第12回 十三月農園と種苗法

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

二の腕をまとった皮膚がじりじりと焼けていく。表面を焼く太陽の放射が恋しく、その痛みすら例年よりも心地よく思える。額に浮いた汗の粒、袖で拭う。逆立った細い毛が日を浴びて喜んでいる。私たちは不意に訪れた静かな時間の中にいた。
 そんな中で恵比寿リキッドルームの屋上で始めた十三月農園は貴重な生存の場になっていった。凄まじい速度で駆け巡る電子の海の中で溺れていた私は、植えた種が息吹く時の丁寧な速度にすがり、そして救われていた。

 

 

このプロジェクトを始めるにあたり、私たちはまず種について勉強した。ちょうど種苗法が強行されそうな危ういタイミングだったのもあり、切実なテーマだった。

種にはざっくり言って固定種とF1種、そして遺伝子組み換え品種の三種類がある。
 固定種は、何世代も超えてきた種で、実がなり種がつくと、翌年も次の年もその種で栽培することができる。しかし、芽が出るタイミングや発育のリズムはバラバラで、とれた野菜の形もまばらなことから安定した品質を求める収穫には向いていない。その点、固定種などの異なる種同士を掛け合わせたF1種は発芽の時期も形も安定している。だが、良いことばかりではない。その種は一世代限りで次の年に芽が出ても食べれるものとして収穫することはできない。顕生遺伝の法則により二代目では隠れていた潜性が現れてしまうのだ。
 そして最後が遺伝子組み換え品種。これは文字通り遺伝子組み換えによって狙った品種を作ることができる。DNAという生物の設計図なるものを組み換えることで、二代目、三代目でも同じ品質の食物を作ることができるのだ。ただ、これに関しては人体の影響が見えないのと、倫理的にどうなのかという問題も残されている。そのためか、今の日本では表示することが義務付けられている種類もある。
 種苗法の可決を急いでいる理由はいくつかあるだろうが、その一つは遺伝子組み換えを早く日本にも普及させたいからだ。遺伝子組み換えの種は簡単にコピーができるし、営利目的の栽培が個人でもできてしまう。普及させるために種を著作権のように管理することを基本にしなければ企業が困るというのが本音だろう。私たちが生まれるよりももっと前からあった種の全てをコントロールすること、それはある意味では神の所業だ。私には倫理的な意味で大きな疑問はある。種をコントロールするということは食べ物のベース、すなわち命をコントロールすることに他ならない。
 人間は平気で間違える。間違えてきた。モンサントという会社は、自社の農薬でしか育たない遺伝子を組み込んだ種を販売し、その結果、権力は一極化していき、中小企業や小さな販売店が消えていった。資本主義とこの遺伝子組み換えのGM種は悪い意味で相性が良過ぎるのだ。この種苗法を推進することは生産性を念頭においた資本主義を加速させることの応援になっている。

 

 

「サステイナブル」「持続可能性」という言葉が消費社会のカウンターとしてトレンド的に扱われ、その概念の構築を社会は急いでいる。
 でも、私は急ぎたくなどなかった。自分たちの手を泥で汚し、咲くことも枯れることも自分たちで知りたかったのだ。その花や食物は私に命を伝える限りなく遅いメディアだった。その情報を自分たちの手で知りたかった。だから、都市の屋上菜園などの経験値のある人や既存のNPOからも誘いがあったが基本的に自分たちでやってみることにした。
 私たちがやりたいことは農であって農業ではない。業にしたいわけではないから、固定種の種を基本に、比較の意味も含めて、いくつかはF1品種も植えて育ててみることにした。その種を探し始めて、まず集めるのが大変なことに気付いた。そもそも出回っている固定種が全体のシェアのうちのほんの一部である現状に気付かされた。

