第9回 複雑な現実は複雑なままに扱う

内田樹先生と三砂ちづる先生の往復書簡による、旧くてあたらしい子育て論。ともに離婚により、男手で女の子を育てあげた内田先生と、女手で男の子を育てあげた三砂先生。その経験知をふまえた、一見保守的に見えるけれども、実はいまの時代にあわせてアップデートされた、これから男の子・女の子の育て方。あたらしい世代を育てる親たちへのあたたかなエール。

第9便・A

人間が太古から物語を使って行ってきたこと

内田先生

こんにちは。

新型コロナパンデミックがまだ続いています。3回目のワクチンを打ちました。2回目のワクチンの後もきつかったのですが3回目も九度の熱が二晩出て、リンパ節やら胸やらが痛み、なかなかのものでした。普通なら副作用と訳されるAdverse effectを「副反応」と訳していますが、そもそもAdverse effectは文字通り訳せば、有害作用、です。せめて、普通に副作用と呼びたいです。けっこうな副作用を普通に健康な人が経験しなければならないのも、なかなか厳しい。打てば、絶対感染しませんよ、というようなワクチンではないし。それでも、入院や重症化、死亡は減らすことができそう。変異株への効果がわかるのはこれからですし、どのくらい効果が継続するのかがはっきりするのもこれからで、まだはっきりしていない。

でも、それはそうです。世界で初めてでてきたウィルス、しかも変異し続けるウィルスに対して、わからないことだらけでも、なんとかできることをやろうとしているわけですから。エアロゾル感染であることが認められて、エアロゾル感染とはほとんど空気感染ということですから、だれでもどこでもかかりうる病気で、しかも致死割合はそれなりに高い病気なのですから、もう全力の対策を打つしかありません。世界中で、やっております。そして、その切り札の一つが、このワクチンなのですから、できるだけたくさんの人に打ってもらうしかない。大きなレベルではそういうことです。個人的なレベルでも、国際保健の仕事で海外に出ていく(具体的に言えば来月、エルサルバドル・メキシコに行きます)ので、個人的に少々副作用がでようが、打つ必要があります。でも、しんどかったです・・・。

まあ、自らを守るためのワクチンで、短期的に結構つらい目をするのは、既視感があり、今では、生涯に一度打てば良くなった黄熱病のワクチンで経験しています。今まで渡航してきたブラジルやコンゴDRCでは黄熱病のワクチン接種が義務付けられる時期もあり、このワクチンを10年に一度打つ必要がありました。人生で3回打っていると記憶していますから、こういう国と30年は行き来してきた、ということです。これがまたなんというか、めんどくさいというか、ワクチンを打って一週間してから副作用が出ます。普通、予防接種を打って一週間もすれば、打ったことを忘れます。忘れた頃に、体調が悪くなる。こちらも毎回、一日二日は寝込むほどだったと記憶していますが、毎回、びっくりします。あれ、なんで体調悪いの?あ、そうだ、一週間前に黄熱のワクチン打ったんだった、という感じ。

それでもこれらの症状はよくなります。良くならない症状が長期的に残る、と疑問を持たれているワクチン、しかも、空気感染でもなく誰でもがかかりうる病気ではないような、さらに他の予防手段があるような病気のワクチンについては、本当に打たねばならないのかというとそれはまた別の話だ、と思っていますから、この新型コロナワクチンを打つことが重要になっている今、他のワクチンも同様に接種が推進できるか、というと、そういうわけではないだろう、とは思っています。

それにしてもそれなりに世界中で使うことができるようなワクチンがこのスピードでできたことで、パンデミックが始まった頃に少なくとも3年はかかるだろうと言われていた収束への道のりは、早回しになったと思います。早回しになってもやはり3年弱かな、という感じはしますね。治療薬も世界中で研究されてはいますがこれこそ切り札、と言える治療薬がある、とはまだ言えないですしね。

言及されていた、カミュの『ペスト』、私もあらためて新訳を読みました。あらためての、ベストセラーですよね。見事すぎるフィクションです。この時代にペストは流行っていないはずだよな、と、わかっていながらも、つい、いや、ほんとはあったんじゃないの、と思わされるような、まことに見事な「感染の記録」で、語り手の存在は最後に明かされるのですが、その緻密さに驚かされます。

