第8回 豊かな世代と「ママっ子男子」の登場

母となった人の多くが「息子が可愛くてしょうがない」と口にする。手がかかればかかるほど、可愛いという。女性たちは息子のために、何を置いても尽くそうとする。それは恋人に対するよりも粘っこくて重たい心かもしれない。息子たちは、そんな母について、何を思っているのだろうか。そのような母に育てられた息子と、娘たちはどのように関係を作っているのだろうか。母と息子の関係が、ニッポンにおける人間関係の核を作り、社会を覆っているのではないのか。子育てを終えた社会学者が、母と息子の関係から、少子化や引きこもりや非婚化や、日本に横たわる多くの問題について考える。

平昌オリンピックは長野を超える数のメダル獲得数となったようで、元気な若者たちが目立ちました。いまやニッポンの息子ともいえるフィギュアスケートの羽生結弦にいたっては、類い稀な魅力とオーラで世界の人々を虜にしています。そんな新しい息子たちの世代が登場したようです。この明るいニッポンの母と息子の関係はいったいどういうものなのか、これまでとどこがちがうのか、そして、これからどうなるのかを考えてみたいと思います。

「マザコン男」と「ママっ子男子」

「ママっ子男子」の名付け親である原田曜平氏によると、20代の若者とコミュニケーションをとるなかで、母親と仲が良い男子が増えていることを実感したそうです[1]原田曜平,2016,ママっ子男子とバブルママ:新しい親子関係が経済の起爆剤となる,PHP新書.そこで、従来ネガティブに語られることが多かった「マザコン」と区別するために、特に母親との仲が良い男子を「ママっ子男子」としたのです。著者はマーケティングアナリストなので、このタイプの親子による消費を喚起するところに目標が置かれています。以下では、「ママっ子男子」についての解説を引用させていただきながら、消費行動にとどまらず別の観点からも、起きている現象を探ってみたいと思います。

まず「ママっ子男子」の母親は、1961年から1970年生まれの、「バブル世代」が中心で「新人類世代」が加わります。まさに筆者はこの世代の母親でもあり、息子は20代。原田氏の分析は鋭く世代を捉えていると感じました。日本では長らく「マザコン男」、と忌避されるのを嫌って、母親とは疎遠であるべきだという妙な規範が浸透しているところがあります。「マザコン男」の象徴ともなった1992年放映のテレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の冬彦さんといえば、この時代知らない人はいないほど。私自身もリアルタイムで視聴したドラマでした。姑役の野際陽子のおどろおどろしいまでの息子溺愛ぶりと、息子役の佐野史郎の情けなさが強烈な印象を残しています。最終視聴率が34%ともなれば、もはや社会現象だったといえるでしょう。

でも、考えてみるとおどろおどろしい嫁姑ドラマを家族で楽しく見られる時代とは、そんな関係性がリアルに想像できる程度に残っていつつ、一歩引いたところから客観視する余裕ある状況になっていたのでないかと考えられます。「あー、こういうのありそう。でも私たち夫婦は違うよね、あはは。」「こんな姑に夫婦関係を壊されないように気をつけないとね、だから姑と同居は無理かも。」といった具合に。「ママっ子男子」の母親たちは、1992年といえばまさに結婚相手探しの真っ最中。このドラマは、相手が高学歴男性であっても「マザコン男」じゃないかどうか気をつけたほうがいい、という強烈なメッセージとなっていたに違いありません。

 そして、息子を「マザコン男」にしてはいけないという明確な意思が埋め込まれた時代に結婚した母親たちは、子育てにあたって冬彦さんを反面教師とし、精神的に息子に依存してはいけないと心に誓いながら、新しいバージョンの母息子関係としての「ママっ子男子」を生み出していったのです。