2020年8月、リキッドルームはほとんどライブがなく、あっても配信があるのみで巨大な空洞と化していた。その屋根の上で私たちは汗で濡れていた。自粛期間と呼ばれる日々の中でその汗は貴重な生の実感となる。屋上で十三月の面々と会い、生存を確認しあう。私たちはつくづく予定に生かされていたのだなと感じる。

きゅうり。スイカ。ズッキーニ。唐辛子。ナス。パクチー。サルビア。レッドサン。ジニア。チトニア。
 鳩が飛んできた。作物をついばみにくる彼、彼女らをクワを持って追い払う。次はカカシを作らないといけないな。とびきりオシャレな奴。そうだ。GEZANのシャツを着させよう。靴下は全感覚祭。
 日を遮る建物一つでこんなにも成長が違うものなのか。直射がさしていたあたりに植えたレモンバーム、ミント、紫蘇は全滅した。空っぽになるポカリのペットボトル。クソ熱い8月の光線を侮っていた。
 1時間経ち、2時間経ち、日が落ちていくだけで温度がこんなにも違う。伸びていく影、乾いていく汗。細胞レベルで季節を感じていた。言われてみれば当たり前の、知識で知ればなんてことはないそんな一つ一つの発見がちゃんと嬉しかった。
 照りつける太陽は相変わらず強烈だ。冷房のきいた部屋で食べていたあの食べ物たちは、季節と気候と共に生きている農家さんたちの銀色の汗でできている。台風に怯えた晩、窓から向けられた眼差しでできている。私は肉感でそのことを知っていった。

 

 

お世話になった人を呼んで会食をしようと、春に植え育てた食物を収穫する。その時、ものになっているもののほとんどがF1品種であることに気付く。今、日本の出回っている食の9割はF1種だという。毎年、農家さんが翌年の種を購入している事実を、十三月農園を立ち上げるまで知らなかった。そしてその理由は実践し、育てることの難しさに直面するまで理解できなかった。
 私は虫に喰われた葉をちぎりながら、ずっと疑問に思っていたことの謎がゆるやかにとけていく感覚があった。それは種苗法について直接の意志を発信する農家さんが異常と思えるほどに少ないことだ。例えば同時期に「SAVE OUR SPACE」というコロナによって自粛を余儀なくされた文化施設に助成を求める動きには多くの当事者が声をあげた。それに対して、種苗法について農家さんからの意見はほとんど確認できなかった。それは、すでに種がほとんどの農家さんの手から離れてしまっていることを意味する。
 リキッドの屋上くらいの面積でも難しいのだ。農薬の使用なども含め、もっと大きな面積で作る生産者さんは営業形態自体を変えない限り、理屈ではどうにもできないこともあるのだろう。そうした現実を突きつけられているうちに生産者の手から種は離れていったのだと思う。

 

 

