第14回 大阪:1990(鶴橋3)

フリーランスのライター&インタビュアー、尹雄大さんによる、土地と記憶を巡る紀行文。

すでに失ってしまったもの、もうすぐ失われるもの、これから生まれるもの。人は、移動しながら生きている。そして、その局面のあちこちで、そうした消滅と誕生に出会い続ける。また、それが歴史というものなのかもしれない。

私たちは近代化(メディア化)によって与えられた、共通イメージの「日本」を現実として過ごしている。しかし、それが覆い切れなかった“日本”がどこかにある。いや、僕らがこれまで営んできた生活の中に“日本”があったはずだ。神戸、京都、大阪、東京、福岡、熊本、鹿児島、沖縄、そして北海道。土地に眠る記憶を掘り起こし、そこに住まう人々の息づかいを感じ、イメージの裂け目から生まれてくるものを再発見する旅へ。

 

今夏、吃音について綴られた『どもる体』の書評を依頼された。「どもる」とはどういうことなのかについて当事者の話を交えつつ、吃音の謎に迫った内容だった。ページを繰るごとに我が身を振り返らざるを得なくなったのは、私には話そうとすると急に言葉が出てこなくなり、会話がつっかえてしまうことが時折起きるからだ。本書を読み進めるに従い、ひょっとしたら私の状態は吃音症でいう「難発」に近いのかもしれない、そう思うと、どもる体を抱えた人たちにずいぶんと親しみを覚えた。
 何かを言おうにも言葉が出てこない。こうした現象は20代の頃は今よりずっと頻繁に起きていた。そのため話ぶりはいつも倒けつ転びつという感じであり、話をする前に整えるべき支度が多く、常に緊張を強いられ、体は強張った。何気ない会話というものがありえない。まして冗談を言ったりするのはまるで手に負えないことだった。

今以上に滑らかに話せない時分を思うと、いっそう記憶に鮮やかに蘇るのは、鶴橋で出会った子供たちの口の達者さであった。話題の切り返しの速さ、言い間違いや失敗をした瞬間に突っ込んでくる瞬発力は、たとえば椀子そばのおかわりを継ぎ足す給仕、あるいは餅搗きの餅を返す手練れの合いの手にも似ていた。
 そうした巧みさはどこを目指していたかといえば、オチに向かっていた。
 いわゆる「笑いを取る」という目的に対して無自覚にフォーカスがなされていたように思う。

大阪を初めて訪ねた人から「電車の中の子供同士の何気ない会話からして漫才みたいだった」という感想を聞いたことが何度もある。「せやろ? 大阪の笑いのレベルは高いねん」と素朴に喜ぶような大阪人は、さすがに21世紀にもなれば少なくなったと思うが、前世紀はそう自負する人はそれなりにいた。
 お笑いと言えば大阪というステレオタイプの表現に鼻じらむ思いはしつつも、確かにアマチュアなのにテンポもいいし、独自のノリを持っている人もなまじいたものだから、笑いの裾野の広さとレベルをそれなりに誇るという気風が、大阪のみならず神戸でも前提になっているところがあった。
 そのためにおもしろいことを言う局面ではないにもかかわらず、笑わせないといけないといったプレッシャーを感じ、ただでさえ軽いどもりもあったものだから、私はしゃべることにひどく難儀した。
 後に東京で住み始めた際、知り合った人たちが揃いも揃ってオチを用意することなく、笑わそうとする気もなくだらだらと話し、周りも「そうなんだ」で済ませていることにひどく驚いた。「オチはないんかい!」といちびって(ふざけて)身を乗り出しては大仰に突っ込む人もいない。話す人も特に上げたり下げたりと高低差をつけないでフラットに話している。
 当初は関西では馴染みのある、自分を下げることで相手を笑わせるようと私なりにがんばっていたけれど、東京の人はあんまりそういうことをしていなかった。それを関西圏の人々は「東京人はプライドが高い」と語っていたが、そうではなくそれはたんなる文化的な癖(あるいは習慣)でしかなかった。東西の文化の違いに初めは奇妙さを覚えたものの、慣れるにしたがって「そもそもどうして毎度笑わせようとしないといけないのだろうか」と、東京の会話の運びを楽に感じるようになった。
 つっかえながらしゃべることしかできない身でありながら、私もそれなりに笑わせないといけないという強迫観念に取りつかれていたのだ。その源は何かと言えば、よくよく思えばテレビを通じて知った吉本興業の芸人が提供しているパターンに過ぎず、それをあたかも笑いのすべてであるかのように思い込んでいた。要は単なる習慣によって身につけた所作を「笑いのセンス」と取り違えていたのだった。

今では誰もが知るようになった「ボケ」もかいつまんで言えば、「自分を下げることで相手を笑わせる」になるだろう。自らを卑下する、弱い立場に置くことの効用は、無知でありイノセントであることを武器に、時に偏見や非常識なことを言うことで、そうした考えを持つことに疑いを抱かない強者の傲慢さをクローズアップするところにあるだろう。
 思えば、鶴橋の子供らのしゃべりのうまさと笑いは、そうした大阪の笑いの土壌を共有しつつ、弱く脆い被差別の立ち位置がもたらしたところは大きかった。抗いがたい現実や自分たちをバカにしてかかるマジョリティの振る舞いに対し、マイノリティがその言動をいじり、突っ込み、茶化す。強者の無知と愚かさを暴露することで、「そうやすやすと言うことを聞くような自分ではない」と己の存在を知らしめる威嚇の手段に笑いはなり得る。
 こうしたマイノリティからマジョリティに向けての「笑いによる抵抗」という見立ては、大阪での笑いをめぐる神話と相性がとてもいい。
 自分を卑下して笑いをとる手法が定番ということは、あくまで自分は弱い立場の庶民であり、そうして自分を下に置きつつ「王様は裸だ」と相手を笑いのめすわけだ。そのため笑いとは権力者に対する庶民の知恵であり、そこが弱者のしたたかさであり凄みなのだ。私の記憶の限り、関西の文化人や芸人たちは折に触れてそう言い、上方文化の反権力性を誇った。
 だが、本当にそうだろうか。

