第3回 鴨になりたい

やさしい夫がいて、かわいい子どもがいて、食卓には笑いがたえなくて。実家の両親はたのしく暮らしているし、おばあちゃんも気丈で元気だ。なのにどうしてこんなに不安で怖いのだろう。明日あの角を曲がると、奈落が待ち構えているのかもしれない……。誰も死んでほしくない。死なれたくない。なにげない日々の出来事から生の光と死の影が交錯する、おだやかで激しい日常の物語。

夏休み初日に小学生三人が川で溺れて死亡、というニュースを見て、いま胸が苦しい。そんなかなしいことあるかよ、あってたまるかよと思う。夏休みが始まってすぐの川遊びなんて、どんなに楽しい場面だったのだろう、と容易く想像できてしまうことが余計にかなしい。

大人はそばにいなかったのか、注意不足だったのでは、など言い出しても起こってしまったことは変えられない。自分だって子どもの頃、何度も海やプールで溺れかけたことがあるように、今回にしたって「あぶなかったね」と笑って自転車で三人並んで帰っていたかもしれず、不運としか言いようがない。この事故にしても、またこの夏に起こるかもしれない水難事故のことを思うだけで気が滅入る。気が滅入るが、このようにニュースなどで情報として知る三人称の死について、かなしい、と思うその感情が持続しないことにもまた同じだけうんざりする。

「夏休み、はしゃぎすぎて死なないでね」と毎年、一学期最後の授業でそう生徒たちに言う。はしゃぎすぎると人は死ぬと本気で思っているのでこちらは至って真面目なのだが、彼らは「いやそんなかんたんに死ぬかよ」と言って取り合わない。ほらもう、すでに浮かれている。それでもわたしは念を押す。いやいや、ほんとに調子乗って海に飛び込んだりとかしないでよ、と。だって、いまこの教室にいる三五人が、二学期にまた全員揃うなど、わたしにはほとんど奇跡のように思える。それぞれが過ごすそれぞれの休暇。楽しい予定がたくさんあるだろう。海やプール、海外旅行へ行く子もいるかもしれない。もしそこで何かあったら。わたしは毎年、本気で案じている。

けれど、何クラスもある生徒一人ひとりのことを四六時中心配することは不可能だから、こうして注意を促すしかない。といって、休み期間に入ってしまえばわたしとて彼らのことなどさっぱり忘れて、育児に追われる身であるゆえにいつの間にか教員であることまですっぽり抜け落ちている。そうしてまだぼんやりした頭で迎える九月、教室に入って全員揃っていることを確認してはじめて、ほっとするのだった。ほっとして、自分が教員であるという自覚もじわじわ思い出しながら、ゆっくり息を吸って「夏休み、どうだった?」とまだよく通らない声を出す。

でも、同じように「ほっとする」ことのかなわない教室がある。つい一ヶ月前まで当たり前に笑っていた机が空いている。それが空想ではないことがこんなにも、勝手に苦しい。

事件にせよ事故にせよ自然災害にせよ、思わず動揺するような悲惨なことが起きると、「そんな可能性を考えもしなかったからだ」とどうしてもそう、思ってしまう。

 「たとえば地震。地震というのもその代表的なひとつであって、地震が起きた、起きましたよね、でもその起きたときっていうのは誰ひとり、世界じゅうにこれだけおる人のなかで誰ひとりとしてその瞬間に地震のことを考えていなかったからこそ起きたのであって、その人々の予想のほんの一瞬の隙間を狙って地震というものはやってくると、こういうわけよ」(『夏物語』川上未映子)

むしろ何にしたって自分が案じたり、予想したことは当たらないものだ、というジンクスをもつ主人公のこの語りは、妙に説得力がある。ずっと、自分でも同じようなことを考えていた。でも、それはそんな気がするだけで、人々の思い云々で何かが起きたり/起きなかったりするわけではなく、むろんそんな決定はだれが下すのでもない。そうわかっていながら、弛緩した日々をぶん殴るようにして、やっぱり何かが起きてしまう。そんなことが起こるなんて、と信じがたい気持ちになる。怯んでしまう。起こるたび、何度でもわたしたちはあたらしく動揺する。ほんとうに何度でも。