ペストには、開発されたワクチンがありません。でも今は抗生物質によって治療できることがわかっているので、それほど怖がられていないかもしれませんが、世界でなくなったわけでは全くなくて、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどでは2000年以降も地域的なアウトブレイクが起こっています。でも、ヨーロッパとか先進国で起こっていないから、話題にもなりませんよね。COVID-19がこれだけ大変なことになったというか、あっという間に世界中で問題視されたのも、中国で最初に発見された後、主に先進国、と呼ばれる国々で感染が広がり、多くの死者が出た、ということがあります。現代の世界の三大感染症というのは結核、マラリア、HIV/AIDSで世界で年間240万の人が亡くなる、と言われていました。これらの三つの病気はコントロールの方法がわかっているわけです。結核には、B C Gワクチンもあるし、治療薬がある、マラリアもとにかく蚊をコントロールすることが大事だとわかっているし治療も可能、HIV/AIDSはワクチンは結局できていませんが、発病を抑える薬はありますし、何よりコンドーム等で予防できる。でも、いわゆる途上国で、これらの病気は全然コントロールできていない。ということは、お金があればできるのだから、やらなければならないことがたくさんある、ということです。それでも先進国の多くはこれらの病気に冷ややかです。自国の問題では、もはや、ないから。これらの感染症を専門にしているヨーロッパ在住の国際保健の友人は、COVID-19感染拡大の初期に、「ヨーロッパで広がる病気だったら、これだけ騒げるんだな、と、つい思ってしまった」と言っていました。そうですね。

「複雑な現実は複雑なままに扱う」と書いておられました。近代医学の功績って外科手術の洗練とか抗生物質の発見とかいろいろありますし、また、功罪、という形で批判をされてもいますけれど、私は近代医学の最も重要だった点というか、素晴らしいところは、「病気をその人のせいにしない」ということだったと思っています。それは、「目の前の患者をただ、患者として扱う」ことで、お書きになっておられるように医師たちの「病気を見ているのではない、患者をみている」という態度に、連綿と静かに引き継がれています。

近代医学は、病気の原因は、ウィルスや細菌などの微生物である、といいました。あるいは、「ストレス」とか、何らかの物質に対する「アレルギー」とか・・・。あるいは染色体異常とか、放射性物質とか。とにかく、その人のうちに原因があるのではなく、病気というのは何らかの形で、外からその人にそれこそ「不条理に」おしつけられたものである、という理解。その人が悪いのではない。それ以前は、病気というものはもっと包括的な、全人的な、霊的な、そんな捉えられ方をしていたと思います。その人の心がけが悪いからだ、ちゃんと先祖を祀らないからだ、生き方に問題があるはずだ、懲罰として病気があるのだ、等々。「ペスト」に出てくるパヌルー神父も当初そのように「罰としてのペスト」を説いていますね。いやあ、ひょっとしたら、そういうこともあるんじゃないか、と、現代人でも時折思うような気もするけど、近代医学では、そんなことは問題にしないことにした。病気になった人を、責めない。病気をその人のせいにしない。病気はその人のせいではない。その病気になった患者の、「今」だけにむきあい、その患者を治療しようとする。

そのような態度に、どれほど救われているでしょう。だからこそ、具合が悪くなると、気軽に病院に行けるのです。具合が悪くて病院に行って、「あなたはガンだが、こうなったのはあなたの心がけが悪い」とか、「脳梗塞を起こしたのは、先祖を大事にしないからだ」とか、「原罪としての感染症だ」などと責められたりしたら、それでなくても病気で具合が悪いのに、もう、救われなくて、つらい思いをするだけになりますが、そんなことは、近代医療の病院では、絶対に、ありません。そんなことを絶対に言われないからこそ、病院に行けるのです。具合が悪くなったり病気になったりするのは、自分が悪いのではない。何か自分の外に何か原因があったのだから、それを取り除いてもらったり、治療してもらったりしに、病院に行く。近代医療のもとに助けを求めれば、あなたがどういう人間であるか、どういう過去の持ち主であるか、ということを問われることはなく、「今このように具合の悪い患者」として、今の状態をよくしよう、と接してもらえるだけです。それは、まことに、素晴らしいことです。

