第11回 「匿名の思想」から考える

海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日本的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察。その第11回は、清水幾太郎の唱える「匿名の思想」、さらにはその担い手である「庶民」の概念について考える。

ここまで、「誰でもない」をめぐる想像力の諸相を遊覧してきた。けれども、いま少しばかり反省してみれば、その道のりはいささか依然として「誰」に執着しすぎたきらいがあったかもしれない。「誰でもない」を、単なる「誰」の否定態としてだけ素描することで満足していいのか。それによって、可能なる無責任を発見するという当初の目論見は達成されるのだろうか。

寧ろ、私たちは一度として具体的な「誰」に結実しないような、ウーティスの純粋領域にまで足を伸ばすべきなのではないか。

高橋哲哉は、演劇モデルを斥けつつも、舞台を照らすスポットライトが直接当たらない観客=注視者の、冷静に歴史=物語を俯瞰する力を相対的に評価した。暗い客席では対他的なペルソナを装着する必要はなく、「誰」でもない仕方で、観劇に集中できる。

さらに付け加えよう。演劇は役者と観客だけで成り立っているのではなく、その背後では、両者の出会いに貢献する、照明係や音響係や美術係などドラマに登場しない裏方(陰の立役者)がいる。いや、たとえ舞台上であったとしても、人形や背景を動かすものの登場人物としては存在していないテイで進む、黒子(正しくは黒衣)の協力もまた、物語の上演に必須である。

誰/でもないという分割線の閾から、黒子のような、端から「誰でもない」の領域を考えなければならない。できる限り、無人の方へと改めて向かわねばならない。

「匿名の思想」とは何か?

手がかりになるのは、戦前から戦後にまたぎ長年言論界で活躍した社会学者、清水幾太郎の「匿名の思想」という一九四八(昭和二三)年に発表された小論文だ。

清水は「思想」と呼ぶべきものが、本来は、ある特権的な固有名に結びついた観念のシステムに限定されないことを主張した。代表例としては、第一にはマルクス主義、ほかに進化論(ダーウィン、スペンサー)や実存主義(サルトル)などのことを思い浮かべればいい。固有名によって代表される思想の枠組みは、ときに学派や門徒というかたちで権威化されて受け継がれる。そして、その観念的体系をより客観的なもの、汎用可能なもの、そして無謬なものへとバージョンアップさせていく。

ただし、こういった客観的に受け継がれる科学的性格からはどうしてもこぼれ落ちてしまう、非合理な主観性が有象無象の群れのなかに残っている。それが「匿名の思想」であり、これは観念や言葉というより現実の日常的な行動のなかに表出しているものだ。

行動のカーヴとの関係に想到するや否や、私は思想といふものに別の形式があることを思ひ出すのだ。私が思想家の名前と結びついた観念のシステムばかりに拘泥して来たのも、私が多くの人々と同じ誤謬に陥つて、無意識の裡に、思想と行動とを切り離してゐたためであらう。(清水幾太郎「匿名の思想」)

忙しい人間

行動のなかに活きる思想というものがある。朝起きて歯を磨く、満員電車に乗って出社、早速パソコンの画面に向かう、昼食を手早く済ませたと思ったら、思いがけないクレーム処理に手間どってしまい、気づけば外は真っ暗、晩飯は……まあコンビニでいいか。

清水が「吾々はもつと忙しい人間を、疲れた人間を考へねばならぬ」と書くとき、そこで示唆されているのは科学的合理的な思考の下で行動を統御する人間存在ではなく、思慮が十分でないのに賭けや冒険に臨んだり、反省能力を欠いたまま昔からの習慣に従ってしまう、非合理的モデルである。

清水によればその要点は三つある。第一に、「国民の大部分がその日常生活のうちに於いて信じてゐるもの」。第二に、矛盾や背理など「論理的齋合」を損なっても「一種の気持」として行動的に生きられているもの。そして最後に、一定の名称をもたず表面的な命名に意味はないこと。以上である。

