第6回 ずっとそうだった

海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考え込み話し合う哲学対話。小学校、会社、お寺、路上、カフェ……様々な場で哲学対話のファシリテーターを務める著者は、自らも深く潜りつつ「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」を追いかけてきた。当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間、哲学現在進行中。「え? どういう意味? もっかい言って。どういうこと、どういう意味?」……世界の訳のわからなさを、わからないまま伝える、前のめりの哲学エッセイ。

「親戚が好きになれない」。ある哲学対話で、参加者のひとりが言った。

家のさまざまなしがらみ、習慣、伝統などを受け継いでいかなければならないために、彼はしばしば親戚と集まらざるを得ないという。それでも、親戚が好きになれないと苦笑しながら話す。

墓を守るとはどういうことか、というテーマだった気がするが、あまり覚えていない。参加者はほとんどが初対面で、わたしにとっては見慣れぬ土地での哲学対話だった。それぞれの墓の守り方が紹介され、吟味され、議論される。どうすべきか、という建設的で解決に向かうような対話ではなく、むしろそれぞれが見ようとしていなかった自身の前提や欲求を丁寧に紐解いていくような時間だった。

2時間ほどの時間だったが、親戚が好きになれないと話した彼は、長い時間をかけて何度もそのことについて繰り返した。まるで親戚が嫌いな自分を罰するかのようだった。

対話も終盤に差し掛かったころ、ずっと黙っていた参加者のひとりである中学生の女の子が、不思議そうに男性の顔を見上げ、こう言った。

「別に嫌いなら嫌いでいいんじゃないですか」

この意見自体、そこまで斬新で、奇抜で、解決を与えてくれるような考えというわけではない。「親戚 嫌い」などとググれば出てきそうな意見でもある。

だが、彼女の意見は、主張というよりは「問い」だった。嫌いなら嫌いでいいのに、なぜそうしないのですか。なぜそう思うのですか。何があなたをせき止めるのですか。

問いを受け止めた彼は、しばらく絶句し「そうか」とだけ言った。彼は彼女の問いをひとりで反芻しているようだった。誰かが手を挙げ、またぬるぬると対話が再開される。わたしたちは対話の海を彷徨って、何かを探しにいく。だが、残念ながら時間がきて、対話は唐突に終わる。ハイみなさんそれでは陸に上がりましょう、とでもいうように、わたしはハイ終わりです、と味気なく対話を終わらせる。

皆が帰る準備をもくもくと始めるとき、絶句していた男性が「今日、本当に来てよかった」と言った。「そうか、嫌いでいいんですよね、あなたにそう言ってもらえてよかった、そうか」。少しうつむいて、緊張がほどけたように彼は笑い、どうもありがとう、と言った。お礼を言われた中学生は、やっぱり不思議そうな顔をして、黙ってそれを聞いた。

 

 

まったく別の日、まったく別の場所での、哲学対話でのこと。ある小学校の、何回目かの授業だった。彼らはもうすっかり哲学に慣れて、楽しみながら対話に参加することができる。その日は、彼らがやりたいと出してくれた「おとなとこどもの違いは?」にテーマが決まった。わたしの班は8人ほどのメンバーで、初回授業から説明や対話の途中で茶々を入れてくる男の子が入っていた。他の子が話している途中も、邪魔をしたり茶化したりしてなかなか場が集中しない。とはいえ、小学校ではよくある風景だから、なんとか仲裁しながら、哲学を子どもたちと楽しんだ。

だが、対話が始まってしばらくしたころ、彼は誰かが話しているのを遮って、体をぐねぐねと動かし、両手をせわしなくこすり合わせながら、目を細めてわたしにこう言った。

「本当は答え知ってるんでしょ」

答え、というのは、今回のテーマである「おとなとこどもの違いは?」に対する答えだろう。わたしの班では、年齢で決まるとか、お酒が飲めるとか、お金が稼げるとか、その違いをはかろうといろいろな意見が出ていた。彼は、あえてわたしの神経を逆なでしようと努めているような仕草で、大げさにうんうん、とうなずきながら続けてこう言った。