実家にいた頃、出かけ際に玄関でもたもた靴を履いていると、父が奥の自室からスリッパをぺったぺったやりながら来て、
「あの坂の下の交差点な、あそこで轢かれるからな」と言うのだった。
嫌な予言だよ、と思いつつ面倒なので振り返らずに「ああ、うん」と返す。「知らん人にぜったいに着いて行きなや」とか、「ホームの一番前は危ないからな、一番前はほんまにあかんで」など、いま思えばバリエーションはいくつかあった。当時はうるさいな、としか思わなかったが、言ったって言わなくたって変わらない、娘の耳には入らないとわかっていても、それでも言わずにいれなかったのかもしれない。「気ぃつけるんやで」「うん」そういうやりとりを、子どもの頃から家を出る二〇代までの間に、数えきれないほど繰り返した。「心配だから」なんて面と向かって言われたことはなかったが、父も同じように怖かったのだろうか。無くなることが、変わってしまうことが。

あけび色のトレーナー着て行かないで事故に遭うひとみたいにみえる/雪舟えま

もしそれが、最後の姿だったら、と思う。うすむらさきの「あけび色」はなんだか不吉ではないか。蛍光色だったらどうか。単に目立つからいいのではないか。夜道とかでも。けれど、まさか事故に遭うだなんて思わずに、いつもの服で、いつものようにみな出かけてゆく。

わたしも、かつての父と同じように、気づけば夫が車で出張する日などは「運転、気をつけてね」とかならず声をかけるようになった。事故するかもしれない、いや、事故しないでほしい、その一心である。今日も車で学生たちを連れての出張で、人様を乗せるなど、なおのこと心配である。夫はのんきに「このワキに塗るクリーム、借りていい?」なんて訊いてきたが、脇の匂いを抑えたとて、死んでしまったら詮ないことである。どんなに脇が臭ってもいい。臭くてもぜんぜんいいから、無事に帰ってきてほしい。いつも、事前に聞いていた時間に帰らなければなにかあったのではないか、とすぐによくない想像をしてしまう。先に子どもと風呂に入りながら、いつ「ただいまー」とドアが開くのか、ほとんど息をつめて待っている。そんなことが癖のようになっている。

そう、どんな些細なことであっても、よくない想像をすることに長けている、と我ながら思う。

つい先日のこと、近所に住む友人家族に「もう使わなくなった子ども用の椅子があるんだけど、使いませんか?」とLINEしたきり、返事がないことがあった。グループLINEなので夫もそれを見ており、痺れを切らしたわたしが「◯◯ちゃん(友人のお子さん)にもしかして、なんかあったのかなぁ」と切り出す。そう言い出してしまうことがわたしとしてはけっこうしんどく、なかなか言えずにいたのだった。でももう一週間経つのではないか。連絡をくれないことにやきもきしているのではない。ただ忙しいとか、億劫なだけで、元気なら全然それでいいのだ。でも、SNSでもつぶやきを見ない。そこで確認できれば安心なのに。ほんとうに、もし何かあったらどうしよう。そんな風に勝手におろおろしていた。

「いや、多分椅子を断りづらいだけなんじゃないの」と夫。えー、そうなの、ほんとにそれだけ? でもいつもすぐに返信くれるし、もし椅子が要らなくてもそう教えてくれるんじゃないかなぁ。と悶々としていたのだったが、ほどなくお断りのLINEが返ってきて、そのいつもの明るい文面にこころからほっとしたのだった。ああ、なにもなくてよかった。