このように「匿名の思想」は人々が日々実践している主観的な気分や心持ちを指すが、注意しておきたいのは、それが単に個人の信念を指すというより、「国民」に代表されるある集団性を帯びているということだ。つまり、清水が念頭においている「主観」とは、ある共同体の集団的主観性に通じている。たとえば「国民の行動のカーヴ」という言葉には、統計的処理から見えてくる集団的行動の推移の含意を読み込むことができるだろう。

シュッツ的匿名性との相違

社会学で匿名性といえば、オーストリア生まれのアメリカ社会学者、アルフレッド・シュッツの「匿名性」の概念を想起する人もいるかもしれない。けれども、親密性と対をなす形で組まれたシュッツの匿名性概念が、現象学的な次元で問われる他者の汎用的理解を指すことを考えれば、清水が「匿名の思想」で示そうとしているものとは大きく相違している。

つまりはこうだ。シュッツ的匿名性は、他者の理念化や類型化、抽象的把握による交換可能なアスペクト――ある人を、「N君やX氏」と捉えるのか、「郵便局員」と捉えるのか、はたまたただの「人」と捉えるのか――と換言して構わない。この連載でいうと、~として、というペルソナ化の進度に関係する。けれども、清水はその抽象化の手続き以前の日常的振る舞いがそのまま他者のそれと共に束ねられるような奇妙な位相に注目している。

だからこそ、その位相は、群衆心理学やファシズムの領域と近接するような危険も孕んでいる。ファシズムとは語源的にいえばファイバー(束)に由来する言葉だ。清水はその暴走の危険性を警戒しつつも、思想の不可避的な条件として、匿名性の克服不可能を訴えるのだ。

声=票にならない「庶民」の息遣い

匿名的思想の担い手を、清水は数年後に「庶民」と名づけている。

その名も「庶民」と題された一九五〇年の論文において、清水は国民とも臣民とも人民ともアクセントの異なる社会集団として「庶民」概念を提出する。前者の一群は、国家や公共性に結ばれるメンバーの名称であるが、「庶民」はそのような公的な結びつきを欠いている。必然的に、だからこそ彼らは一つの理念やメンバーシップによって括ることのできない未組織の前近代的な群れでもある。

体系化された科学的知識や固有名の下に成立するイズムを一切もたず、習慣と化した「一種の粘体のやうな思想」を原動力として私的な日常生活を坦々とこなしていく一般人。「庶民といふのは、この匿名の思想を擔ふ無組織集団である」。だからこそ、「庶民は市井に投げ出されたままの人間である」。

吉本隆明ならば、これを「大衆の存在の原像」(通称「大衆の原像」)とでも呼ぶだろうが、興味深いことに、清水はこの思想を説明することの難しさを吐露しながら、自分が体験したドイツ語での上手く話せない会話を例に挙げている。つまり、ドイツ語で語られるある論説を聞くと、一旦「然り」(Ja)と論を受け止めるが、その実、完全に同意したわけでなく「然れども」(aber)と続けたく思う……が、この後が上手く出て来なくて言い淀んでしまう。外国語使用時特有のモドカシサだ。

この明確に言語化されない(できない)モドカシサにこそ、ひそかに、にも拘らずあまねく仕方で共通に胸中に抱えているサイレント・マジョリティの思想がある。これは選挙に対する釈然としない心地にも通じる。

多過ぎる選挙が行はれた。色々な政党から候補者が出た。庶民はその一人に向つてJaと言ひ、他の候補者に向つてNein〔否〕と言へばよいのである。だが政党には限りがあり、候補者にも限りがある。一人に向つてJaと言ふだけで、これに複雑な気持の全体を盛りこむことは出来ぬ。表現のしようのないaberが彼の心中に残る。(清水幾太郎「庶民」)

投票における一票のことを英語でvoiceという。そう、声のヴォイスである。人々の声=票を反映させることが選挙の目的である。けれども、アレかコレかの政党や候補者の選択で、選挙民の意志を反映することがどれくらい可能なのか。匿名的思想が提起するのは、アレやコレ、イエスやノーの声にならない、或いは声の余韻として漂う「aber」的な細かな息遣い(ため息や息詰まり)が残存するではないか、ということだ。