弱者が強者を笑えるのは、あくまで道化師として、ヒット&アウェイでしかやれない。「そうやと思うで。知らんけど」といった具合に語尾に「知らんけど」を付けたがるのは、そうして姿をくらませないといけないと潰される、という危機感のなせる技が編み出した手法かもしれない。
 けれども、大阪人自体が笑いの効能について語り、「笑いは反権力なのだ」と自己言及するようになって明らかに局面は変わったと思う。強者と真剣に対峙する局面に至ってもなお笑いでごまかし、逃げる道を用意するようになってしまっているのではないか。

相手を上げて落とす。自分を卑下して笑いを取る。テレビを通じて全国区に広まった大阪の笑いの定石が今現在にもたらしているのは何かと言えば、かつて天才と言われた漫才師を筆頭にした関西系の芸人の強者や為政者に寄り添った、ユーモアを欠いた言動の惨憺たるありさまだ。オチを聞いてから哄笑までのあの真空のような一瞬を楽しみ、ユーモアを味わうことは少なくなった。
 漫才師には貧困や被差別といったマイノリティの刻印を持つ者は多い。そこから繰り出された尖った言葉は文字通り、マジョリティを撃っていた。しかし、かつて弱かった者が力を手に入れると、これまでのことを忘れて、手に入れた強者の価値観でものを言うようになる。
 そうなった彼らがボケて相手や自分を上げたり下げたりしたところで、それはもはや卑屈かつ傲慢であることにしかならない。実際、彼らのセクシャリティや貧困、政治をめぐる発言に見られるのは、弱い立場の人たちの尊厳を傷つけることが笑いに数え入れられている様子だ。いつから笑いはあからさまに人を嘲笑うことを許すようになったのか。
 たとえば「ゲイを笑ったところで、そんなに目くじら立てなくてもいいんじゃないか。個性を尊重するダイバシティもいいけれど、それこそ個々の感性や意見に対して不寛容であれば、個性の尊重とは言い難い」という意見がある。一見、もっともらしく聞こえてしまう。ゲイに限らず、マイノリティを下に見て笑う感性は個性なのか? といえば、それはこれまで常識とされてきた差別におもねることであって、まったくの鋭さを欠いた視点でしかない。
 そうして従来の見方を変えることなく、笑ってもいい対象をすばやく見つけるのが笑いのセンスになっているとしたら、その「ネタにする」という手つきの無意識さを見直した方がいい時代になっている。そう思うのは、大阪のローカル番組を発祥とした、あけすけな差別感情を垂れ流すことを庶民の本音とするような風潮がキー局のバラエティ番組にも見受けられるからだ。それは本音でもなんでもなく、「自分とは一体何者であるのか?」「発言の意図は何か?」を直視しないでいるだけではないか。卑屈と傲慢の往来が市井を生きる者の知恵だとしたら、それはたんに真摯さの拒否でしかない。
 大阪の笑いの手法が全国区となったいま、ユーモアとは何かが改めて問われる時節になっている。かつて天才と言われた人が体を鍛えるにしたがって、発想もマッチョになり、どんどん己の言動に対して無感覚になっている。その凋落を見るのは全盛期を知る身としてはとても悲しい。卑下は権力者を笑うための方便だったはずが、いつしか卑屈さは内に逞しくした傲慢さを発揮する手法に成り果てた。
 かつての天才のボケに息を飲み、笑い、おかしさに腹を抱えて涙を流したのは、通俗に沿った解釈にならない出来事がそこで起きていたからだ。

ただバカにすることが笑いになりようもない。性的指向や変えることのできない容姿、民族性について、マイノリティが卑下して笑いとばして来たのは「現実は一筋縄ではいかない」というのがわかっていたからだ。マイノリティが自らを笑うのは、「それについては笑い飛ばしてもいい」と世間にお墨付を与えたわけではない。「笑うおまえは何者か?」をその笑いは含んでいるからだ。
 弱く脆い者が自らを笑うとき、自分の足で自分の尻を蹴り上げている。
 それでバク転のひとつも決められたら、そのとき空中で何を見るのか。
 天と地がひっくり返る束の間の景色。それが笑いではないかと私は思っている。

Profile

1970年4月16日生まれ。フリーランサーのインタビュアー&ライター。これまでに生物学者の池田清彦氏、漫才師の千原Jr氏、脳科学者の茂木健一郎氏や作家の川上弘美氏、保坂和志氏、ダンサーの田中泯氏、ミュージシャンの七尾旅人氏、川本真琴氏、大川興業の大川豊総裁、元ジャイアンツの桑田真澄氏など学術研究者や文化人、アーティスト、アスリート、ヤクザに政治家など、約800人にインタビューを行って来た。著作に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)など多数。