「いいんだよ、はやく言って。言っちゃいなよ、答え!」

彼はにやにやと笑っていた。わたしに手を差し伸べ、答えを促している。どうぞ、とでも言いたげな表情だ。

わたしはそれを見て、ほんとうに、泣きたくなったのだった。

 

毎回の哲学対話の説明で、わたしは何度も「答えをまだ誰も知らない、もしくはわかったふりをしているだけかもしれない」と強調していた。だからこそみんなで考えを出し合って、吟味するのだ、と言った。わたしも、先生も、おとうさんも、校長先生だって、この答えがわからない。だから「正解」を答えようとしなくていい、まずは考えを教えて欲しい、そう説明していた。子どもたちはそれをよく聞いていたし、彼がわたしに答えを求めたとき、他の子どもたちは「先生だってわからないつってんじゃん」などと介入してくれた。

だからその場ではもう一度、彼に向かって、彼一人だけに向かって、その説明を繰り返した。じゃなきゃわざわざみんなで考えないんだよ、わたしもわからなくて知りたいから、協力してほしい、と心の底からお願いした。彼はふん、と小さく息を吐いて何度かまばたきをした。別の誰かがはい!と手を挙げて、ぬるぬると対話が再開した。

 

対話が終わったあとも、彼の言葉がわたしの中で反響している。彼にあったのは、深い絶望だった。常に誰かの答えがあり、それを問われるだけという学校生活や彼の日常。後になって、彼が難しい環境にいることもほんの少しだけ知った。彼は最初の授業から、わたしたちを困らせる子どもで、そして困っている子どもだった。

考える授業っていったって、どうせ答えがあるのだろう。考える授業じゃなくて、答えさせる授業なんだろう。そういうもので、ずっとそうで、これからもそうだろう。

ああ、わたしもそういう子どもだった、と帰り道を歩きながら思い出す。そういうものだ、ずっとそうだった、これからもそうだろう。ぬるい倦怠感と、確かな絶望感だ。人生の主体がわたしではなく、何か大いなるものに奪い取られているような感覚。風は冷たく、帰り道は遠い。

 

横断歩道に立つと、向かいに見える寒そうなひとの群れが気怠げに口を動かしている。彼らの表情は見えない。黒いコートがずらりと並んでいる。

そういうものだ、ずっとそうだった、これからもそうだろう。

彼らは革靴を鳴らし、声を合わせながらどこかに歩いていく。

 

 

哲学対話は、日本だけでなく全世界で行われている。

学校などで行われる子どもとの哲学は、哲学対話という名前よりも「P4C(Philosophy for Children)」という名称のほうが一般的だ。ハワイ、オーストラリアなどの実践が有名だが、わたしはラテンアメリカでのP4Cが好きだ。ブラジルで活躍するウォルター・コーハンという哲学者は、P4C実践の動機として、ラテンアメリカの「貧しくて公正さを欠いた社会」で、ひとびとが「みじめさの感情」を感じられなくなっているということを挙げている。大人は公平さのない世界につぶやく。「そういうものだ(That’s the way it is)」「ずっとそうだった(It has always been like this)」と[i]

だからこそ、コーハンは子どもたちにまなざしを向ける。受け身で無抵抗で、生暖かい倦怠感の中で絶望し切らないように。自分たちの生きている環境に対して「問う」ことができるように。彼はスラム街の小学校で、子どもと共に哲学する。「自分たちの生きている世界がほかでもありえたたくさんの可能性のなかの一つにすぎず、それゆえ自分たちの世界は自分たちで変革することも可能だと気づかせる[ii]」ために。

地道で静かでありながら、最もラディカルな彼の試みを、わたしは愛している。

 

「嫌いでもいいんじゃないですか?」と問われた男性のように、わたしも見知らぬ他者に、ふと問いかけられる。そういうもので、ずっとそうで、これからもそうだろう。わたしを取り巻いていたこの言葉が、あっけなく他者の手によって引き剥がされる。本当にそうですか?どうしてそう思うんですか?これからもそうなんですか?もしくは、他者の刺激によって問いを促される。これは問題なんだったっけ?そういうものなんだっけ?ずっとそうだったんだっけ?