他人のことにまでこんなにもネガティブな想像力を働かせて、いったいどうなるというのか。気づけばいつも何かを気にしたり、案じたりと忙しい。こんなことでは気持ちがもたない。だから自分の子となればほんとうに毎日心配は尽きず、保育園に預けている間に何かあったとしたら。出先で事故に遭ったら、遭わせてしまったら。赤ちゃんの頃はSIDS(乳幼児突然死症候群)が怖くてしかたなかった。あの頃は生まれて間もない「赤ん坊」という、か弱くてどこか儚い存在そのものにある種のおそれを抱いていたが、二歳になったいまはどんどん身体つきもしっかりし、そのようにひとりの幼児に成長してゆく子を眺めながら、そのたくましさと引き換えに、だからこそもしも、のその大きすぎる落差を思わずにいられない。

でも、今日も夫はいつものように帰ってくるし、子どももすこぶる元気である。

目下、現時点では。いまのところは。昨日がそのようにしてつつがなく閉じられたのだから、きっと今日も大丈夫なのだろうという予測をつけなければ、生活は送れない。そのようにして毎日を繰り返すうちにそれはルーティンとなり、いつのまにか緊張も張り合いもなく、暮らしは怠惰なものになる。いつもと同じ満員電車、いつもと同じ職場の顔ぶれ、何も起きない午下がり――。けれど、そのような緩慢さを縫って、それはやってくる。平穏な一日が、暗転する。そんなこと、考えもしなかった、とわたしたちは同じ感想を飽きずに繰り返す。

だから、わたしは、へらへらしているように見えて実のところ、こんなにも緊張している。あなたの、いや世界の、なんのサインも見逃してはならない。昨日もそうだったのだから、今日も大丈夫などと軽んじてはならない。そう思って深く息を吸って吐くときの、このいつもの感じ。何も変わらない、窓の外の風景。月の見えない夜。子どもの寝息。大丈夫、だって夜風はこんなにも心地よい。何かが変わってしまうことなど、考えられないのに。

そのうち子どもが一人で出かけるようになれば、やっぱりわたしも言ってしまうのだろうと思う。信号、よく見なさいよ、知らない人と口聞いちゃだめ、暗くなる前に帰りなさいよ、と。きっと子どもはこちらを振り返ることなく、生返事で家を飛び出すだろう。勢いよく閉じられたドアをしばらく見つめ、朝刊を郵便受けから引っ張り出し、三人称の死をぼんやり眺める。そのようにして「待っている」間には、祈ることくらいしかすることはない。何もできず、大丈夫であれ、とただ願うだけで、もどかしい。そんなこと、きっとみんなが祈っている。家族が健康で事故もなく、元気に過ごせますように。そんなこと、当たり前すぎる祈りだから、真剣には祈らない。でも祈っている。平穏に暮らせますように。よくないことなんて、起きませんように。祈りを忘れる力が生活にはあるから、わたしたちは安心して、夜を迎えることができる。眠りにつくことができる。今日を、穏やかに閉じることができる。良くも悪くもない一日の終わりに、こうして目を閉じて、今日の景色の断片をゆっくりと思い起こす。

カートにほとんど崩れるようにしなだれながら、ゆっくり道を進むおばあさん。けたたましい蝉の声を通り過ぎれば両耳で、というより顔全体で風はぼうぼう鳴って、なまあたたかく、なにも起こらない、なんでもない、いまがここにある。これでいい、ずっとこれでいい。何も変わらない、何も起きない。ただそのことに安心して、笑って過ごしたい。夏休みの生徒たちはどうしているだろう。みんな、元気だろうか。自転車で通りかかるすべての灯りに、人々の泣き笑いがあふれることを、わたしは知らずにいる。何も祈れない。でも祈るしかない。夏の空気はなまぬるく、深く吸って吐き出す息は、もっともっとなまあたたかい。

祈っても祈らなくても同じならうつくしい鴨にわたしはなりたいよ

 

堀静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)、連載に「わからなくても近くにいてよ」(だいわlog)、「うちにはひとりのムーミンがいる」(晶文社)がある。