無言=沈黙(サイレント)の人々もまた、息して生きているのだ。

日本のコモン・マン

清水にとって、庶民とは、元はアメリカのプラグマティズムが念頭においていたような主体性を指していたように思われる。

時計の針を少しだけ巻き戻す。一九四一年の論文「凡人の哲学」では、ジョン・デューイに代表されるデモクラティックな信念を胸にフロンティア・スピリットによって開拓に挑み続ける行動的大衆の姿を「コモン・マン」――普通人――と呼び、彼らに「庶民の哲学であり凡人の哲学」を読んでいる。

オーギュスト・コントに代表されるフランス社会学とゲオルク・ジンメルに代表されるドイツ社会学の教養。それだけに留まらず、大学の外での児童研究の翻訳紹介の仕事で身につけたアメリカ哲学に関する博識が存分に活かされているわけだが、ただし、清水はこういったアメリカ的「凡人」哲学が、そのまま日本の「庶民」に当てはまるとは考えなかったようだ。

論文「庶民」に戻れば、「庶民は古いものである。それは日本の歴史を背負ひ、併せてまた日本の山河の影を宿してゐる」と述べられ、「庶民」概念が近代国家の枠組みではうまくカウントできない人間的現実を帯びていると評価される一方で、近代以前に遡行可能な「日本」民衆の原像を指すとも示唆される。日本人はアメリカの庶民と違って、フロンティア・スピリットに溢れているわけではなく、イエス・オア・ノーの断言にもいつも躊躇してしまう。

国家を斥けつつも、悠久の「日本の歴史」を歪ませることなく表出する、と捉えられる「庶民」概念は、もしかすると排外主義をあからさまに煽るナショナリズム以上に厄介な日本文化論の再生産に通じているのかもしれない。

とまれ、いずれにせよ、知識人が他国に亡命できるのに、一般民衆は逃げることのかなわない土着的な存在者にならざるをえない。ある文章で、「それぞれの特色を備えた各国の学問、たとえば、ドイツの哲学、アメリカのプラグマティズム、イギリスの経済学、そういうものは、だれかがこの亡命することのできぬ民衆の経験、問題、願望に確実な表現を与えようと努力した末に生まれたのではないか」という仮説を清水が唱えるとき、どんな有名固有名の思想もまた、その土台として各国で特徴の相異なる「匿名の思想」に支えられていたのでは、と考えていただろうことは想像に難くない。

たとえ危険性を孕んでいたとしても、舶来の啓蒙思想によって拭うことのできないこの土台を自覚せねばならない。こういった課題を正視し続けた姿勢に、清水幾太郎という思想家が単なる進歩主義的知識人に終わらなかった本領がある。

 

参考文献

  • 清水幾太郎「凡人の哲学」、『清水幾太郎著作集』第六巻、講談社、一九九二年。とりわけ九頁。初出は『改造』一九四一年三月号。
  • 清水幾太郎「匿名の思想」、『清水幾太郎著作集』第八巻、講談社、一九九二年。とりわけ二〇八~二〇九頁、二一六頁。初出は『世界』一九四八年九月号。
  • 清水幾太郎「庶民」、『清水幾太郎著作集』第八巻、講談社、一九九二年。とりわけ二八九頁、二九八~二九九頁。初出は『展望』一九五〇年一月号。
  • 清水幾太郎「運命の岐路に立ちて」、『私の社会観』収、角川文庫、一九五四年。とりわけ一七七頁。
  • シュッツ、アルフレッド『社会的世界の意味構成――理解社会学入門』、佐藤嘉一訳、木鐸社、二〇〇六年。とりわけ二九六頁、三三〇頁。原著は一九三二年。
  • 吉本隆明『自立の思想的拠点』、徳間書店、一九六六年。とりわけ一〇六頁。

1987年、東京都生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。En-Sophやパブーなど、ネットを中心に日本近代文学の関連の文章を発表している。著書『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍)、『貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』(フィルムアート社)など。最新刊は『仮説的偶然文学論』(月曜社)。twitter:@arishima_takeo