本当にそれでいいんだっけ?

 

 

つい最近、ある授業で高校生たちと話していて、ひとりの学生が「そういうものだ、って言われるのがすっごく嫌」と言っていた。彼女は先生にどうしてこうなるんですか、などと問うと「そういうものだから」と言われるそうだ。「わからないならわからないって言えばいいのに」と憤慨する彼女は、パワフルで勇ましかった。他にどういうときに「そういうものだ」っと言われる?と問うと、彼女は記憶をさぐり、ああっと声をあげて「先生にわからないことを聞いたら「考えすぎるともっとわからなくなるよ」「そのうちつらくなるよ」って言われた!」と応えた。

ああ、それは本当に腹が立って、くやしくて、絶望しただろうな、と思う。学校というものに、先生というものに、失望しただろう。

そういうものだよ、考えすぎるとつらくなるよ、わからなくなるよ。

この思考停止を誘う言葉は、思いやりの形をとったアドバイスの容姿をしているからおぞましい。いつくしみ深い聖母の見た目をして、抱きしめられた途端にわたしたちの息の根を止めてしまう。気がついたら、あっという間に無抵抗で受け身の人間につくりかえられてしまう。

だが同時に「考えすぎるとつらくなるから、そういうものだと受け入れたほうがいい」という意見は、苦しみへのある種の防衛反応でもあることについても考える必要がある。哲学科に行きたい、と言った数年前、多くの人に「考えすぎるとつらくなるよ」「世界は存在するのか、とか問わなくていいでしょ、そういうもんだ、でいいじゃん」と説得されたのを覚えている。確かに哲学者といえば、一人で部屋にひきこもってぶつぶつ何かを口にし、どんどんおかしくなっていくイメージがまだまだ根強い。「自殺しないで」とお願いされたこともある。だが、わたしが実際に出会った哲学者たちはみな陽気で、よく喋り、冗談好きで、ちょっとした図々しさすらある。

なぜ考え問うことはつらくなると思われるのだろうか。確かに苦しいことも多い。いやな現実を前にして「そういうものだ」と捉えることで、自分を助けたこともある。だがそれは問いのせいというよりは、もっと別なところにあるような気もする。

皆が想像するような「問うひと」たち。彼らは顔をしかめ、頑固なシワを眉間に刻み、ひしゃげた身体をもてあまして、苦痛に苛まれている。考えることは苦しむことだ、とでも言いたげだ。だがもしかしたらその苦しみの原因は、考えることじゃなくて、孤立にあるのかもしれない。ひとりきりで思考の海に潜っているからかもしれない。たったひとりで、たったひとつの世界観、たったひとつの価値観、たったひとつの観点で、水中を彷徨っているからかもしれない。ひとりで水中を彷徨えば、いつかは行き詰まり、苦しくなる。そしてその苦しみを、問いの深淵さと取り違えるときもある。

だが哲学は、その構造において、他なるものを渇望している。

親戚を嫌いでもいいんじゃないですか?とか、それって何でなんですか、わたしは違う意見を持っています、というような、他なる声が、わたしの肺に新鮮な息を送り込む。わたしを閉じ込めているここは、大いなる海から見ればただの一部分にすぎない。世界はもっと多様で、奇妙で、無数の他なるものが存在する。その事実は、本当におそろしくて、そしてほっとする。

哲学は何も教えない。哲学は手を差し伸べない。ただ、異なる声を聞け、と言う。

ある夜、友だちからLINEが届いた。ひらいてメッセージを浮かび上がらせる。そこには「神が沈黙してるのはさ、うちらが他者の声を聞くためじゃね」とあった。文章のラフさと内容がアンバランスで笑ってしまう。同意の返事をしたが、なかなか返信がこない。あとから聞いたら、風呂に入っていたようだった。風呂の前にするLINEじゃないだろう。