昨今は、生活習慣病、という言い方もされるようになりましたけれども、近代医療の担い手である医者の役割は、患者の生活習慣を治すところにはありません。そもそも、生活習慣というか、その患者の食生活のアドバイスとか、生活改善のアドバイスとか、できるような教育は医学教育課程には、ありません。そんなことまで医者に求めないでほしい。医者としては患者が期待するから、「暴飲暴食やめましょうね」とか、「早く寝ましょうね」とか言ってくれるだけです。医者の仕事は、おそらく今までの生活習慣に原因があったのかもしれないけれどそんなことより、今目の前の患者の問題である糖尿病とか、心臓疾患とかを、さまざまな手持ちの治療手段を駆使して、今の苦しみを和らげようとすることです。

近代医療のいわゆる患者に接する部分、つまり、臨床医学、と呼ばれる分野はそういうことなのですが、患者ではなく、「集団」の健康を扱う公衆衛生もまた、近代医療の枠組みの中にある分野です。疫学は、公衆衛生の最もパワフルな診断道具でありますが、こちらも複雑な現実は複雑なままに扱う、が徹底しており、例えば、食中毒で考えるとわかりやすいのですが、病因物質はわからなくても、原因食品を特定しようとします。つまり、それがサルモネラが原因か、カンピロバクターが原因か、分からなくても、「このソーセージが」とか、「このサンドイッチが」、とか「この辛子蓮根が」とか、原因食品をまず、特定して、対処していくのです。その方が、現場の対処としては、病因物質特定より急がれることだからです。

19世紀のイギリスの医者、ジョン・スノウは1854年、ロンドンにおけるコレラの流行に際して、初めて、流行曲線と、患者の家をプロットした地図を作ります。流行曲線というのは、今、COVID-19パンデミックで我々がほとんど毎日ニュースで見ている、何年何月に何人の感染者、という、あのグラフのことです。ジョン・スノウはそのグラフを作り、さらに、これらが流行しているソーホー地区の地図に患者の家をプロットしていきました。そうすると、クラスター(って、有名な言葉になってしまったから、説明不要ですね)が見えてきます。そのプロットした地図から、ジョン・スノウは、ソーホー地区の、ある井戸の水が感染源であることを突き止め、感染をコントロールしていきます。

当時、コレラの原因はわかっていませんでした。瘴気とかミアズマとかよくわからないものが媒介すると思われていました。コッホのコレラ菌発見は1884年ですから、それより30年も前のこと、「原因物質」はわからなくても「病因物質」である「井戸の水」であることを突き止めた。このジョン・スノウの仕事こそが、近代疫学の始まり、と言われています。つまりは、臨床のみでなく、集団の健康を相手にする公衆衛生でも、複雑な現実は複雑なままに、その「現場の対処」を進化させてきたのです。

原因を探すのではなく、病因をさがす。病因をさがすいっぽう、臨床の現場では目の前の患者をみる。目の前の患者の苦悩をとろうとする。まさに、複雑な現実は複雑なままに扱う。

そのようなブリコラージュなやり方は結局、どこにいきつくのか。それぞれの苦悩を取り除こうとする現場こそが尊重される。それでよいのです。でもそうしていると、今の私たちは使えるものがいっぱいありすぎるようになってきた。科学技術で提案できることがありすぎて、次々に「目の前の人の苦悩」を取り除ける気になるからです。

李琴峰さんの『生を祝う』は素晴らしい小説でした。科学技術の進歩と、同時に、内田先生のお書きになっている「複雑すぎて手に負えないから記号作用を介在される」しか無くなっている性差やセクシャリティーに関する「記号の現実変性力の強さ」について、しみじみと考えさせられるフィクションです。今からおおよそ50年後くらいの社会、外国人との共生も、同性婚も、同性婚でお互いの遺伝子を持った子どもを持つことも、安楽死の合法化も、実現している。死の自己決定権を手に入れた後に人間が向かった先は、「生の自己決定権」で、生まれる前の胎児に出生意思の確認をする「合意出産制度」ができた時代の話です。それこそ記号として正しい「生まれない権利」や「生の自己決定権」が、現実を変えてゆく。臨月の妊婦は全員、胎児の意思を確認し、胎児が生まれたい、という返事をしないと、合法的に出産できない・・・。妊娠出産に関わる、目の前の人の苦悩を取り除いて行った果てに、そして、どう考えたらいいかわからないから、介在させたさまざまな記号が現実を変えていく力の強さに任せた、あり得る未来が展開されています。

