第7回 2019年

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

東京に来て何年たっただろうか、ライブの帰り道、降り注ぐ雪で慎重に徐行する真夜中の車の中でぼんやりと考えていた。

「僕たちの住んでいる街の歌です。」今日のライブのMCで自然とそんな言葉が口から出るくらいにはこの街はわたしの街と呼べるものになっているのだろう。

 

 

年の瀬ということでおきまりの今年のベストDISKなんかの選出のオファーをいくつかの媒体でもらうが、困ってしまって全て一斉に断りのメールを入れる。一年のことをまるっと思い出すことはそんなにたやすいことではない。

わたしはメールを打った人差し指で曇る窓ガラスにデタラメな落書きをしながら、つられるように一年を振り返っていた。

 

今年は年初にわたしのソロアルバムを連続で二枚出した。『不完全なけもの』と『やさしい哺乳類』。
 平成の終わりに駆け込むように、その区切りをきっかけにして作った。未来と呼ばれる時間に飛び込むにあたってまっさらでいたかったのだ。

令和という歯がゆく聞きなれなかった年号は今では馴染みあるものになり、平和と語感の似たその時代は果たして、誰にとって平和であり、誰に対してやさしい時代なのだろうか。
 目を閉じると好きな人が泣いている横顔が浮かんだりする。

 

個人の大きな挑戦といえば小説『銀河で一番静かな革命』を出版したことだろう。
 文章を常に書くことは境界がなくだらしのないわたしの日々に新鮮なループを作った。わたしは書きながら自分ではない別の人生を体験させてもらった。

わたしがペン先で描いた人生には、ちょうどこの年の瀬の時間が流れている。
 いろは、ましろは元気にしてるだろうか?神泉駅から渋谷に向かう時、どこかで彼女の背中を探している自分がいた。

 

そして神谷亮佑監督の『Tribe Called Discord』がスペースシャワー配給で映画化された。エンドロールに名前があった。とてもドキドキした。
 何より、大阪時代から自分たちにずっとついてカメラをまわしていた神谷がやっと自分の名義で舞台に上がり、堂々と監督として挨拶している姿を誇らしく思った。偽物だったものが本物になっていく過程をこの目で見たのだ。それは喜び以外の何物でもない。
 あいつの旅はまだ始まったばかりだ。無論、わたしたちも。

 

バンドとしてはフジロックのホワイトステージで演奏したことは、バンド史なるものがあるなら確実に刻まれた一日だっただろう。
 事務所もマネージャーもいない我々が、権力のある誰かに与えてもらったものではなく真っ当なプロセスであの場所に立てたことは何よりのギフトだった。 誇りを持って日々を戦っていればどこかの道に繋がっていると証明された。
 卑屈になることが簡単な時代に、できすぎた少年漫画のように真っ直ぐに信じることができたのは何よりの贈り物として自分たちの背筋を伸ばした。
 そしてそれを実現させているのは間違いなく各々のフィールドにいる人たちのオルタナティブな存在に対する良心だ。

 

時代とは人のことだろう。

これからも出会うであろうどんな困難も目を逸らすことなく真っ向に向き合えばいいのだと背中を押された。

そして、その困難は想像よりも早くにわたしの目の前に、分厚い壁になって立ちはだかる。

 

全感覚祭19。一言でいえば波乱。近隣店で出た食中毒騒ぎの大阪に、台風直撃の東京、もはや示し合わされたとしか思えないようなドキュメントの到来にわたしの中での核と呼ぶべき信念、その周りをまとっていたモヤが晴れていくのを感じていた。

何を大切にしていくべきか? 