あのときわたしは10歳の彼に、先生も校長先生もおとうさんも、誰も答えがわからない、と言った。彼は、はじめて目線を下に少し落としてしばらく黙り、最後の5分だけ、哲学対話に参加した。時間が来て授業が終わり、彼は遊びに教室を飛び出していった。

世界の究極の「答え」があるとしたら、神もそれを知らなかったらいいのにな、と少しだけ思った。

 

[i] Kohan, Walter O. “Philosophy and Childhood: Critical Perspectives and Affirmative Practices.”,  Palgrave Macmillan, 2014.
[ii] 土屋陽介『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』青春出版社、2019年。

 

*イラストも著者

 

第5回 ぜんぜんわからない

海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考え込み話し合う哲学対話。小学校、会社、お寺、路上、カフェ……様々な場で哲学対話のファシリテーターを務める著者は、自らも深く潜りつつ「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」を追いかけてきた。当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間、哲学現在進行中。「え? どういう意味? もっかい言って。どういうこと、どういう意味?」……世界の訳のわからなさを、わからないまま伝える、前のめりの哲学エッセイ。

夜道をふたりで歩いていたとき。

わたしは耳にしたばかりの「VUCA(ブーカ)」という概念について、隣を歩くひとに説明していた。ブーカとは、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性のアルファベット頭文字を並べたもので、グローバル化した現代のぐちゃぐちゃした状態を指し示す単語だ。2010年代頃から注目され始め、ビジネスの世界はもちろん、教育界でも「ブーカの時代」である今をどう生き抜くか、ということがしばしば主題となる。

ちょうど彼は教員をやっていたし、そのキーワードを紹介し意見を聞きたかった。一通り説明し終え、これから自分の意見を述べようとすっと息継ぎをした途端、今まで静かに聞いていた彼が、突如目を見開き、暗く静かな夜道に向かって叫んだ。

「人生はいつだってブーカや!!!!!」

ちりんちりん、と間の抜けたベルを鳴らした自転車が、のろのろと私たちを追い抜かす。普段はおだやかでおとなしい彼が、突然謎の関西弁で暗闇に叫んだ言葉を、今でもたまに思い出す。

わかる、はわからない。

わからないことはわからない。わかることもわからない。わかろうとしてわからなくて、どうしたらいいのかもわからない。

社会のしくみがわからない。他者がわからない。親も、友だちも、先生も、何なのかよくわからない。言葉もわからないし、世界がよくわからない。自分もよくわからない。

とにかく生まれて、とにかく言葉を覚えて、とにかく働いている。たまに考えたり、話したり、聞いたりして、そして混乱している。

哲学科に入って、修士号まで取って、それからまた何年か研究して、ちょっとは「わかる」と思ったら、別にわからない。だいいち、わかる、ということが何なのかもわからない。風邪の引き始めの時みたいに骨のつなぎ目がふわふわして、残像で出来た世界でまどろんでいる。

熱が出ているのかもしれない。熱が出ると、世界はゆらぐくせに、わたしとの境界線ははっきりとするのがむかつく。身体がわたしと世界を明確に区切っていることが意識されるからだ。

 

身体が弱かったわたしは、よく学校を休んで、午後の曇天をけむりを見て過ごした。マンションの窓から見下ろすと、いつも隣のおじいさんが何かを燃やしていて、けむりがもくもくと立ち昇っていた。遠くを見やると、ゴミ焼却場があって、それはまるでわたしを見張る塔のようだった。午後。けむり。曇天。小学校ではいまごろ、図工の時間だろうか。みんなはわたしのこと、忘れただろうか。ずっとわたしはこのままなんだろうか。

ぶぶぶぶぶぶぶぶぶ、と郵便局のバイクが走っているのが見える。わたしもバイクに乗せてほしいなあと思う。おじさんの後ろにまたがって、びゅんびゅん風景が通り過ぎていくのを眺めながら、次の家の住所を耳元にささやいてあげよう。しっかり捕まってなさい、と諭すおじさんの口からは、缶コーヒーの匂いがするだろう。