第10回 アレントから読む歴史主体論争・後編

海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日本的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察。その第10回は、「歴史主体論争」で対立した加藤典洋と高橋哲哉それぞれのアレント論の検証から、再び仮面の物語についての考察へ。

高橋哲哉の評価するアレントの思想はごく一部に局限され、注意深く切り取られていた。では、高橋に引きずられるかたちでアレント論を展開した加藤典洋の方はどうだったか。

加藤はアレントの『イェルサレムのアイヒマン』の「語り口」に共同性と公共性の重層を読んだ。論争の中心になった論文を収めた『敗戦後論』の続篇となる『戦後的思考』では、この視角を糸口にしてアレント的公私分割論のさらなる追究を試みている。

ただし、この続篇で加藤が参照しているアレントは、『人間の条件』のアレントでしかなかったことは、特筆しておいていい。加藤の関心は、アレントの思想全体というより、教科書的な公共性論に照準されている。高橋のそれとは齟齬がある。

加藤はアレントが併せ持つ、公共性と共同性の意識を、それぞれポリス(都市)とオイコス(家)、「政治的共同体」と「自然的共同体」と言い換え、その上で彼女が見なかったものとして、人間の「共通の本性」を主張している。それは「私利私欲」であり「死に瀕して死にたくないと思う生命の本能」である。

公共的=政治的なものは、ときに各人の命よりも優先されるべき共同体の使命があるのだと諭して、生命を潔く捨てることをしばしば要求する。アレントにとって私的領域が、寝食や生殖をふくめたヒトの動物的活動を指していたことを考えれば、公的領域での生命軽視は当然とさえいえよう。

けれども、加藤はこの主張に納得しない。その私的な「共通の本性」がなければ人間の複数性に開かれた公共性も存立しないのではないか。

こうして、アレントの意図さえ超えて、公共性は共同性と重層構造をなしている、という元々あった『敗戦後論』でのテーゼの強調へと還ってくるのだ。

物語への違和感

加藤は言及していないが、一連の議論は、近代以降、生殺与奪ではなく個々人の延命に尽力してより健康になれるよう配慮する力へと権力形態が変化していったとする、ミシェル・フーコーの「生‐政治学」(bio-politique)という概念を連想させる。加藤の立論は、公私の素朴な峻別への疑問というフーコー的(?)発想と響き合うことで、現代的アレント批判の王道を通っていた、と捉え直せるかもしれない。

ただし、加藤はアレントの公共性論を論じつつも、高橋が用心深く切り取っていた演劇モデルにほとんど関心を払わない。舞台の上の役者は勿論のこと、客席にいる観客の方はなおさらだ。だからこそ、高橋が慎重に選り分けようとしていた演劇/裁判の比喩に関しても、最後まで鈍感を貫き通したようにみえる。

けれども対陣を張り合った両者のあいだには一つの重要な共通点があった。高橋も加藤も実はアレント哲学には不満があるのだ。しかも、その視線はともに公的な歴史=物語に注がれているといっていい。

高橋の場合、公共という舞台の上で演じられたヒロイックな歴史=物語は、舞台に登場しない(できない)証言や記憶を忘却の彼方に追いやる権力装置であった。加藤の場合は、直接主題化したわけではないが、公共性論を介したかたちで、生存に執着する「私利私欲」を切り捨てた領域の独立に疑問を差し向ける。国民国家に代表される大きな物語の底部には、それを支える名もなき私人(たとえば義のない戦争で死んだ兵士)の存在があるのではないか。

実際、加藤は旧来のナショナリストが主張するように、日本兵士を大義ある戦争の「英霊」として清く祀る――ぼくらの祖先は悪くない!――ような意味加重の弔い方法を拒否し、無意味に死んでいった死者一人ひとりの顔に無意味に向き合うことに「ねじれ」解消の道筋を読んでいた。