 

それは周囲の人の行動にも如実に現れていった。表現とは、食とは。自分と他人、社会とファミリー。
 各々が各々の生きてきた角度からそのことを問われ、答えを行動にかえながらわたしたちの近くにいてくれた。

人と人はどうして出会うのだろうか。そんなことを考えたくなるほどにわたしには眩しい出会いたちだった。

 

時代とは人だ。
笛を吹き続け警棒を振ってくれたスタッフや、草むしりのあと台風による中止に一緒に泣いてくれた人、ただご飯をおいしそうに食べてたおっさん、崩れた体調を心配してくれた友人や、同じ狂乱の日々を駆けたアーティスト、雨に飛ばされないように会場を一晩中見張ってくれたボランティア、4トントラックでスピーカーを運び、中止の知らせで京都までとんぼ返りした仲間、雨の降る日も風の強い日も体を張って育ててくれた食物を提供してくれた農家さん、その泥だらけの服や手の綺麗な皺や、それを料理し振る舞ってくれた出店店舗、そしてそこに居合わせて全感覚祭が続いていく価値があると評価してくれたあなた。
やさしい哺乳類に不完全なけもの。

その顔たちが時代でなくて何が時代だっていうのか。

 

どこぞのVIP ROOMでふんぞり返ってマスゲームのようにカルチャーを動かし儲けた金でシャンパンを開けてる、そこでグラス越しに語られる時代に何の価値があるのだろうか。

全感覚祭とは、祭としてただ楽しい一日を創造する以前に、庭の外の他人と関わる中で人間や時代、そして自分自身のことを理解していく、そんなプロセスなのだと思う。

 

まだこの世界を最低だと切り捨てないだけの良心を残してくれた2019年のあなたに感謝している。

まだわたしもあなたもやれるはずなんだ。

だって時代とはわたしやあなたのことなのだともう知っているのだから。

 

今年も終わろうとしている。

2020年はもうすぐそばで闇をちらつかせ、わたしは緊張している。
どんな一年になるのか? 

考えれば不安になるようなことで山積みだ。政治のこと、オリンピック、移民にレイシズム、原発に地球温暖化。アフガニスタンで殺された医師の中村哲さんのことを考えると胸の奥がズキズキと痛み何一つ言葉にできない。
 トピックとしてあげることが不可能なくらい数多の問題は目の前で音速で駆け巡り絡みあい、その糸はもつれ合ってる。

 

そんな中で、わたしは誰もが来年こそいい年にしたいと望んでいる、その一点だけで出会えないだろうかと夢想している。
 神社でお賽銭箱に小銭を投げ入れ、祈る。手と手が合わされているその触れ合う一点。そこに希望がすんでいるのではないか。

 

 

何を甘ったるいことを言ってるの?夢想家の戯言と言って笑う?

だけど音楽の現場でそれを可能にしているところを何度も見てきたよ。

それは勘違いのような一瞬かもしれないが孤独のまま連帯している瞬間は確かに訪れる。主義も主張も当然差別も超えてただ、同じ音の下で酔いしれる。
 それはもう平和という言葉を適応するのがふさわしく思う。

 

わたしたちはこれらすべての活動の裏で5枚目のアルバムを作ってきた。『狂』というアルバムだ。
2020年、この円盤を武器にどうやってサバイブしていくべきか。
 ただのミュートで抑えの効かない騒音がサイレンのようにけたたましくなるところが想像できる。そして、その先でちゃんと笑えないと嘘なのだと思う。

 

年の瀬、やり残したことはなく、なんて言われるけど、到底そんなことは無理だろう。

これから、いちいち「2019年最後の~」なんてフレーズが蔓延するのを目の当たりにする。そう言えば「平成最後の~」なんて言葉は何度も聞いた。

だけど知っている。わたしたちは何も変われず、この街も何も変われずに2020年もそこにあり続けることを。

 

だらだらとだらしなく、過去を引きずり、言えなかった言葉も会えなくなった人もその影を後ろに連れて、曖昧なまま、あいも変わらずわたしのままで年をまたぐ。

かわれないのか、かわらないのか。 だけど抵抗は許されてる。
想像して。

そして懐かしい未来で会いましょう。どんな困難が待ち受けていても、きっといい年になるよ。
そう信じてる。

良いお年を。

 

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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第6回 SHIBUYA全感覚祭

