第9回 アレントから読む歴史主体論争・前編

海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日本的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察、その第9回。90年代末に、加藤典洋と高橋哲哉の間で繰り広げられた、戦後責任をめぐる「歴史主体論争」において、アレントのテキストはどのように読まれたか。

「歯車理論」について言及した。この議論は、実はアレントがアイヒマン裁判に関する一連の騒動を受けて考察したものだった。

一九六一年、アレントは、ナチスのユダヤ人殲滅作戦の責任者だったアドルフ・アイヒマンを裁く公開裁判を傍聴する。頭の中にあった悪魔的なサディストの想像は裏切られ、そこにいたのは上からの命令を黙々と執行するだけの凡庸な小役人でしかなかった。

その経過をレポートにまとめた『イェルサレムのアイヒマン』は、アイヒマンの罪をあたかも軽く見積もるかのように受け取られかねない記述と、ゾンダーコマンドと呼ばれるナチスに協力したユダヤ人部隊への問題提起を併せ持つことで、ユダヤ人共同体から大きなバッシングを浴びた。改めて確認するまでもなく、アレント自身がユダヤ人であったために論争は混迷を極めた。

多くの誤解に晒されつつも、アイヒマンには罪があり、極刑(死刑)に値することはアレントにとって自明のことだった。法廷は虐殺システムや反ユダヤ主義や歴史を裁くものではなく、ある一人の人間を判断する場所であり、彼が「歯車」として働いていたのだとしても、「それではあなたは、そのような状況において、なぜ歯車になったのですか、なぜ歯車でありつづけたのですか」という反問は依然として有効であるからだ。

歴史主体論争とは

アレントの政治哲学は、とりわけ戦後日本を総括する上で欠かすことができない。

というのも、ハンナ・アレントという固有名が、日本の論壇で浴びた最大のスポットライトは、一九九〇年代末、加藤典洋と高橋哲哉の、ときに歴史主体論争とも渾名された、戦後責任をめぐる一連の論争においてのことだったからだ。

歴史主体論争を中心にした周辺の議論は伊東祐吏によって詳しく紹介されているが、ここでは便宜のため立場を簡略的に図式化する。

批評家の加藤典洋は、一九九五年一月、論文「敗戦後論」を発表した。侵略戦争という正義のない戦いで死んだ日本の戦死者を、どう扱ったらいいのか。いまだその答えが掴めないところに、いつまでも他国への謝罪が完了せず、アメリカからの押しつけ平和憲法(九条)で国内的に対立をつづける、戦後日本的「ねじれ」、ジキル&ハイド的な二重人格の原因があると加藤は指摘する。

この「ねじれ」を解消するには、先ず始めに自国の死者に哀悼を捧げることでナショナルな統一性を一旦整え、それを経た上で、侵略戦争で犠牲となったアジアの死者たちに謝罪し、責任を示さなければならない。

対して、フランス現代思想に詳しい高橋哲哉は翌々月に「汚辱の記憶をめぐって」で、加藤の立論を身内びいきの内向きの議論として批判した。日本国民が真っ先になすべきは、他国の被害者への償いであり、他者の呼びかけに応えることだ。主体があって責任が生じるのではなく、犠牲者への責任=応答可能性(responsibility)によってこそ、反対に主体は成立するのだ。これら論争文は主に『戦後責任論』にまとめられることになる。

よくいわれるように歴史とは英語でhistoryであり、これは物語と同じ言葉だ。そう、誰かにまとめられた歴史とは人工的なつくりものにすぎない。が、他方で歴史は勝手な想像ではなく実際起きた事実でもある。ここに、大きな困難がある。

つまり、フィクションの不可避は、日本文化論だけではなく、歴史という領域を通じて政治的論点にも侵入してしまう。そして、どんなフィクションを採用するかで誰を激励するか、また誰に責任を割り当てるのかが決まるのだとすれば、途端、厳しい政治的闘争が開始されることは免れがたい。歴史主体論争がそのことを露呈させた。

判断=裁き? 公共性と共同性?

