の影が交錯する、おだやかで激しい日常の物語。

お盆に久しぶりに実家に帰ると、廊下にあったはずの大量の箱ティッシュが消えていた。ストックと言える量を超えて溢れ出した箱ティッシュは廊下にタワーのように積み重なって、もはやドラッグストアの店頭のようであった。それが見事になくなっている。あれ、あの廊下にあったティッシュどこいったの? と母に訊くと、いまはもう買い置きもそんなにしないから、と収納スペースを整理してなんとかそこに収めたらしい。

実家にいた頃、家族のなかでティッシュをだれよりも消費するのは鼻炎持ちのわたしだった。そんなにひとりでティッシュ使うんなら自分で買ってきてよ、などと文句を言われながらも、母や父がせっせと箱ティッシュを買いに出かけてくれていた。もう実家を出て6年になるが、「ティッシュを切らすまい」という危機感だけは両親の間に残ったまま、その後も箱ティッシュはストックされつづけ、けれど大量に消費する人間はもうおらず、供給過多が招いたのが、くだんのティッシュタワーであった。すっかり片付いた廊下を見て、勝手に寂しい気持ちになる。なくなってしまえばあの光景こそまさに「実家」そのものであったような気さえする。

いっぽうで、わたしは近ごろ買い置きをするようになった。好んで、というよりも、近所のドラッグストアで突然配布されるポイント5倍のクーポンにつられて、焦って日用品を買い溜めるようになってしまった。これまでは実家のあの光景を反面教師として、使うときに使う分だけ買えばいい、と心に刻んでいたはずなのに、気づけばティッシュ、トイレットペーパー、洗剤、ボディソープ、シャンプーなどを(ポイント5倍、ポイント5倍)と次々にカゴに放り込んでいる。そうしてよしよしお得にたくさん買い込んだぞ、といったんは満足するが、同じシャンプーを物置にいくつも並べるときに、虚脱感のようなものに襲われる。これ、ほんとに全部使い切れるのだろうか。そう思うから買うのであって、わたしは何も間違っていないはず。なのになぜ、虚脱感にとらわれるのだろう。むろん、使い切る前にこの洗剤やシャンプーに飽きてしまうのではないか、というような類いの恐れではない。

言うならばそれは、これをすべて生きて使い切れるという過信への傲慢さ、に対する恐れなのだと思う。半年後にこのストックをありがたがって使う自分のことを、少し前のわたしは想像できなかったのではなかったか。端的に言えば、いつ死ぬかわからない。だから、ドラッグストアで買い置きなんか、買わなかった。数ヶ月先の自分や家族の生活用品の手回しをすることは、その未来のわたしたちが変わらずに生活していることを過信することであった。その過信が、わたしはずっと許せなかったのではなかったか。

 

妊婦だった頃、子どもが生まれてくるぎりぎりまで、わたしは子どもにまつわるあらゆるものを用意できずにいた。どうしても、その気が起きなかった。肌着やオムツにはじまり、大物であればベビーベッドやチャイルドシートに至るまで、ベビーグッズとして準備するものはたくさんあったのに、「もしも」というそのおそろしい仮定の一点に縛られて、どうしても購入に踏み込むことができなかった。調べるには調べて、どれも目星はつけてあるから最悪もう生まれてから買えばいい、くらいの気持ちでいた。いっぽう、インスタグラムで見る多くのマタニティアカウントでは、こんなに早くから? と驚くほど、予定日の何ヶ月も前から子ども部屋が用意され、ベビーベッドには星や月をあしらったメリーが吊るされていた。しかしそのしつらえられた部屋のどこにも、肝心の赤ん坊はいない。勝手な心配に過ぎないとわかっていながら、(もしもこの妊婦さんのもとに赤ちゃんが無事に生まれることがかなわなかったら)と、そう魔がさすように思っては、無理にでも深呼吸するしかなかった。