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

その晩渋谷に、渋谷に何がいたのか、わたしは記憶をたどってもその姿を正確に思い出すことはできない。

しかし、いつもの部屋にぐうと伸びた体に刻まれた痕跡を指で辿ると、その破壊的な存在をありありと感じることができた。

わかりやすいほどボロくなった関節や筋肉は役割を放棄し、菌は体内に入った。免疫の落ちた部署を素通りして顔は変形し、暴発寸前に腫れ上がった。

連絡をくれた知人に見せるとSNOWなどの顔変身アプリを使ったのでは?というリアクションが多く、中でもKilikilivillaの安孫子さんにいたっては「映画とかかな?」という特殊メイクを疑うハッピーな内容のものもあり、苦しみながらもそれはそれで楽しんだ。

今回、フードフリーを通して食べ物のことを考えたり、大阪での近隣店の食中毒騒ぎや、ヒロシが肝炎で倒れることなど、存在することがテーマとして突きつけられるような出来事が連続していたが、その結末をみっちりと引き受けるようにわたしは二週間、おうおうとうなされていた。体って本当に面白い。

 

千葉会場を中止にしてからの三日間、さらに加速するようにラインは鳴り続けた。どんどんと増えてくラインのグループや参加メンバーはまるでドラクエのように登場人物のバラエティに富み、ライブハウスや事務所が垣根をこえて瞬間的に連帯していった姿は裏のハイライトだ。

モッシュもダイブも起きてはいないが、電子上でも立体的でしっかりと汗ばんでいて感動的だった。

実際、祭の当日も、 ライブハウスの店長やスタッフが自分の屋号とは関係のない箱の入り口に一人の友人として立ち、サポートをしてくれた。こんなことそうそうあることじゃない。わたしがBAD HOPでラップすることがないのと同じで。

 

台風19号、ハギビスの猛威を全面にうつした昨晩の空など知らんといったそぶりで、当日は突き抜けるように綺麗な空気をしていた。
 子どもが公園をケラケラ走り回っていて、その子と花壇の間をミツバチがブーンと飛ぶ。あれだけ怯えさせておきながら憎めない空は、そんなのどかな一日をわたしに見せた。皮肉なほど透明な空気に胸がすっとしたのを誰もが覚えてるだろう。

 

中村明珍さんが、先日あげた大阪の全感覚祭を語ったブログにて、内容が進行していってもお金の話が出てこないという稀有な点について書いていて、それを読みながらふと気づいた。こんなにも普段プロとして現場をこなしているエキスパート達同士でラインは飛び交っているのに、準備期間中、誰一人ギャラの話をしていない。よくプロフェッショナルな現場では最初にその話を出さないのは社会的にナンセンスだとされている。

もちろん否定はしないが、プロの現場でそのことを第一とする根拠は何だろうか?

 

わたし達を取り巻く環境はあまりにも整頓され、破ることすら挑戦させてもらえないルールでがんじがらめになっている。その本質を考えることなく引き受けている様々なルールはその実、大勢の側がより効率的に運営するためであることが多い。

最近、マラソンの大迫傑選手がこれまでの様々な疑問からマラソン大会を自主的に立ち上げる記事が出ていた。お金の流れを知り、純粋に速さを求める大会を作ることというビジョンはそのまま、わたしが理想としているものとリンクする。

既存のフェスや大会との対立や否定ではなく、立ち止まって考えたいんだ。ひとときも自分が主人公であることを放棄しないために。この世界にはハンドルを無意識に放棄させるシステムが網の目のように張り巡らされてる。その網の目には工夫がなされ、肉眼では見えないんだ。

 

 

 今回記しておくべき裏側として、ミュージックファーストの箱の速さと強みを見せつけられた。

渋谷のWWW Xなんて、電話で中止になっちゃってと伝えた瞬間、 名取さんの方から、うちの深夜使ってよと打診してくれた。箱貸しといっても、ただ入口の鍵と空っぽの箱を投げるように貸すのとは違う。照明や音響の現場で動かすスタッフだけでなく、そのオペレーターという責任者がいなければ箱のシステムを使うことができない。三日というリミットは相当にハードルが高く、実際に祭の当日、箱の照明があるのに使えず、全て持ち込み、自ら設置までして無理くり成立させた箱もあった。実際空いているのに貸してくれなかった箱もあって謎すぎる仕組みに悔しかったりもした。