カミュが『ペスト』を書いた頃、ヨーロッパでは200年以上ペスト流行が起こっておらず、実感はない病気だった。カミュが『ペスト』をフィクションとして書くことができたように、そしてその力量が、現実にパンデミックに見舞われている私たちに多くの示唆を与えてくれるように、フィクションの世界にこそ、リアリティが見えてくる。現実の苦悩に対処しつつ、同時に概念を使って良いように対応しつつ、「物語」、つまりは、フィクションに、その先の世界を垣間見せられる。そのことによって、ああ、リープしすぎってあるよな、と思いながら、フィクションの展開する先の、らせん状に続く人間世界の思い切り遠くに、振れる、先、をみる。ううむ、やりすぎなのかもしれないから、もう片方の極も残そうとする。具体的にいうと、妊娠、出産について、このような最先端、すなわち体外受精、胎児診断、胎児の「意思確認」、その対処についてのカウンセリング、とか、いろいろ進んで行くと同時に、極北であり得る、「人間は勝手に増えるものだった」という妊娠、出産のありかたこそ、記録され、フィクションにして展開されておくのがよいのかもしれないです。これは実は、人間が太古から、物語を使って、行ってきたことと同じかもしれません。このらせん状のありようが、高みに向かっているのか、地の中心に向かっているのか、私たちには知るすべもありません。

ところで、話は全く変わりますけど。お手紙に、日本の色の名前のことが書かれていましたね。「青」と言っても「浅葱色」とか「瑠璃色」とか「茄子紺」とか・・・と。本当にいいですよね。きものを日常着にしてもう20年になるのですけれど、きものをきてうれしいなあ、よかったなあ、と思うことの一つが、こういう日本の色の豊かさに親しい思いが増し、気持ちをのせていけるようになることですね。一年の8割がた、帯締めは、黄色をつかっています。教師として仕事をしていると、よく着るきものは茶色や藍や黒っぽい紬や普段着が多くなるので、差し色になる黄色い帯締めは、よくあうのです。黄色の帯締めを今数えてみたら、7本ありました。全部違う黄色で、並べてみるだけで美しいグラデーションで、うっとりしてしまいます。色の名前は、黄朽葉(きくちば)、鬱金(うこん)、山吹、支子(くちなし)、浅黄、石黄、蒸栗色。山吹と鬱金はとりわけ気に入っていて、すでにぼろぼろになるまで使ったので、二代目です。季節と、きものと、何よりその日の気分でどの黄色にするか決めます。何という贅沢。ああ、この文化を享受できてよかった、今日をより特別に、楽しくしてくれる、と思う。上野池之端の道明さんの帯締め、いつまでも買えますように、と祈るような思いです。きものの小物のお店が、どんどん無くなっていってしまっていますから。

話、散らかしていいですよ、などと言ってもらったので、本当に散らかしてしまいました。

今日はこの辺りで。引き続きご自愛ください。

三砂ちづる 拝

 

 

第9便・B

自分が自分に釘付けにされていることの不快

三砂先生

こんにちは。内田樹です。

お手紙ありがとうございます。今回もまことにインスパイアリングな内容でした。

お話をうかがって、いろいろと思いついたことがあるのですが、「とっ散らかったまま」に書いてゆくことにします。妙に小細工をして話をまとめないままただ散らかるままに任せた方が話は深まるような気がします。安藤さんは気が気じゃないと思いますけど。

お手紙を読んでいて、思わず膝を打ったのは、近代医学の最も素晴らしいところは「病気をその人のせいにしないこと」だと書かれていたところです。ほんとにそうだと思います。

僕はもともと虚弱な体質なので、よく病気になるんです。身体大きいし、うるさいし、活動的なので、「虚弱だ」と言うと「嘘つけ」と言われますけど、ほんとに弱いんです。病気ばかりしている。昔はひどい頭痛持ちで、よく夜中に頭痛で七転八倒しました。そういうときに、なんとかして痛みを軽減して、眠りを確保しようとして、脳は「物語」を作るんです。それはこの「痛み」が僕の内部に根拠を持つものではなく、「外来の邪悪なもの」だというストーリーです。悪い奴がいて、そいつが「ふふふふ、お前の頭を痛くしてやるぞ」と言って、「痛み」を僕の頭にねじ込んで来る。僕はそれから逃れようとして、身をよじったり、頭に手を突っ込んで「痛み」をつかんで取り出そうとする…そういう夢をよく見ました。その夢のおかげで少しだけ頭痛はその「切迫」度を減じるということがあるんです。自分の姿勢の悪さとか血流の悪さとかが原因で内因的に起きている不調を、「外部から到来する邪悪なるもの」との闘いというふうに読み替えると、少しだけ楽になるんです。