どちらも公的な歴史=物語に書き込まれないものを擁護しようとしているのだ。

肉づきの面から死面へ

アレントは『人間の条件』のなかで「物語というのは、行為の束の間の瞬間が過ぎ去った途端に始まり、その時になって、物語は物語となる。〔中略〕活動の意味が完全に明らかになるのは、ようやくその活動が終わってからだ」と述べていた。

アレントにとって「物語」は、アクションのあとで浮上する英雄的行為の証拠のようなものだ。個々の人間はいずれ死に、彼らが成し遂げた偉大な活動もすぐに忘れ去られてしまう。けれども、活動を物語として保存しておけば、その名声は死後もつづくことになる。それだけでなく、物語化は活動が終わったあとに完了するため、舞台上の役者が見渡すことのできなかった劇の全体像を把握することができる利点も認められる。

アクションは役者だけでは完成せず、ワーク(製作)を司る「物語作者」(=「歴史家」)とセットになって完全なものに至るのだ――ちなみに、この『人間の条件』での物語作家の位置づけは、後年の『カント政治哲学講義録』の「観客」とアナロジカルだ――。

これは「何 what」と峻別された「誰 who」の問題とも無縁ではない。アレントに従えば、公的領域で対他的にしか露呈されなかった掴みどころのない「誰」は、彼が死んだあとに紡がれる歴史=物語において初めて、対面したことのない者でも触知すること(tangible)が許される。「人間の本質が現われるのは、生命がただ物語を残して去るときだけである。〔中略〕実に、その人の「誰」のことである」。

ここにおいても、やはり峻別の努力空しく、「誰」が「何」に限りなく接近しているようにみえる。たとえば、ハンナ・アレント自身の物語化された「誰」とは、ユダヤ人でありながらユダヤ共同体に反して思考をつづけた稀有な女性哲学者という「何」的説明と同じなのではないか?

とまれ、一旦はアレントに従おう。以前に、「誰」を肉づきの面と形容した。その延長で再びたとえれば、歴史=物語とは肉のかたちを保存しようとする死面(デスマスク)のようなものだと考えればいいだろう。

社会的役割を分節するペルソナを通じて、各人は対面する人間の(本人さえ知らない)肉づきの面を垣間見る。その人間が死んだとき、彼の面を型にした死面がつくられ、人類の共通財産であるかのように時代を超えて共有される。死面は、アクションから遊離していたとしても唯一的「誰」に照準しているという点で単なるペルソナとは異なるかえがたい仮面なのだ。

そして、加藤と高橋はともに、死面がわざわざつくられるのはごく一部の偉人でしかないではないか、と批判しているわけだ。

死面との対面か、法的ペルソナか

改めて整理してみれば、加藤典洋は国民国家という物語の外部に打ち捨てられた死者に目を向け、彼らを正式に物語内に迎え入れること、別の角度からみれば既存の硬直した物語をより柔軟な仕方で語り(書き)直すことで、日本的アイデンティティが自覚的に統合(回復)されるはずだ、ひいては「ねじれ」のない責任ある外交の基礎になるだろう、と考えた。

高橋哲哉の関心もまた、国民国家という物語の外部に打ち捨てられた者たちに傾斜する。だが、彼の場合、加藤と違って演劇的に活躍できる役者しか登録しようとしない物語そのものを警戒している。この懐疑心が、アレント哲学の使用を裁判モデルに制限しようとする一種の検閲につながった。

歴史=物語に対してともに違和を感じていた論者二人は、しかし、その対処の方法において相克する。簡潔にいえば、加藤は物語に内属しつつも当の物語では語り尽くせないような身体性(肉づき)を温存する死面に改めて対面せよと述べており、高橋は死面ではなく物語から隔離された法的ペルソナ(裁判モデル)に向き合えと命じている。高橋にとってみれば、物語の外に出るためにわざわざアレントから注視者や法的ペルソナを引っ張りだしてきたのに、加藤の死面は物語への回帰を促すことで自分の苦労を骨折り損にさせかねない危険を孕んでいる。

けれども、先に感じていた疑問を蒸し返せば、死面とペルソナをそもそも明確に区別することができるのだろうか。つまりは、死面なきペルソナを考えることなど本当に可能なのだろうか。