午後、けむり、曇天。

わたしはこの時間が嫌いだった。

10代になって、もっとわかることよりもわからないことの方が増えた。

自分を閉じ込める考えしか思い浮かばなくて、どうしたらいいのかもわからず、ほとほと困り果て、哲学科に入った。

哲学科は同じように困っている人が何人かいて、困ったねえ、とか言い合いながらカフェオレを飲んで午後を過ごした。大学の授業では、哲学史や哲学者については教えてくれたけど、世界が何なのか、何かをわかるとはどういうことなのかは教えてくれなかった。何人かの友人たちは、わからなかったな、とつぶやいて「社会」に出て行った。

わたしだけがぐずぐずと大学に残って、困ったなあ、と言い続けた。でもその代わりに、一緒にカフェオレを飲んでくれるひとは増えた。その人たちは大学に在籍しているわけではなかったが、同じように、困りましたねえ、と言って目の前に座ってくれた。

そうやってまた何年か過ぎた。

だがやっぱり哲学が何を教えてくれたのかはわからない。

 

哲学書をひらく。強そうな言葉が並んでるな、と思う。学生がやってきて、「これってどういう意味ですか」と聞いてくる。わからない、と思いながら、説明をする。学生が「なるほど、わかりました」と言う。わかるのか、すごいな、と思う。

哲学対話をしに出かける。参加者のひとの言っていることがよくわからない。でも、わからないとは言えない。なんか悪いな、と思う。わかりません、って、相手を拒絶するようで言いたくない。代わりに「それってこういうことですか」なんて聞いてみる。他の参加者の人が「いや、違うんじゃないですか」「そうではなくて」と言う。ごめん、と思う。

哲学をやるとどんな良いことがありますか、と聞かれる。よくわからない。それなりの、ぽいことを適当に言ってしまう。相手は納得しているようだけど、実際の所はよく分からない。哲学は救いになりますか、とも聞かれる。わからない。なる人もいるだろう。だけどそれが哲学のおかげなのかもよくわからない。哲学で救われたんじゃなくて、自分で自分を救ったんじゃないだろうか。わからない。

ながいさんは哲学に救われたんですね、とも言われる。そうなのかな。わからない。

でも、哲学があってよかったなとは思う。

 

救いという言葉は、人の気持ちをあやうくさせ、ぞわぞわさせ、いたたまれなくさせる。「救済」なんて言い換えれば、もっとそれは妖しくぎらぎら光って、わたしたちをどぎまぎさせる。超越的なものや、精神的なものとのつながりを、予感させるからだろうか。

哲学で救われるとかうえーって感じ、とむかし研究室で誰かが言っていた。周りも同調するようにワハハハハと笑っていた。ちょっとわかるような気もするし、やっぱりわからないような気もする。

 

だけど、思い出すことがある。

色んなことをよく相談される友だちがいる。厳しい家庭環境を生き抜いてきたひと、つらいことをたった一人で背負い込んでいるひと、しんどい病気を抱えているひと、とにかく世界のわけのわからなさにのみ込まれながら、なんとか顔だけは出している状態のひとたちの傍に、彼女はいる。彼女は色んなひとのことを、よくわかっているようだった。

もちろんわたしもまた、彼女に自分ではどうにもできない、だがべったりと自分の人生に張り付いてしまっていることについて話したことがあった。彼女は大きな目をぱちぱちさせて、真剣な顔でそれを聞いた。

ある時、何かのパーティーで一緒になった彼女は、ずいずいと近づいて、大きな目をくりくりさせ「あのさ」と話しかけてきた。パーティーで何かあったのかと思い、うん、と応える。彼女の顔は真面目そのものである。

「わたしね、色んな大変なひとの話を聞くんだけど」と彼女は言う。突然何の話だ、と笑いそうになる。

「実は、ぜんぜん、わかんないの。」

彼女は、秘密をささやく声で、眉間に皺を寄せている。

長いまつげが、頬に影を作っている。

意外なことかもしれないが、それを聞いて、なんだかわたしは救われた気になったのだった。

 