「ママっ子男子」としての羽生結弦

 フィギュアスケートでオリンピック2大会の連続金メダルという偉業をなしとげた羽生結弦は、ネット上ではマザコンと揶揄されることもあるようですが、私は違うと思います。むしろ「ママっ子男子」なのではないでしょうか。羽生結弦の親はメディアに登場することはないし、家族関係についての情報は乏しいのですが、断片的に垣間見える逸話からとらえると、スケートをやりたくてやっているのはあくまで本人であり、親はそれをできるかぎり支援するという関係性を徹底している家族なのだと思います。

原田氏は、新人類世代が親になったあたりから、「好きなことを思い切りやれ」と「子どものことを全力で応援する親」が現れたと指摘し、羽生結弦選手を始め、平野歩夢、平岡卓らが大舞台に臆することなくソチ五輪でメダリストとなった事実をとりあげています。ただ、彼らを「ママっ子男子」だと直接に言及しているわけではありません。ソチ五輪若手メダリストの三人のうち、平野、平岡の両選手はどちらかといえば、父との二人三脚を常々口にしているとおり、一般の親には到底できない時間と金銭を父が投下するアスリート早期教育が施されたのだろうと推測されます。スノーボード・男子ハーフパイプの二人はどちらかというと、スポーツの世界で従来からみられる1つの典型的な父子鷹的家族なのです。

ところが羽生結弦の父は中学校の数学教員で、特別に運動能力に秀でる経歴を有しているわけではありません。野球部の顧問だったこともあるようですが、息子のフィギュアには一歩引いて見守るスタンスを貫いています。遺伝と家庭教育の成果として才能が開花したという家族の物語を期待する人からみれば、物足りない話になります。結弦の父親の妹によると、「小学校3~4年生の頃、スケートの練習が少し嫌になっていたゆづに、『野球のほうがおカネもかからないし、スケートが嫌なら辞めてもいいんだぞ』」と父が言ったこともあるそうです[2]週刊現代,2015, 天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」:なぜあれほど、心が強いのか(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41840?page=3),口先だけで脅かす親はよくいるのですが、結弦の父は心の底からそう思っていたのでしょう。姉が通っていたスケート教室についていったことから始めたフィギュアは、どちらかといえば女性に好まれるスポーツです。しかも結弦が喘息持ちであって埃の出ないスケート場でしか運動しにくかったという偶然性が、かえって継続を後押ししたようです。誰のためでもなく自分がやりたくてスケートを続けるという結弦の意志が、明確にさせられた瞬間だったのでしょう。

その後、結弦は17歳でブライアン・オーサーコーチに師事するためにカナダに母親とともに移住しています。そればかりでなく、母親は多くの試合会場やインタビューにも同行するマネージャー活動を行っています。生活では家事全般をすべて引き受けて息子を支え、時に衣装さえも手作りしていたという二人三脚ぶりは、際立って強い絆を感じさせます。そして、試合後に初めてメダルを母にかけたことを衒いなく語り、母への感謝をはっきり口に出すのも羽生結弦の特徴です。仲良く2人で談笑しながら宿泊先へと向かう母息子の様子は確かに少し前にはみられなかった親子の関係性でしょう。

行動からみる「ママっ子男子」像

では、実際にどういう行動を「ママっ子男子」像ととらえられるのか、あらためて原田氏の著書で述べられている「ネガティブなマザコンとは違う、新たな男子像」から拾っておきましょう。具体的にはこんな行動をする男子が増えているといいます。

「話題のレストランに二人でいく。買い物に一緒に出かける。さらには二人で旅行に行く。美容や健康など共通の関心がある。恋愛やセックスの相談を持ちかける。母親と友だち感覚でつきあう。」

その一方で、「母親に対する精神的な依存度が高いとまではいえない」ようで、精神的な自立に関していえば、進学、就職、結婚、といった人生の重大事において、どの程度親の意見を参考にするかを身近な「ママっ子男子」的な45人に尋ねると、「かなり参考にする」と答えるのは6人しかおらず、8人は「まったく参考にしない」とバッサリ切っています。日常生活で話題を共有したり、行動をともにしたりしても、意見はさほど影響していないとのことでした。基本的に専業主婦が多い世代の母親ですから、息子は職業のことをそうそう相談できはないとシビアにみているわけですね。「ママっ子男子」認定された人から出てくる言葉のなかには、親が自分の意見を押し付けず、子どもの判断を尊重してくれるから、という言い回しもみられます。また、「祖父母が押し付けてくるのが嫌だったから、親はそうしているらしい」という語りもありました。