いまでも、オムツの買い置きはせいぜい余分に一パックくらいで、それ以上多く買うことはない。まだ赤ん坊の頃に粉ミルクを使っていたときも、ストックを買い溜めることはなかった。単にミルクの単価が高いという以上に、もしも子どもがいなくなってしまったら、残った粉ミルクの缶を正気で処理できる自信が、わたしにはなかった。いなくなってしまったら、というのはもちろんこの世からである。死んでしまう、などと書くことさえ恐ろしく、抵抗感が強い。子どもがもうすぐ三歳になろうとするいまでも、その恐怖が消えることはない。だから、オムツのストックは必要以上に増やさない。

舌だしてわらう子供を夕暮れに追いつかれないように隠した(山崎聡子)

一首から漂う不穏さは、わたしの感じる漠然とした恐怖感に重なるものがある。無邪気に舌を出して笑う子どもを、これからやってくる夜の闇が飲み込んでしまわないように。子どもの「あっかんべー」が大人にはわからない何かのシグナルとして作用して、そのひとつの命があざやかに攫われてしまわないように。どうか取り返しのつかないことになど、ならないように。夕焼けからかばうように、こうしてわたしが抱きしめていれば大丈夫。そう言い聞かせてしっかり手をつないで帰路をゆく。

けれど、取り返しのつかなさで言えば、もうこの世に生まれてしまった時点でとっくにそうなのである。もう、生まれる前に後戻りすることはできないと、そんなこともちろんわかっているはずなのに。

毎週のように出先でねだられては買い与えてしまうミニカー、帰省すれば両実家からプレゼントされる、豪華なプラレールやアンパンマングッズ、そのようにして増えつづけるおもちゃや絵本、あるいはスマホに撮り溜める膨大な写真を前に、ふと途方に暮れてしまう。もうとっくに取り返しのつかないところまで来てしまっている。それでもどうしようもなく、わたしは不安なのだ。

そんな不健全で神経質な態度で子育てをつづけた先に、たとえばわたしは子どものランドセルさえぎりぎりまで買い渋るのではないか、などと案じてしまう。いまや「ラン活」は入学の一年以上前から始めるものらしいが、そんな早くにランドセルを買い与えて、いったいどうするというのだろうか。買った後で「やっぱりこっちのほうがいい」などと目移りして、子どもの気は簡単に変わってしまうのではないか。いや、ほんとうに心配なのは、そのランドセルが一度も背負われないままになってしまうかもしれないという、その一点である。ランドセルを買う、希望に溢れたシーンにそんな不吉なことを考える親などいるのだろうか。心配性にもほどがある。

子を乗せて木馬しづかに沈むときこの子さへ死ぬのかと思ひき(大辻隆弘)

子どもがおおいにはしゃぐ遊園地という空間で、けれどメリーゴーランドに乗る子を柵の外から眺めるとき、ゆっくりと木馬とともに「沈む」姿に、何かうす暗いものを感じとってしまう。ファンシーなメロディの流れるその柵のなかへ、今すぐに駆けていきたくなる。この世に生まれたということは、いつか死ぬことである。すべてに等しく、こんなにもごく当たり前のことを、どうしても考える。隠されているから、余計に考えてしまう。みんないつか死ぬのです。書けばとても他人事のような、その言葉を何度でもわたしは思う。見つめる。「この子さへ」と思う。自分だけではない。いや、こんな命いっぱいの子であるからこそ、信じられないからこそ、余計に考えてしまうのだ。

何が起こるかわからない、一寸先は闇、そう思い詰めるときの自分の顔はとても醜いと思う。そしてそのように顔を歪めておろおろ心配しているときにこそ、取りこぼしてしまう大切なものがあるのではないのだろうか。わたしはそれを、もうこんなにもぼろぼろと落としてしまっているのかもしれない。

夏であれば、海へ連れ出す。岩の隙間から蟹が見え隠れして、歓声をあげる。砂の山を作る。はじめての海に、足を浸す。見せたいものは、もっともっとたくさんある。考えていないわけではない。そんなことは、きっと親であればだれもが考えている、考えてしまうのだと思う。だから、ほんとうにはどれだけ考えてしまっても、信じることのほうが大切なのだ。きっと生まれてくる、きっと元気で生きてくれる。今日が昨日と変わらずにつつがなく終えられたことにほっとする暇もなく、また明日を何事もなく終えられるかどうかどうか、そう考えてしまうとき、なんの保証もないままで世界にこの身体をさらす子どもの赤い舌を思い出す。こちらに無防備に差し出される舌はつやつやと濡れて、上下には隙間のあるちいさくて白い歯が並ぶ。その笑い声は、傘のなかでもまぶたの裏でも、どこにいたって自在に、いつでも取り出すことができる。そうやって、安堵にも、不安にも寄りきらないこころで、わたしは、わたしたちは明日をきっと過ごす。