第2回 かがやくばかり

やさしい夫がいて、かわいい子どもがいて、食卓には笑いがたえなくて。実家の両親はたのしく暮らしているし、おばあちゃんも気丈で元気だ。なのにどうしてこんなに不安で怖いのだろう。明日あの角を曲がると、奈落が待ち構えているのかもしれない……。誰も死んでほしくない。死なれたくない。なにげない日々の出来事から生の光と死の影が交錯する、おだやかで激しい日常の物語。

車で遠出した帰りのこと。いつの間にかとっぷり日も暮れて、へとへとである。なんとかアパートにたどり着いて車を停め、後ろのトランクを開けて買い込んだ荷物を取り出し、眠ってしまった子どもをチャイルドシートから抱き上げ、とそんなふうに夫と最後の力を振り絞ってテキパキ動いていると、どこからともなく「ピーー」とけたたましい音がする。もう辺りは完全に暗く、何も見えない。えっ、え?! とおろおろしていると、つづけて「プシュー」と空気砲のようなものが打ち上がる。後ろを振り返ると、隣の家の庭に設置されていた防犯装置が作動したらしい。半径何メートル以内にひとが侵入すると作動する、そういうシステムなのだろうか。こんなのいままで置いてなかったじゃん。お隣さん、最近になって防犯対策を見直したのだろうか。それにしても、庭からほぼ1メートルもない距離にアパートの駐車場があることを忘れないでほしい。とにかくめちゃくちゃびっくりした。

わたしはそのとき、これは「人生が終わった音」なのだと思った。ハイ! あなたの人生はここまでです、お疲れさまでしたー終了で〜す〜〜。本気で、そう告げられた音なのだと思った。それくらい不意打ちで、鋭く、そして避けがたい何かのようにそれは聞こえた。ほとんど茫然としながら「さっきの音まじでびっくりしたわ、人生終了のサイレンかと思った」と言うと、そんなわけないじゃん、と夫に笑われたが、それでもしばらく動悸がおさまらなかった。人生が終わるときって、あんな感じなんじゃないか。とにかく唐突で、予期せぬタイミングで。不条理で、そしてそれはとても、あっけらかんとしている。そこにはあかるささえ、ある。

ドラマ「ブラッシュアップライフ」のように、現世をやり直すことができるなら話は別だが、死んでもわたしたちは、バカリズムが退屈そうに腰掛けるあの真っ白い受付へたどり着くことはできない。来世の候補として、グアテマラ南東部のオオアリクイや、北海道のムラサキウニを提示されることもない。ドラマのなかでは、もしも次の人生でオオアリクイになるのが嫌なら、徳を積んで現世をやり直すことができる。大変だけどそれなら全然いいよな、と思う。いきおい腕まくりで今度こそ本番、という向きさえある。安藤サクラ演じる主人公の麻美が「じゃあもう一度現世をやり直します」と言って踵を返し、向かうその現世のドアの向こうは、毎度とてもまぶしかった。まぶしいならいいじゃないか、まぶしい世界なら、何度でもやり直したい。

朝、保育園に行くため自転車の前に子どもを乗せて走らせる、そのときの風と、ちょうど顎や鼻に触れる子どものあたまの清潔な匂い。鼻から大きく息をすってそれらを受け止めるとき、わたしには、いつか死ぬことがまるきり嘘のように感じられる。わたしにも子どもにも、それはあまりにもここから遠すぎる。死の気配すら、入り込む余地などない。だってわたしたちはいま、こうして守られているはずだから。

だれに? 何に? という声が聞こえる。いったいわたしや子どもはだれに守られているというのか。だれにも、何からも、ほんとうには守られてなんかいない。こんなにも剥き出しで、やわらかく、命を覆うものなど存在しない。そしてそれは、自分に限ったことではない。気づけばみんな、あまりにも無防備に、それぞれの生をこの世界に晒しているではないか。