たしかに「ママっ子男子」の親世代は、さほど寛容な時代に育ったとはいえません、学校は厳しい規則に縛られて自由でなく、校内暴力も頻発しました。ものわかりのいい教師や親はとても少なかったと思います。だからこそ子ども世代には違う教育をしたいという強い意志のもと、自分の世代で親子関係を意識的に変化させている面があるのです。

また、「ママっ子男子」のいる家族は兄弟姉妹同士もふくめ家族全般に仲がいいというのも特徴と書かれています。羽生結弦は姉もフィギアをやっていますが、本人がインタビューで、「4歳半上のお姉ちゃんの後を追いかけていたらいつのまにかスケートをやっていた」と語っているように、姉が身近な指導者でライバルだったのでしょう。彼の負けず嫌いぶりは、常に追いかける対象となるスケート上手な姉が身近にいたからこそ鍛えられたのだと思います。でも、その後姉も長くスケートを続けてその後はスケートリンクで働いています。自分もスケートを続けながらも、弟のずば抜けた才能を応援できるきょうだい関係は、親がそれぞれの子どもを平等に接していなければ保てません。もし息子のみを溺愛する母であったなら姉は心おだやかにすごせませんし、ましてスケートを続けるでしょうか。スケートの能力にこだわることなく自己を肯定する精神を姉も獲得できているのでしょう。

こういう家族関係のもとで羽生結弦の心には雑念が入り込まずにすみ、本番で自分の演技へのずばぬけた集中力をみせたのだと思います。「今回は自分に勝ったのだと思いました」という金メダル後の発言や、演技後に自分の足首をさすって「ありがとう」とつぶやくなど、自分の肉体を精神が強くコントロールしている勝負強いアスリートらしさは、みかけの柔弱さとは対象的に屈強さを感じさせます。みかけの屈強さにこだわりつつ精神の脆さを隠している男性に飽き飽きしている世界中の女性たちから、彼は敬愛されるのです。

「友達親子」とジェンダーフリーの浸透

こうやってみると、「ママっ子男子」とは、娘との間ではかなり広がっていた親子関係の友達化、あるいはフラット化現象が、異性間の親子関係まで広がった状況であるように見えてきます。ということは、おそらく同時に「パパっ子女子」も増えているのでしょう。これまでも、10代の娘と得意分野についての母と息子の情報交換を盛んにしているという解説をみると、男子が美容や健康に気を使うようになってきた面も見逃せません。その結果として母親の得意分野と会話しやすくなっているのです。

どれだけバッシングされようがジェンダーの境界はゆらぎ、ファッションもすっかり自由になりました。明るいピンク系のTシャツ、花柄が散りばめられたシャツなどをおしゃれに着こなしているカラフルな男子学生が溢れているキャンパスをみるとき、時代は確実に変わってきたなと感慨深いものがあります。女子がクールなジーンズからフリフリなスカートまで着れるのに、男子はスカートを履くとまだ目立つのは少々残念ながら、ついに登場してきたスカート男子もいます。ジェンダーレスは急ピッチで社会の目に見える場所にあふれ出しました。女性の鉄道オタクも増えて運転士となったりする時代、ジェンダー領域での相互乗り入れは当然でしょう。女性に好まれる男子像が変化したことも男子フィギアが急速に強くなった理由かもしれません。

親子関係も急速に変化しています。講義でエマニュエル・トッドの親子関係4分類を示し、日本の親子関係が権威主義、兄弟関係が不平等、と歴史人類学的には言われていると話した後、「みなさんの家族はどんな関係性でしたか?」と質問をすると、いまやすっかり家族関係は、親子関係が自由主義、兄弟関係は平等主義であるとリアクションペーパーに書いてくる学生が多くなりました。その割合は年々増えているように感じます。