遊ぶ子の群かけぬけてわれに来るこの偶然のやうな一人を抱けり(川野里子)

(了)

堀静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)、連載に「わからなくても近くにいてよ」(だいわlog)、「うちにはひとりのムーミンがいる」(晶文社)がある。

第3回 鴨になりたい

やさしい夫がいて、かわいい子どもがいて、食卓には笑いがたえなくて。実家の両親はたのしく暮らしているし、おばあちゃんも気丈で元気だ。なのにどうしてこんなに不安で怖いのだろう。明日あの角を曲がると、奈落が待ち構えているのかもしれない……。誰も死んでほしくない。死なれたくない。なにげない日々の出来事から生の光と死の影が交錯する、おだやかで激しい日常の物語。

夏休み初日に小学生三人が川で溺れて死亡、というニュースを見て、いま胸が苦しい。そんなかなしいことあるかよ、あってたまるかよと思う。夏休みが始まってすぐの川遊びなんて、どんなに楽しい場面だったのだろう、と容易く想像できてしまうことが余計にかなしい。

大人はそばにいなかったのか、注意不足だったのでは、など言い出しても起こってしまったことは変えられない。自分だって子どもの頃、何度も海やプールで溺れかけたことがあるように、今回にしたって「あぶなかったね」と笑って自転車で三人並んで帰っていたかもしれず、不運としか言いようがない。この事故にしても、またこの夏に起こるかもしれない水難事故のことを思うだけで気が滅入る。気が滅入るが、このようにニュースなどで情報として知る三人称の死について、かなしい、と思うその感情が持続しないことにもまた同じだけうんざりする。

「夏休み、はしゃぎすぎて死なないでね」と毎年、一学期最後の授業でそう生徒たちに言う。はしゃぎすぎると人は死ぬと本気で思っているのでこちらは至って真面目なのだが、彼らは「いやそんなかんたんに死ぬかよ」と言って取り合わない。ほらもう、すでに浮かれている。それでもわたしは念を押す。いやいや、ほんとに調子乗って海に飛び込んだりとかしないでよ、と。だって、いまこの教室にいる三五人が、二学期にまた全員揃うなど、わたしにはほとんど奇跡のように思える。それぞれが過ごすそれぞれの休暇。楽しい予定がたくさんあるだろう。海やプール、海外旅行へ行く子もいるかもしれない。もしそこで何かあったら。わたしは毎年、本気で案じている。

けれど、何クラスもある生徒一人ひとりのことを四六時中心配することは不可能だから、こうして注意を促すしかない。といって、休み期間に入ってしまえばわたしとて彼らのことなどさっぱり忘れて、育児に追われる身であるゆえにいつの間にか教員であることまですっぽり抜け落ちている。そうしてまだぼんやりした頭で迎える九月、教室に入って全員揃っていることを確認してはじめて、ほっとするのだった。ほっとして、自分が教員であるという自覚もじわじわ思い出しながら、ゆっくり息を吸って「夏休み、どうだった?」とまだよく通らない声を出す。

でも、同じように「ほっとする」ことのかなわない教室がある。つい一ヶ月前まで当たり前に笑っていた机が空いている。それが空想ではないことがこんなにも、勝手に苦しい。

事件にせよ事故にせよ自然災害にせよ、思わず動揺するような悲惨なことが起きると、「そんな可能性を考えもしなかったからだ」とどうしてもそう、思ってしまう。

 「たとえば地震。地震というのもその代表的なひとつであって、地震が起きた、起きましたよね、でもその起きたときっていうのは誰ひとり、世界じゅうにこれだけおる人のなかで誰ひとりとしてその瞬間に地震のことを考えていなかったからこそ起きたのであって、その人々の予想のほんの一瞬の隙間を狙って地震というものはやってくると、こういうわけよ」(『夏物語』川上未映子)