死んだらどうなるのか、だれもそのことを知らずに、いつ死ぬのかなんてほとんどわからずに、昨晩の残りものをレンジで温めて無表情のまま口へ運び、皿を洗い、ため息をつき、また眠りにつく。たまにこころを動かされることもある。たとえば、あまりにうつくしい夕日にあっけにとられる。思わず写真を撮ってみる。けれどカメラに収まったそれは、目の前の景色とは全然違う。こんなに眼前に大きくひろがる太陽は画面のなかに縮こまり、それはどこにでもある退屈な一枚にすり変わる。帰り道をとぼとぼ歩く。こころを動かされても、つまらなくても、でもやっぱり死はここにいない。そんなことすら、じっさいには考えない。なんとなく不安になって、きょろきょろと周りを見渡す。車通りは多いが、歩道を歩くひとは自分以外にいない。

たまに笑う。ごくまれに泣く。静かに泣く。だれかの前で隠すことなく、声をあげて泣いたのはいつだっただろう。ひとの声がする。風が鳴る。まどろみのなかで、ここがどこだかわからなくなるときが一番、深く息を吸い込むことができる。あの夜、暗闇のなかで出し抜けに響いた警告音。こわかったなあ。でもやっぱりあれはただの生活の音だった。誰かのための、生活の音。こわかったー、と言って笑ってそれで済んだのだ。ああ、よかった。でも次はいつだろう?

死にたくない、とこれまで自分はずっと死を恐れているのだと思っていたが、そうではないのかもしれない。死が遠い。というより、その遠近感がわからない。もしかすると、わたしはそのことがずっとこわいのかもしれない。死を感じられない、そのこと自体が。だから、深刻な病気をすぐに疑ってしまう。そうであるかもしれないと思うことで、死をこちらへたぐり寄せて、なんとかその匂いをすこしでも嗅ごうとする。同様に、近しいひとの死を極度に恐れるのも、落差にショックを受けないようにする予防線のようなものかもしれない。

対して夫は、カレンダーを見るたびに「もう今月も半分過ぎたよ。あー死に近づいちゃった」とか、誕生日を迎えれば「やだな。また死が近くなった……」など、ことあるごとに(自分が)死に、あるいは死が(自分に)近づいた、と言う。けれどそこにそれほどのリアルな感触は伴っていないように見える。

「死んだらさぁ、なにがイヤってものすごい暇じゃん」と夫はつづける。死んだら暇なのか。暇さえ感じられないのが死なのではないか、と反論するが、夫にとってそうではなく死はとにかく暇、であるらしい。

わたしたちなんて、みんな元々ここにはいなかったんだから、と思う。なにも無いところから生まれてきて、自由に、いやとても不随意に、もがきつづけて知らないうちにまた無へと還ってゆく。はじまりも終わりも、そこに意味など本来はなく、ただ生も死も不条理である。その、星のため息のような瞬間が、ほんのわずかに宇宙をかがやかせるだけではないか。

宇宙とか持ち出さないでほしい、と夫は言う。宇宙に立ってなにかを思ったり、眺めたりするわけではないのだから。まあそれはそうなんだけど。SFってなんなんだよ、って話だよね。サイエンスフィクションって、宇宙がそもそも、めちゃくちゃフィクショナルじゃん。「宇宙」が存在することが変すぎる。というか宇宙がなければわたしたちも存在しないという、その前提がまず理解できない。この空の向こうに、無限のそれがひろがって、そのどこまでもある奥行きのあちこちにばかみたいにでかい星が浮かんでいる。なんだそれ、こわすぎない? でもすべてフィクションではなく、ばかでかい星もブラックホールも無重力も、どこかにある。月も太陽も、ちゃんと存在するから朝があって夜がある。そう、重力だって、考えたらまじで謎すぎるよね、と言うとまあたしかにね、と返される。宇宙って、笑ってしまうほどによくわからない。あれ、死の話してたんじゃなかったっけ。夫はいつの間にか、もう眠っている。読書灯を消して、わたしも目を閉じる。