そういった人員確保も手配含め、名取さんの電話から15分とかからなかったのではないか?驚異的なスピードにはスタッフ間の信頼と、この流れを面白いと思ってくれる審美眼を感じ、良い箱の性格があらためて浮かび上がってきた。
 今回距離的に叶わなかったが恵比寿LIQUIDROOMも同じような形で声をかけてくれたし、やはりイカした場所には意気ってものが残ってる。今回、使うことに尽力してくれた箱や人のことをわたしは忘れない。

 

人と人との間には契約では消化しきれない関係性があることを音楽業界はギリギリのところで手放さないでいる。わたしの両の眼は台風の最中、はためくその一幕を見た。

 

参加したのはライブハウスの店員だけじゃない。頂なんかのフェスをやってる南部さんやミツメのマネージャーをやってる仲原達彦がまるで自分のイベントのように腹から声を出して現場を仕切ってくれた。内情は別にして、いつもスマートに涼しい顔をして東京のカルチャーをさばいてる男が怒鳴り声ギリギリでさばく絵は胸を打つものがあった。
 シーンと呼ばれるものにはどこのジャンルでも指標になるような人物がいて、それは趣味や傾向が合う合わないに関わらず、必ず存在している。

わたしと同じ世代で言えば、先日出演もしたBOYのTOMMYやこの仲原が自分にとってはそうで、東京に来た際、彼らが我々に反応していないその姿で、ミュータントとしてしか許されない己の立ち位置を座標のごとく測った。ちょうど星が他の天体をなしでは自分の存在する場所を自覚できないように。

こういった違う視点を持った人間が自然と交錯していく姿にこの祭の成長を感じる。あらゆるものを許容していくというコンセプトが前進しているのを感じるし、 シンプルにもっとわけがわからなくなりたい。

わたしたちを線で振り分けるそのボーダーは一体なんだろうか?

 

今回、急な開催により深夜の可能性しか見つけられず、その時点で未成年の入場が法律的に制限された。本来の理想とはその時点でずれたわけだが、このタイミングでの開催を考えるとやむを得なかったと今も思っている。 中には悲痛のメールをわたしに投げる者もいて「見たいという気持ちに何の差があるんですか?」と怒り交じりの吐露を当事者に投げかける。

自分がその年齢の頃はFAKE IDを作ったり、リスクを背負って、皆、色んな方法を考えたりしたものだが、本人にクレームをつける。SNS文化、当事者性という言葉を耳にするこの時代をよく表してるなあと思いつつ、投げる相手が違わないか?と思ったのも事実だ。

 

いつでも何でも制限なく得られるという状態を自由と呼ぶのだろうか?わたしの思うFREEがそんな意味なのかはわからない。しがらみは永遠に続くだろう。小さな頃から今も、それは形を変化させ続けながら全ての仕組みにはびこっている。その制限をウイルスのように感じる反面、その制限によって守られているたくさんの事柄もあるのだろう。奇しくも渋谷という街に今回の全感覚祭ではそのことを教わることになる。

 

トップバッターのGEZANの時点で、クアトロのあるPARCOを一周ぐるりと列が囲っていた。入場制限。

同時刻の最大キャパであったEASTのカネコアヤノも客入りはパンパンで、その時点で人が溢れ始めていた。どの会場にもできる長い行列。上がっていく人口密度と蠢く深夜の喧騒。終電を1時間半残したタイミングで、新規でIDチェックを行わないというアナウンスをだすが、それを見ずに新規の客は訪れ、ため息や愚痴を吐く。その数は3000人ではきかない。来場者数は4000人を超え、一万人に迫る人数がその晩、感情的に奮い立っていた。

 

 

 遠方から来た人やどうしても見たいアーティストの前で泣き出す人、発される感情が龍のようにとぐろを巻き、その一つ一つが痛かった。予約やチケットがない自由さの代償がここにきて発露する。 当日のみで投げ銭をするのには、過去の自分がチケット買ったからという理由ではなく、その瞬間の自分が行くことを決めて、自分で価値を決めるという全感覚祭の根源的なルーツが理由にある。

今回、嵐の去った後の渋谷は抑圧からの解放のためか、その想定を完全に超え、人々がカルチャーや音楽をむき出しに欲していた。

 

道端に捨てられたゴミ。わたしのコラムなどきっと読んでいないだろうというヘッズ達が横切っていく。フードはうまくいっているだろうか?