そしてその現実がより強烈な展開を持って接してきた場合はどうだろうか?
 コロナの裏で4000億匹のバッタの大群がアフリカ大陸で発生し、中東、南西アジアまで被害が出ている。さらにラオスとの国境付近で発生した別種のバッタが中国にやってきている。すでに蝗害により、アフリカ東部では3500万人もの人が食糧難に陥っているという。日本は海に守られているから大丈夫? そんな保証、誰ができようか? もう何が起きてもおかしくない時代なことは誰も疑わないはず。
 もしも遺伝子組み換えでバッタへの抗体がある種が作れて、その蝗害に対抗できるとしたら? それを選んでしまう農家さんを否定できるだろうか? それによって食料自給率は保たれ、低所得者やホームレスのおっちゃんたちにもご飯が仮に届くとしたら、それでも人道的に外れていると思うだろうか?
 現在、新型コロナウィルスでワクチンの開発を求めている人は多いと思うが、そうやって未曾有の事態に備えて人類は常に変化し、生き抜いてきた。もちろん、そもそもこの環境破壊や気候変動を引き起こしてきた根本の原因を見つめ直すことなく、ワクチン的な考え方で取り繕ってきた限界をいよいよ感じてはいる。ただ、来るべき未来、全滅か生存か、目の前で選択が迫られた時に遺伝子組み換えを選択する農家さんのことを私は罵れないなと思った。よくSF映画など見る、他の惑星で初めて芽が出た時の描写なんかは言うまでもなく遺伝子組み換えだろう。未来はそうした方向にじりじりと吸い込まれていくのか?
 理解して欲しいのは、わたしは種苗法や遺伝子組み換えに関して、反対から賛成に変わったという主張ではない。今でも私は動物的な違和感からこの二つに関しては反対だ。だけど、これはあらゆる業種に関わってくるが、資本主義のサイクルの中で生活が結びついている以上、切実さは複数存在し始める。主義を選択できるのが特権的に映る地平を生きている階層、そうやって生きることを余儀なくさせる社会は確かに存在する。私はこれに関わっている人たちが抱えていることの難解さに打ちひしがれている。
 当然、これは作った生産者さんの話だけに収まらない。食すことは企業への投票になり、結果、自覚的であれ無自覚であれ何かしらの主義を選択して当事者として生きている。
 最初に述べたように、食べ物のことを考えることは命のことを考えることに他ならない。私は浮かぶ人の顔が多すぎてこんがらがってるよ。その上で未来を生きるあなたに問う。

あなたは種苗法についてどう思いますか?

 
 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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第11回 難波ベアーズ

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

緊急事態宣言を受けて二日目、コロナの影響により経営難を抱えたそれぞれの場所が生き残りをかけた救済戦争をSNS上で起こしている。あってしかるべきだと思うし、クラウドファンディングによって成果を出しているところも多くあるみたいだ。音楽という枠組みを超えてSAVE THE CINEMAが始まり、他の職種にも飛び火するだろう。
 この前の緊急事態宣言の会見で、自粛要請をされていた箱の補償はされないとはっきり念を押され、もう、あんなくだらない会見見るくらいならスーパームーン見るんだったと本気で思った。
 SAVE THE~という題字を見るたびに疲弊していく自分にもしっかり気づいていて、これから加速し続けるであろうSAVEが生みだす過剰な資本主義の加速と分断の可能性に胸が詰まっていく。そもそも自分自身のどこにそんな体力が残っているというのか。三ヶ月間は収入がないわたしだっていつの日かサポートを求める対象になりうる。まあいい。走れるうちに走る。飛べるうちに飛ぶぞ。

単なるドネーションではなく物として価値ある物をベアーズには作って欲しい。
 故郷を思うそんな勝手な気持ちからコンピレーションを作ることを山本精一さんに提案し、2日でメンツが組み上がった。参加して欲しいアーティストに話すと皆二つ返事で、この2日間でこんなメンツが出揃うのは場所の持っている磁場であり、 資本主義に対抗できる一つの確かな価値だと思った。

わたしはベアーズのオーデションでその音楽キャリアを始めた。オーデションと名前のつくものを受けたのは後にも先にもこの一回きりで、きっとこの先もないだろう。本当にわけのわからないアーティストだらけで、東京の奴にわかられてたまるかという謎の風潮があった。
 だからその頃のわたしはライブでMCをする奴なんてこびていると思っていたし、打ち上げにいくなんて媚びていると思ったし、自分たち以外のレーベルで出すなんて媚びていると思っていた。そんな屈折したマインドが屈折していることにも気づかず自然といられる場所、それが難波ベアーズだった。

 

 

冷房がやたら効いていて、静かなうたものなんかを聞き終わると必ずトイレに行きたくなる。
 照明は白と赤の二つ。たまにスタッフが人力でスイッチをカチカチやってストロボを作ってくれるから正確にはパターンは三つ。一番最近にでたのはKID FRESINOとGEZANのツーマンで、フレシノギャルがインスタにあげようと頑張っていたが暗すぎて何も写っておらず何度もトライする涙ぐましいシーンが記憶に新しい。