むしろ何にしたって自分が案じたり、予想したことは当たらないものだ、というジンクスをもつ主人公のこの語りは、妙に説得力がある。ずっと、自分でも同じようなことを考えていた。でも、それはそんな気がするだけで、人々の思い云々で何かが起きたり/起きなかったりするわけではなく、むろんそんな決定はだれが下すのでもない。そうわかっていながら、弛緩した日々をぶん殴るようにして、やっぱり何かが起きてしまう。そんなことが起こるなんて、と信じがたい気持ちになる。怯んでしまう。起こるたび、何度でもわたしたちはあたらしく動揺する。ほんとうに何度でも。

実家にいた頃、出かけ際に玄関でもたもた靴を履いていると、父が奥の自室からスリッパをぺったぺったやりながら来て、
「あの坂の下の交差点な、あそこで轢かれるからな」と言うのだった。
嫌な予言だよ、と思いつつ面倒なので振り返らずに「ああ、うん」と返す。「知らん人にぜったいに着いて行きなや」とか、「ホームの一番前は危ないからな、一番前はほんまにあかんで」など、いま思えばバリエーションはいくつかあった。当時はうるさいな、としか思わなかったが、言ったって言わなくたって変わらない、娘の耳には入らないとわかっていても、それでも言わずにいれなかったのかもしれない。「気ぃつけるんやで」「うん」そういうやりとりを、子どもの頃から家を出る二〇代までの間に、数えきれないほど繰り返した。「心配だから」なんて面と向かって言われたことはなかったが、父も同じように怖かったのだろうか。無くなることが、変わってしまうことが。

あけび色のトレーナー着て行かないで事故に遭うひとみたいにみえる/雪舟えま

もしそれが、最後の姿だったら、と思う。うすむらさきの「あけび色」はなんだか不吉ではないか。蛍光色だったらどうか。単に目立つからいいのではないか。夜道とかでも。けれど、まさか事故に遭うだなんて思わずに、いつもの服で、いつものようにみな出かけてゆく。

わたしも、かつての父と同じように、気づけば夫が車で出張する日などは「運転、気をつけてね」とかならず声をかけるようになった。事故するかもしれない、いや、事故しないでほしい、その一心である。今日も車で学生たちを連れての出張で、人様を乗せるなど、なおのこと心配である。夫はのんきに「このワキに塗るクリーム、借りていい?」なんて訊いてきたが、脇の匂いを抑えたとて、死んでしまったら詮ないことである。どんなに脇が臭ってもいい。臭くてもぜんぜんいいから、無事に帰ってきてほしい。いつも、事前に聞いていた時間に帰らなければなにかあったのではないか、とすぐによくない想像をしてしまう。先に子どもと風呂に入りながら、いつ「ただいまー」とドアが開くのか、ほとんど息をつめて待っている。そんなことが癖のようになっている。

そう、どんな些細なことであっても、よくない想像をすることに長けている、と我ながら思う。

つい先日のこと、近所に住む友人家族に「もう使わなくなった子ども用の椅子があるんだけど、使いませんか?」とLINEしたきり、返事がないことがあった。グループLINEなので夫もそれを見ており、痺れを切らしたわたしが「◯◯ちゃん(友人のお子さん)にもしかして、なんかあったのかなぁ」と切り出す。そう言い出してしまうことがわたしとしてはけっこうしんどく、なかなか言えずにいたのだった。でももう一週間経つのではないか。連絡をくれないことにやきもきしているのではない。ただ忙しいとか、億劫なだけで、元気なら全然それでいいのだ。でも、SNSでもつぶやきを見ない。そこで確認できれば安心なのに。ほんとうに、もし何かあったらどうしよう。そんな風に勝手におろおろしていた。

「いや、多分椅子を断りづらいだけなんじゃないの」と夫。えー、そうなの、ほんとにそれだけ? でもいつもすぐに返信くれるし、もし椅子が要らなくてもそう教えてくれるんじゃないかなぁ。と悶々としていたのだったが、ほどなくお断りのLINEが返ってきて、そのいつもの明るい文面にこころからほっとしたのだった。ああ、なにもなくてよかった。