目の前に引かれたコントロールの効かない境界線に落胆もするが、どこかでその圧倒的な力に惹かれてもいた。

久しぶりの再会に乾杯する男女、それも悪くない。それぞれのドラマを引き受けるだけのキャパがある渋谷でよかったと不幸中の幸いを思った。  

 

渋谷にうごめていていたモンスターの正体は人間の欲求に他ならない。粗野でえぐみを持ったそれぞれのむき出した感覚は、目標とし準備してきたものの代わりではなく、渋谷の街に一つの人格を与えた。それは乱暴な身なりではあったが根源的で美しい瞬間を秘めた獣だった。

そう、わたしたちが生きている街。そこいらが汚れてて、傷ついてて、それを取り繕うために何倍もお化粧するように光を着飾り、何らかの戦いに巻き込まれていることを自覚しないために誰もが騙し続けている。そのために広告を取り替え、全速力で存在の証明を急ぎ、捨てられる前にアイデンティティをめくり続ける街、東京。

わたしたちは望む望まざるに関わらず、その渋谷の景色の一つになった。改札を出た瞬間から得体の知れない生き物の囲われた手の中にいた。誰一人こぼすことなく、同じ風を浴びていた。

 

 

人生は時に思わね形で道がそれる。そのために片足の靴は履かずに真っ直ぐ歩かないように生きてきたわたしも、今回の渋谷全感覚祭は過去のどれとも被らない稀有なものがあったと思う。寄り道はやめられないと言いながら、このボロの体は、もう少し補整された道を歩けと警告してる。このやり方してたらいつかは死ぬな。けど、終わった途端に力がみなぎってくる。

 

折坂悠太がこんなことをツイートしていた。 「全感覚祭渋谷。昨夜の全貌を、誰一人見ていないだろう。だけど場外の混沌も含め、それぞれの持ち場から、なにか巨大な生き物が動く音を誰もが聞いたんじゃないか。GEZANはやった、おれらは。」

 

 

この余韻の正体が知りたい。大阪のゴタゴタ、台風の襲来と渋谷の反乱、この仕組まれたような神様の筋書きの意味を知りたい。東京に住んでる怪物は何を見据えているのだろう。その目を覗き込んだ時、人間が何なのか、この時代に生きる意義がわかる気がするのだ。

 

そんなことを思っていると体の節々が脈を打つように痛み出す。もはや呪いの類だろうか、鏡を見るわたしは知ってるわたしではない。
でも、最高に生きている。

 

山積みの反省点を可能性にかえるべく、十三月は新しいフェイズに入ることになる。こんな猛ハンドルの中でも目標資金はギリギリ達成できたことも報告しなければいけない。きっとコンセプトが届かず払わなかった人だっていただろう。そういった凸凹をカバーしてくれたサポーターの力なしにはこの達成はあり得ない。どう考えてもすごいことだと思う。存在しうる価値はお金だけでは測れないが、お金が現実的な意味で存続を保証してる。金策に失敗していれば内臓でも売るか、いずれにしてもわたしの有限な時間は奪われただろう。

 

あなたが未来を切り開いてくれたのだ。

 

 

数多の企業のように搾取して、週末のキャバクラやゴルフに変わっているなんてことはない。
 今、部屋に転がってるその手ぬぐいやパッチやシャツは全て血や肉になった。

あなたの部屋と寝転がるわたしのクソ真っ赤な部屋の間には何もボーダーはない。

 

その肉はまた立ち上がり、動脈と静脈で新たな地図を描く。その脈の一本一本はあなたがひいたと思っていい。おれたちはやったのだ。

わたしは体さえ治ればすぐさま明日を未来のために使うことができる。その体は底の底で東京の怪物と対峙することを望んで声を上げている。

 

懐かしい未来、新しい地図の下で笑って会いましょう。

つづく

 

 

 

Photography Shiori Ikeno

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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