山本さんには色んな時にお世話になっていて、思い出されるのは2011年、前回のベアーズオムニバスのコンピレーションのレコ発を心斎橋クアトロでやった時だ。人とのコミュニケーションが今よりも格段に下手だったわたしは大トリのGEZAN のライブ中にオシリペンペンズのモタコと喧嘩になり、なんか知らないけど便乗して入ってきたクリトリックリスのスギムなんかも交えて乱闘になった。なじりあい、つかみ合い、もみくちゃになって、混乱したモタコはなぜかフロアでうんこをしようとした。意味は不明だ。もはやカオスを極めてシーンと白け切ったフロアで、急に山本精一はステージの脇から出てきてマイクを掴み、叫んだ。
「ベアーズなんてこんなもんですわ。」
 そう言って地面にマイクを叩きつけて帰っていった。反響するマイクと短いハウリングの中、そのイベントは誰もが固唾を呑むようにして幕を閉じる。
 楽屋に帰ると当時ペンペンズのドラムだった迎さんがニコニコしながら近づいてきたから、こういうのもおもろいな!とか言って握手でもされるのかなと思ったら胸ぐらを掴んで「うちのボーカルに何してんねん。殺すぞ」と壁に頭を押しつけられた。気動が塞がり、呼吸が苦しくなりながら「いいバンドだな~~」と感心したのを覚えてる。わたしはわたしで謝らなかった。
 山本さんは「音楽なんてこんなもんやで、殺し合いやで」と居酒屋で励ましてくれた。それがどういう励ましなのかは今でもわからないが、励まされたのだから励ましなのだろう。

 

 

時代は急を要している。有益、無益で、資本主義の中で力のないものは振り落とされる。白と黒の間にあるグレーはどちらかに振らされ、その曖昧さはないものにされる。
 いくらいくらお金を集めるとか、何人集客したとか、数字が飛び交い続ける中で、誰の何の役にも立たず、何も有益なものを生み出さない時間や物がいかに大切か、わたしはどれだけ困窮してもそれを捨てたくない。自分たちはあの場所で鳴らされた ディストーションの子ども。
 人のほとんどいない平日のフロアで地面を這いずり回って、言葉にならない声を叫んでる顔も知らない奴のあのシャウトをないものにしたくない。
 本当はサポートなんて言葉、大嫌いだ。続いて欲しいから買う。そこにいく。聞く。当たり前のことが当たり前にあるだけでいつだってシンプルだろう?
 お願いなんかしないよ。自分で考えろ。わたしはわたしがしたいからした。それだけだ。

ちなみにこのコンピレーションを企画したわたしたちに山本さんは「財布一緒に探してあげてよかった」と言っていたらしい(笑)
 何の話?でも言われてみるとなくした財布を一緒に探してもらった記憶がうっすらと思い出されきた。そしてそれは思い出せたとて断じて関係がない。
 そうこうしてるとペンペンズのモタコからメールがきて、開くとベアーズコンピ に参加したいという打診だった。めちゃくちゃいい曲ありますと添付されていた曲は一生「全員転校生~」と言いまくってる曲だった。

歴史は交錯し、新たなページがめくられる。続いていく限り新たなドラマは展開されていく。小説や映画なんかよりよっぽどドラマチックだろう?その白紙のページが楽しみでたまらない。その白色に垂らす赤いインクを思うだけで、この一人の部屋での戦いもなんとか生き残れる。

あの穴蔵に早く帰りたい。
文化人になどなってたまるか。
コーンの潰れたマイクが握られたがってる。
ハウリングがわたしを呼んでいる。

 

 

ベアーズオムニバス/日本解放


想い出波止場2020 AGAIN with DJおじいさん
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メタミュラー・グヌピコ aka 中林キララ
HARD CORE DUDE
青葉市子
オシリペンペンズ
https://jsgm-online.stores.jp/
https://youtu.be/f1KeP5VZ26Y

 

 
Photography 山本精一

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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