他人のことにまでこんなにもネガティブな想像力を働かせて、いったいどうなるというのか。気づけばいつも何かを気にしたり、案じたりと忙しい。こんなことでは気持ちがもたない。だから自分の子となればほんとうに毎日心配は尽きず、保育園に預けている間に何かあったとしたら。出先で事故に遭ったら、遭わせてしまったら。赤ちゃんの頃はSIDS(乳幼児突然死症候群)が怖くてしかたなかった。あの頃は生まれて間もない「赤ん坊」という、か弱くてどこか儚い存在そのものにある種のおそれを抱いていたが、二歳になったいまはどんどん身体つきもしっかりし、そのようにひとりの幼児に成長してゆく子を眺めながら、そのたくましさと引き換えに、だからこそもしも、のその大きすぎる落差を思わずにいられない。

でも、今日も夫はいつものように帰ってくるし、子どももすこぶる元気である。

目下、現時点では。いまのところは。昨日がそのようにしてつつがなく閉じられたのだから、きっと今日も大丈夫なのだろうという予測をつけなければ、生活は送れない。そのようにして毎日を繰り返すうちにそれはルーティンとなり、いつのまにか緊張も張り合いもなく、暮らしは怠惰なものになる。いつもと同じ満員電車、いつもと同じ職場の顔ぶれ、何も起きない午下がり――。けれど、そのような緩慢さを縫って、それはやってくる。平穏な一日が、暗転する。そんなこと、考えもしなかった、とわたしたちは同じ感想を飽きずに繰り返す。

だから、わたしは、へらへらしているように見えて実のところ、こんなにも緊張している。あなたの、いや世界の、なんのサインも見逃してはならない。昨日もそうだったのだから、今日も大丈夫などと軽んじてはならない。そう思って深く息を吸って吐くときの、このいつもの感じ。何も変わらない、窓の外の風景。月の見えない夜。子どもの寝息。大丈夫、だって夜風はこんなにも心地よい。何かが変わってしまうことなど、考えられないのに。

そのうち子どもが一人で出かけるようになれば、やっぱりわたしも言ってしまうのだろうと思う。信号、よく見なさいよ、知らない人と口聞いちゃだめ、暗くなる前に帰りなさいよ、と。きっと子どもはこちらを振り返ることなく、生返事で家を飛び出すだろう。勢いよく閉じられたドアをしばらく見つめ、朝刊を郵便受けから引っ張り出し、三人称の死をぼんやり眺める。そのようにして「待っている」間には、祈ることくらいしかすることはない。何もできず、大丈夫であれ、とただ願うだけで、もどかしい。そんなこと、きっとみんなが祈っている。家族が健康で事故もなく、元気に過ごせますように。そんなこと、当たり前すぎる祈りだから、真剣には祈らない。でも祈っている。平穏に暮らせますように。よくないことなんて、起きませんように。祈りを忘れる力が生活にはあるから、わたしたちは安心して、夜を迎えることができる。眠りにつくことができる。今日を、穏やかに閉じることができる。良くも悪くもない一日の終わりに、こうして目を閉じて、今日の景色の断片をゆっくりと思い起こす。

カートにほとんど崩れるようにしなだれながら、ゆっくり道を進むおばあさん。けたたましい蝉の声を通り過ぎれば両耳で、というより顔全体で風はぼうぼう鳴って、なまあたたかく、なにも起こらない、なんでもない、いまがここにある。これでいい、ずっとこれでいい。何も変わらない、何も起きない。ただそのことに安心して、笑って過ごしたい。夏休みの生徒たちはどうしているだろう。みんな、元気だろうか。自転車で通りかかるすべての灯りに、人々の泣き笑いがあふれることを、わたしは知らずにいる。何も祈れない。でも祈るしかない。夏の空気はなまぬるく、深く吸って吐き出す息は、もっともっとなまあたたかい。

祈っても祈らなくても同じならうつくしい鴨にわたしはなりたいよ

 

堀静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)、連載に「わからなくても近くにいてよ」(だいわlog)、「うちにはひとりのムーミンがいる」(晶文社)がある。