エマニュエル・レヴィナスは、人間にとって最も耐え難い苦しみは「自分が自分に釘付けになっていること」だという卓見を述べています。レヴィナスが採り上げているのは不眠と恥辱と吐き気なんですけれども、これらの不快はいずれも「われわれが自分自身と手を切ることができないことから生じる」ものです。

例えば不眠というのは「眠り方を忘れてしまう」ということですけれども、よく考えると、僕たちは実は「眠り方」なんて知らないのです。いつも気がついたらもう眠っていた。「眠り」は不意に訪れる。だから「私はいま眠れずにいる」というふうに今の自分の状態を正確に把握し、精密に記述しても、それによって不眠が亢進することはあっても、眠りが訪れるということはありません。どこかで自分を手離さないと眠りは訪れない。

たぶんレヴィナス自身、子どもの頃から不眠症で苦しんでいたのだと思います(僕もそうでした)。そして、あるとき不眠の苦しみは何かの欠如ではなく、何かの過剰であるということを理解した。「眠る能力」や「眠りの本質についての理解」が欠如しているせいで不眠の苦しみはもたらされているのではない。不眠の根源にあるのは、不眠で苦しんでいる自分をつい観察してしまったり、その原因を探ったり、その病態を仔細に記述したりしている自分自身だということに気が付きます。自分が過剰なせいで、眠れない。どうにかして自分を遠ざけ、自分の支配を弱め、自分への執着を手離さないと人間は眠れない。

僕が頭痛から眠りを奪還するために採用したのは「自分」と「頭痛」を切り離すことでした。頭痛は僕の生活習慣や遺伝形質によってもたらされ、それゆえ僕に製造責任があり、僕にはそれを統御する義務があります。でも、その真実を受け入れると痛くて眠れない。そこでこれは「邪悪なもの」が僕の意に反して押し付けてくる外来の痛みであるとみなすことにした。するといくぶんか痛みが耐え易いものになる。

なるほど、そういうものかと思いました。

ですから、医療でも、医療者と患者が一致協力して、外因性の「邪悪な痛み」と戦い、それを遠くへ押し戻すという「物語」に回収すると、少なくとも患者にとっては、身体的苦痛は一時的にではあれ、その「耐え難さ」を減じることができるんだと思います。

医者が不調を訴える患者に向かって「それ、全部あんたの遺伝形質と生活習慣のせいだよ」と言い放つというのは、たとえそれが事実であっても、やってはいけないことだと思います。

病気の原因はその人のうちにあるのではなく、「何らかの形で、外からその人に不条理におしつけられたものである」というのが近代医学の「癒しの物語」だとしたら、それは長い経験と深い人間理解に基づいて採択されたものだと思います。そういう物語のうちに身を置くことで、患者の気分が楽になり、よく眠れて、食欲も進み、生きる意欲が湧いて、自己治癒力が高まるなら、それは立派な治療法だと思います。

僕はすごく不調な時もお医者さんにかかると、それだけで半分がた治るということがよくあります。特にお医者さんが退屈そうに「よくある病気です」とさらさらとカルテに病名を記すのを見ているだけで、「なんだ、よくある病気なんだ。症例もいっぱいあって、治療法もとっくに確立しているんだ」と思い込むと、それだけで何となく気分がよくなる。近代医療の枠内で治療を受けているんですけれど、まだ処方された薬も飲んでないうちから治り始めるのだとしたら、僕においての「治癒の物語」は立派な「前近代」です。

救急車で搬送されるというのも、それだけでもうかなりの治療行為だと思います。ストレッチャーに載せられて、脈をとられたり、心電図をとられたりして「まないたの上の鯉」状態になると、それだけでもうほっとする。「もうこれからあと僕の病気は僕の手を離れて、医療人たちの管理下に移管されたのだ。もう、僕は自分の病気を自分で管理する義務から解放されたのだ」と思えるからです。統計的なデータがあるかどうか知りませんが、救急車から降りるころには「なんか気分よくなりました。救急車なんか呼んですみません」と謝って家に帰る人って、けっこういるんじゃないでしょうか。