わたしたちは、お互いの話をわからないからこそ聞くことができる。わたしたちがお互いに似ていて、境遇を共有していて、双子のようであったら、わたしたちは話すことができないだろう。わからないからこそ、耳を傾けて、よく聞いて、しつこく考えることができる。無責任な共感などいらない。彼女のわからなさこそが、わたしたちにものごとを語らせる。

 

それは哲学対話の現場でもよく起こる。誰かが何かを言う度に、皆が「めっちゃわかる!」と言い合う女子校に行ったことがあった。わたしはこうだと思う。めっちゃわかる!わたしはこうかも。そうそうわかる!何を言っても、彼女たちは互いに共感して、深くうなずいている。

だが、よくよくしつこく理由を聞いてみると、実は全然違う前提に立っていたことがわかる。あれ?と誰かが不思議な顔をして、どういうこと?と問い始める。意見が全然異なると思われていた二人が、同じ理由を共有していることも。言葉の使い方、とらえ方がそもそも全く違うことも。

彼女たちの王国が少しずつ壊れていく。だが、彼女たちの表情は、むしろほっとして、穏やかになる。何人かにとって、いや、おそらく全員にとって、その王国は虚構だったのだ。むしろ彼女たちを閉じ込める檻だったのかもしれない。そんな予感を持ちながら、とにかく一緒に辛抱強く考える。「この話、簡単だと思ってたけど、そんなことなかったな」。誰かがぽつりと呟く。この呟きで、救われたひとがきっといる。

世界へのわからなさに立ち向かっているときに孤独を感じるのは、おそらく、自分だけが仲間はずれだと感じるからだろう。自分以外のひとがみんな怪物に見えて、自分だけが馴染めない。怪物たちが追いかけてくる。わたしを追い詰める。袋小路に追い込まれて、道に倒れ伏し、自分の手のひらを見ると、恐ろしい獣のツメを持っていてぎょっとする。怪物なのはわたしの方だったのだ。周りはみんなちゃんと人間だった。ずっとこうで、わたしだけで、これからもそうなのか。

 

だがおそらく、世界はそんなに単純ではない。

ひとは時に、周りはみんな同じで、みんなわかりあっていて、共感していて、自分だけがそこに馴染めないと思っている。だが本当は、世界は曖昧で、不確実で、複雑で、そこに人々は、なんだかんださみしかったりわからなかったりイライラしたり笑ったりしながら、生きている。「わたしだけ」がこの世には無数にあって、それぞれさみしくて、バラバラで、めちゃめちゃで、そういう意味でわたしたちは、平等である。

哲学対話をしていて、対話が居心地の悪い同調や、いたたまれない孤独につつまれているとき、わたしは願う。もっともっとバラバラになろう。バラバラになって、ちゃんと絶望しよう。もともと世界はいつだって、多様で、複雑で、曖昧で、不確実だ。その意味でわたしたちはみんなみじめで、みんな平等にひとりぼっちだ。

 

でもだからこそ、わたしたちは困ったねえ、と笑いながらカフェオレを飲むことができる。

 

ある企業で、「はたらくとは何か」というテーマで哲学対話をしたとき。参加者のある女性が、話しながらぽろぽろと涙をこぼした。自分のこれまでの思いや、わからなさや、さみしさが、どっと溢れ出たのだ。だが誰も「わかる」とは言わない。わたしたちは互いに、誰一人わかりあうことはできない。そのことを、誰もがわかっている。その事実が、わたしたちをやわらかくつなぐ。

わたしはあなたの苦しみを理解しない。あなたの悲しみを永遠に理解しない。

だから、共に考えることができる。

彼女の涙が、しんしんと降り注いで、気がつけばわたしたちは水中にいる。

共に息を止めて、深く潜って、集中する。

わたしたちはバラバラで、同じ海の中でつながっている。

 

*イラストも著者