久しぶりに夕方にひとりで家を出て、友人たちと遅くまで飲んで帰った夜のこと。みんなで二軒目の居酒屋を目指す道すがら、夜道を一列になって歩いていた。こんなに暗かったっけ?! と口々に言う。ふだんみな移動は車だし、夜道を歩くことはほとんどない。そしてなにより、地方には街灯が少ない。真っ暗ななかを黙々と歩きながら、ひとりが「うおおおああ!!」と叫び、どうやら深めの側溝に落ちたらしい。大丈夫?! と声をかけるも、とにかく暗くて彼が側溝に落ちたことさえわからない。大丈夫、と言いながらそのひとはなんとか側溝から這い上がるが、しばらく膝を庇って歩いているように見えた。大人が足を踏み外すくらい、田舎の夜は暗い。慎重に、また一列になってちいさな居酒屋を目指しながら歩いた。

二軒目で大いに飲んだ後、手を振って別れ、今度はひとりの夜道を歩く。見上げれば、夜空の星々の隙間を飛行機の光はどんどん切り裂き、それは平面のただつまらない絵画を見ているようで感慨がない。わたしの目には夜空はいつも平面である。

酔っ払っているらか、横目で通り過ぎる自分より背の高いブロック塀を、なぜかかんたんに乗り越えられるような気がする。と思っててっぺんに手をかけてみると、とてもざらざらして痛い。こんなところに登ったところでどうにもならない。民家だし。でも、酔った日にはこのちいさな半径のなかではなんでもできるようなおおきな気持ちになって、けれどなったところでなんなのか。なぜかさっきから太ももの辺りが痒くてたまらず、でも厚手のジーパン越しに掻いてもなんの手ごたえもない。それでバシバシ太ももを叩く。叩いていたら愉快になってきて、かんたんにいい夜だな、と思う。トートバッグをぶんぶん振ると、なかでお菓子の箱が揺れる。夕方、集合時間まですこし時間があったので、すぐそばの洋菓子屋でちょっとした焼き菓子の詰め合わせを買った。ふと、いまは遠くに住む友人に送ろうと思ったのだった。あの店すごく好きだったんです、とこの前電話で話したときに言っていたから。それがトートバッグのなかで揺れている。パイやクッキーが割れないといいが、気がおおきいので割れるはずなんかない、と思っている。

夫が「死が近づいた」と言うたびに、わたしは「でも裏がえせばそれって、いまが一番死から遠いってことだよ」と返す。いつ来るかわからぬそれを受け身で待つならば、いつだっていまがいちばん死から遠いはず。でも、それはそう思い込んでいるだけだ。遠いと思っていても、ほんとうには息をひそめてそれは、いまも至近距離にいるのかもしれない。真っ暗で見えないだけで。ほんとうには遠いのではない。ただ、その遠近感がわからないだけ。それにしても、とにかく道が暗い。もうすぐ踏切がある。子どもはもうとっくに寝ただろう。田舎の夜道を歩くひとは、自分のほかにいない。田舎って星がよく見えるんだろうね、とこちらに引っ越す前に夫と話していたことを思い出すが、地方に対する認識が雑すぎる。だってここからも、星はあまり見えない。辺りは真っ暗なはずなのに、星の見え方は東京とさほど変わらない。

死んだって、かがやきすらしないのではないか。死んだら星になるだなんて、そんなつまらないこと、言わないでほしい。もしも光ってたって、わかるはずなどない。いま、意味もなくここにいる。だれにも見つけられずに、ここにいる。だれにも守られずに、存在する。星は見えない代わりに、蛙の声が聞こえている。東京ではさすがに蛙は見なかったな、と思う。勤め先の学校で、生徒が「田舎のなにがいやって、カエルですよ。うちのまわり田んぼばっかでほんと夜うるさいんです」と言っていたことを思い出す。蛙のぐるるる、という声を聞きながら、もうしばらくの帰路をゆく。

堀静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)、連載に「わからなくても近くにいてよ」(だいわlog)、「うちにはひとりのムーミンがいる」(晶文社)がある。