ちょうどその頃東京の郊外住宅地で育った学生たちから、「うちの家族はクレヨンしんちゃんみたいだった」という声もよく聞かれました。フラットな親子関係の延長に、青年になったときに友達付き合いのような母息子関係が残ったとしても不思議はありません。原田氏は「ママっ子男子は世界標準への揺り戻しである」と述べました。私は家族に世界標準があるとは思っていません。けれども、「親子関係が自由主義、兄弟関係は平等主義」で個人が互いの生活領域を尊重する関係性を当たり前と感じながら育つ人が増えたら、社会に革命的な変化がもたらされる可能性があると思います。それは、ニッポン社会にフランス人に多いといわれる「平等主義核家族」が根付いていくことを意味するからです。

SNSによるコミュニケーションが変える親子関係

これからも仲の良い息子と母、そして言葉によるコミュニケーションの多いフラットな家族は増えていくでしょう。わざわざ「ママっ子男子」といわずともよい時代がやってくるのではないでしょうか。コミュニケーションツールは格段に変わりました。いまでは、LINEなどのSNSで家族グループを持っている人も多数いるでしょう。マイナビ学生の窓口による調査では、大学生の4割が家族のLINEグループがあると答えています。子どもの方から作ってくれと言われた親が多いのでしょう。子どもがいると次世代の遊びやテクノロジーを親も使うことを意外に強いられます。60年代以降生まれの「ママっ子男子」の母親世代は、社会人のころはまだワープロで事務仕事をしていて、職場にパソコンがやってくる前に引退してパソコンには不慣れな人も多いのですけれど、ポケベル、PHS、携帯、スマホ、と次々に出てくるコミュニケーションツールにはなんとか対応してきました。そうすると、同じ世代の友達もつながりやすくなります。

LINEには、スタンプなどによるアイコン表現もありますが、基本的には言葉を介してやりとりしなくてはなりません。意外にもSNSを頻繁にやりとりする関係性とは、日々言葉で伝える訓練をしている側面もあるのです。アルバイトやサークル、そして母も仕事が入っていてスケジュールの調整をするのがあたりまえとなり、家族のコミュニケーション方法は激変しました。その関係になれている世代からみると、SNSを使わない祖父母世代とはどうしてもコミュニケーションの様式にズレがあり齟齬が生まれます。面倒な上に費用がかかる電話しかない実家に、頻繁に連絡をとるのが精神的におっくうになってしまうのです。結果的に、二世代のコミュニケーションのみが濃厚になり核家族性が強まる可能性があります。

それぞれの生活で忙しいスケジュールをぬって、ときおりSNSで連絡を取り合い、時間と場所が合えば会ったりビデオ電話で話したり。そんな関係性はもはや「ママっ子男子」などというようなものでもなく、大人になった息子と母親のありふれた関係でしかないでしょう。

失われる豊かさと母のこれから

しかし、移住先のカナダにすら同行して生活支援に徹することができる母親と、一家の経済を支えながら、毎日スケートリンクへ車で送り迎えしてくれる父親を持つという幸運がどの子どもにも与えられるはずはありません。羽生結弦がいかに生まれ持って豊かな才能があろうとも、それを開花させるだけの時間や金銭を家族が持っていなければ選手として生き延びることすらできなかったでしょう。浅田真央の母親は子ども2人にスケートを続けさせることはどうにかできましたが、自身の健康を維持することはかなわず若くして亡くなりました。伊藤みどりの時代には、生活をまる抱えして教え育てる親代わりの山田コーチと、経済的支援をする太っ腹な経営者堤義明がいましたが、そういう個人は現代日本に現れうるでしょうか。