仮面の物語再考

少し前に、「タイガーマスク」と「ゼロ」という二つの仮面を考察するさい、そこで発揮されていた物語の力を確認した。仮面を手にする者は、その仮面が内属している物語によって鼓舞されて、日常では躊躇してしまうような特別な行為に臨むことができた。

アレントにとって、そのような仮面は一つのペルソナにすぎない。彼女にとってより重要な価値をもつのは、その面を介して接近できる唯一的「誰」に照準する肉づきの面であり、アクションが終わったあとで初めて語られる肉をうつしとった死面である。

アレントに従えば、物語は行為に先んじて存在しているのではなく、英雄的行為の結果(形見)として語られ、また保存される。

けれども、そのような物語理解に物足りなさを覚えてしまうのは、死面もまた一つのペルソナとして機能するように思えるからだ。別言すれば、誰も成し遂げたことのない英雄的行為に踏み出すには、実はその背面では既に完結した誰かの物語による激励や支持があるのではないか。

いや、さらにいえば、我々が普段用いている一般的なペルソナ(医者として、著者として、教師として……)は、元をただせばすべて具体的な「誰」の死面だったのではないか。和辻的にいえば人‐間たちが行う、面の度重なる流用のなかで、浮き上がっていた「誰」が面下に沈没してしまっただけなのではないか。

比喩的に考えてみる。「タイガーマスク」は、ペルソナだろうか、死面だろうか? 「ゼロ」はどうか? その判断は極めて難しい。一方でそれを無償善行の記号や帝国主義に反旗を翻す希望の象徴と解すならば、それら面はペルソナ的といえる。だが、翻ってそこに「伊達直人」や「ルルーシュ」といった交換不能な「誰」の歴史を読み込むのならば、仮面は死面であるといわなければならない。

まるでリンカーン、まるでヒトラー

同じことはおそらく、現実の政治的場面でもいえる。たとえばバラク・オバマが、黒人の代表として、また大統領(国民の代表)としてスピーチするとき、彼は黒人や大統領のペルソナを装着しているといえるが、その言動のうちにキング牧師やリンカーンという具体的な「誰」の残響を聴衆が受け取るならば、仮面は死面に変質している、というべきだ。

さらに考えを進めてみる。あるパワフルな政治的指導者を、知識人がヒトラーになぞらえるとき、その「ヒトラー」とはアドルフ・ヒトラーという歴史上の個人(の実存)を指しているのだろうか。それとも最悪の独裁者という符牒として用いられているのだろうか。使用者が仮にどちらの意図で用いていたとしても、人々に開かれたその解釈は決定不能といわざるをえない。

ペルソナの困難は、装着者自身がこういうつもりで振る舞っても、その間‐人間的性格故に他者次第で仮面の同一性が揺らいでしまうということにある。それは時代を経て、語り継がれる場合にいっそう錯綜としてくる。物語化された「誰」に附帯するこの不安定さに、誰/でもないという匿名的想像力の肯定と否定を画する、重要かつ複雑な境界線が走っている。

参考文献

  • アレント、ハンナ『人間の条件』、志水速雄訳、ちくま学芸文庫、一九九四年。とりわけ三一〇頁、三一二頁。原著は一九五八年。
  • 加藤典洋『敗戦後論』、ちくま学芸文庫、二〇一五年。とりわけ六三頁。もとの単行本は講談社、一九九七年。
  • 加藤典洋『戦後的思考』、講談社文芸文庫、二〇一六年。とりわけ二八四頁。もとの単行本は講談社、一九九九年。
  • フーコー、ミシェル『性の歴史』第一巻、渡辺守章訳、一九八六年。とりわけ一八〇頁。原著は一九七六年。

1987年、東京都生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。En-Sophやパブーなど、ネットを中心に日本近代文学の関連の文章を発表している。著書『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍)、『貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』(フィルムアート社)など。最新刊は『仮説的偶然文学論』(月曜社)。twitter:@arishima_takeo