だから、近代以前の医療でも、同じような「患者を救う物語」がいろいろ用意されていたと思います。「あなたの病は霊の障りである」というのもたぶんその一つで、これは「だから除霊すれば治ります」というかたちで病苦を外在化する。もちろん悪魔祓いをしても祖霊を供養しても、病気そのものは治りませんが、物語のレベルでは、病気と自分を切り離すことができる。それによって「自分が自分に釘付けにされていることの不快」はいくぶんか緩和されると思います。

三砂先生のお書きになったイギリスの医者、ジョン・スノウの話、ご教示ありがとうございました。「複雑なものは複雑なまま扱う」好個の事例だと思います。「原因物質」はわからなくても「病因物質」がわかればいいというのは、ウイルスの発見と似てますね。僕の頼りない医学史知識によると、19世紀の末頃にロシアのドミトリー・イワノフスキーという人が陶板の細菌濾過器を通しても感染性を失わない「見えない物質」があることを発見しました。のちにこれが「ウイルス」と呼ばれるようになった。

この「見えない物質を発見した」というところが科学の骨法だと思うんです。「観察できないけれども、そこに『観察できない何かがある』と仮定するといろいろなことのつじつまが合う」場合には、「手持ちの観察機器の精度が低いから」という説明は二重の意味で合理的だと思うんです。一つは「そう仮定するといろいろなことが説明できる」からで、もう一つは「そう仮定すると計測機器の精度を高めることへのモチベーションが生まれる」からです。僕は「計測機器の精度を高めることへのモチベーション」を刺激するということがこういう「見えないものを発見する」という知的アクロバシーの一番生産的なところじゃないかという気がします。

「オレはオレの目に見えるものしか信じない」というのは、一見すると骨のあるプリシンプルみたいですけれど、これで押し通す人においては「オレの目」の精度を上げるということは優先的には配慮されない。「顕微鏡で見えないものの存在をオレは認めん」と言い張る人が顕微鏡の精度向上のために汗をかくという風景はなかなか想像できません。

世に言う「リアリスト」というのは「自分が知っていることの重要性を過大評価し、自分が知らないことの重要性を過少評価する人」というふうに定義していいんじゃないかという気がします。僕はこれを「リアリストもどき」だと思っています。「真のリアリスト」というのは「今はまだ感覚に感知されないけれど、遠からず可知化しそうなもの」や「今は現前するけれども、遠からず消失するもの」を含む広いスペクトラムの中で「リアル」というものをとらえる知的習慣を備えた人のことではないかと僕は思います。

ジョン・スノウやイワノフスキーの例が教えてくれるのは「今はまだその存在を確認する手段がないけれど、『それは存在する』という仮説を採る方が『それは存在しない』という仮説を採るよりも説明できることが多い」場合には、「それは存在する」仮説を暫定的に採用する方が生産的だろうということです。

なんだかややこしい言い方ですみません。でも、三砂先生には僕が言いたいことは分りますよね。

疫学の話からずいぶん逸脱してしまいました。でも、「リアリスト」とは何かということがとりわけ気になってきたのは、ウクライナで戦争が始まってからです。さまざまな「専門家」たちの話を聞きながら、「真のリアリスト」と「リアリストもどき」の語り口の違いを興味深く観察しています。「自分が知らないことによって世界は満たされている」という無能の自覚の上に立って「今起きていること」「これから起こりそうなこと」を観察している人の言葉に僕はつい耳を傾けてしまいます。

今回も相変わらず話は散らかったままですけれど、まだもう少しいいですよね。安藤さんがご心配されていると思いますけれど、そのうちにちゃんと企画書の線に戻ると思います(希望的観測)。

では。

内田樹 拝

内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。凱風館館長。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に『「おじさん」的思考』『こんな日本でよかったね』『コモンの再生』『日本習合論』など多数。『私家版・ユダヤ文化論』で第六回小林秀雄賞を、『日本辺境論』で2009年新書大賞を受賞。

三砂ちづる(みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。京都薬科大学卒業。ロンドン大学Ph.D.(疫学)。津田塾大学多文化・国際協力学科教授。著書に『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』など多数。