冬のオリンピックはやはり北の先進国の祭典であることは一目瞭然で、いま活躍している子どもたちは豊かな時代の申し子ともいえるでしょう。キリスト教文化圏では、イエスが貧しい家庭に降誕したという聖書の教えもあって、才能ある子どもをGiftedと受け止める考えが浸透しています。たまたま贈られた才能ある子どもを、周囲は家族でなくとも支えるという発想がどこかにあるのです。現代ニッポンでは支援を家族がやってあたりまえで、社会で支える仕組みが全く機能していません。そこかしこに見出されていない子どもたちの能力が眠っていたり、また親の都合で潰されたりしているように感じます。

そして、これからは母にも自分の能力をいかした仕事が家族生活の外にある人も増えていくでしょう。未来のアスリートの母親は優秀なマネージャーとして外で稼ぐ人になっているかもしれません。外部と調整し交渉し手配して選手に気を配る。それはとても重要な仕事ですし、お金にかえられる能力です。家族のために無償でその仕事についている母親たちの能力は、本来社会で活かされるべきでしょう。。特に、貴重な人的資本を持つ大卒の女性がジェンダー規範や組織の男女不平等という社会構造のなかで使われずに、家族に向けられているのがニッポンの現実なのです。羽生結弦の母の世代は女性の学歴が高まったにもかかわらず、身につけた教養のほとんどを家族にふり向けています。母親が家族の後方支援にやりがいを持って遂行できる人格でなければ、この息子への無償の支援はなりたちえません。母が自分のやりたい職業について忙しかったら、子どものマネージメントに割ける時間はほとんど残らないのですから。母親が自分の職業人生を持つようになれば、家族を支える役割で満足できる人の割合は減るでしょう。

家族を無償で支えるなんて当たり前ですか?家族が支えたからといって息子がオリンピックで金メダルを取るかどうかなど確約されていなくても?わかりやすく見える分野の能力であれば、天から舞い降りたGifted(才能ある子ども)は周囲を巻き込み右往左往させながらも、自分を伸ばしていくでしょう。でも、大半は誰にも気づかれずに機会を逸している子どもがほとんどなのです。世界中でお金も時間もかかる種目のスポーツや音楽の世界に、熱心な母親が多いアジア系が目立つのも偶然とはいえません。母となった女性の社会進出が遅れている現実とセットの社会現象なのです。

団塊ジュニア世代以後になると、母親が仕事に出てなんとか生計を維持している家族も増えます。バブル期世代に比べて、子どもにスケートを続けさせる時間とお金がない家も多いでしょう。「ママっ子男子」と母たちは、マーケティングのターゲットになる豊かさの名残りがある時代に登場しました。子どもや夫を後方から支える生活に充実感を得られる専業主婦の母親がおり、スケートの継続を可能にするほど父親の給料がまだ潤沢であった経済的に豊かな時代に、羽生結弦という1人の天才が生を受けたことで、2大会連続の金メダリストは育ちました。これからの時代、家族が支えずとも天才が生き延びられる環境が整わないのならば、2度と彼のようなメダリストはニッポンに現れなくなってしまうかもしれません。

母に頼らないで子どもの持っている力を存分に引き出していくシステムをどれだけ社会がつくれるのか。その違いが将来のメダル数に響いてくるでしょう。女性が家族の外で自分の能力を活かしつつも、子どもの能力をつぶさなくてすむシステムをつくることが子どもを持つことへの安心感を増やし、ニッポンの少子化対策の鍵となると私は考えます。

1 原田曜平,2016,ママっ子男子とバブルママ:新しい親子関係が経済の起爆剤となる,PHP新書.
2 週刊現代,2015, 天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」:なぜあれほど、心が強いのか(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41840?page=3),

Profile

1964年、三重県尾鷲市生まれ、愛知県で育つ。早稲田大学卒業後、シンクタンク勤務をへて東京工業大学大学院修了。博士(学術)、社会学者。現在、早稲田大学文学学術院ほか非常勤講師。主な著書に『子育て法革命』(中央公論新社)、『家事と家族の日常生活:主婦はなぜ暇にならなかったのか』(学文社)、「平成の家族と食」(晶文社)など。