既にみた分人主義ならば、加藤的「ねじれ」論に対して、「ねじれ」切ったすえに分裂して併存することに健常の状態を求めるだろう。ただ、この態度は加藤の観点からすれば、他国に謝罪すると同時に、我々は悪い戦争をしたわけではなかったのだ、といった自己正当化に終始する無責任極まりない態度といえる。それは謝罪を反故にする行為だ。

個人単位であれ国家単位であれ、人格の分割が許されない(許したとたん無責任に直結する)政治的・倫理的局面が確かに存在する。ここでも分人的思想の限界が示唆されている。

さて、加藤と高橋の論戦のなかで提出されたのがアレントの名だった。最初に提示したのは高橋の方だ。

ホロコーストにおけるユダヤ人指導者たちの責任を彼女が追及したさい、同胞への同情に欠けるというゲルショム・ショーレムの批判を受けたが、アレントは「判断=裁き(judgement)」の責任は回避できない、と応えた。たとえ人種や宗教を同じくしても、ジャッジメントの責任は公平に行われるべきだ。この観点からみたとき、自国の死者を優先させる加藤は隠れナショナリストに等しい。

これに対抗して、加藤もまた高橋が言及したアレントのテクストを取り上げる。加藤は高橋的解釈から出てくる公共性(無情なジャッジメントの必要)と共同性(同胞の悲劇への同情)の二者択一を脱臼させ、共同性の強い足場を強く自覚するからこそ、様々な論点を積み込んだ公共性論が要請されるのだ、と切って返す。二つは重層的であり、共同性の層がなければ公共性の層はその位置を保てない。

いわば、自分の立場や状況を括弧がけして公共的観点に立とう、身を引き離そう、と意欲するには、共同性に縛られた自分を意識することが必須で、それに相当するのが「死者との共同性を解体してわたし達の死者との関係を公共化」すること(=義のない戦争で死んだ日本兵士の哀悼)であるわけだ。加藤は、『イェルサレムのアイヒマン』の軽妙な「語り口 tone」から、その絶妙な距離感を読み込んでいる。

分身するアレント

キーワードは相変わらず公共性である。

ただし、ここで論じられている公共性は、『人間の条件』において確認した公的領域の議論とやや角度が異なることに注意せねばならない。というのも、高橋が参照しているアレントとは、『イェルサレムのアイヒマン』のアレント、さらにいえば『カント政治哲学講義録』のアレントであって、『人間の条件』のアレントではないからだ。高橋に応答するかたちで自論を組み立てた加藤も土俵としては同じアレントを引きずっている。

二人の女性政治哲学者がいる。分身している。いったいどこが違うのか。端的にいえば、高橋が重視し、また加藤も『敗戦後論』においては半ば追随することになったアレントとは、カントの『判断力批判』を政治哲学的に読み直して注視者=観客の重要性を強調するに至った思想家であったが、この論点は『人間の条件』ではまだ前面にせり出して展開されていないのだ。高橋は次のように述べていた。

 

「わたしは現場にいなかったから判断を下せない」というショーレムに対して、もしそんな議論が成り立つとしたら、「裁判の運営も歴史の記述も不可能であることは明白だ」とアーレントは応じた。彼女にとって、判断者=裁き手のモデルは「注視者」(spectator)たち、つまり「事件に巻き込まれず、参加もしない」から、「距離をとって」「没利害的に」判断できる人たちなんだ。たとえば、フランス革命の行方を注視したカントのようにね。(高橋哲哉『戦後責任論』)

 

初めて加藤に対して異を唱えた論文「汚辱の記憶をめぐって」に於いて既に、判断=裁き(jugement)に注目していたことを考えてみても、高橋の意図する焦点は明白だ。即ち、アレント哲学は演劇ではなく裁判の比喩で読まなくてはならない、と。

観客の哲学へ

アレントは晩年、カント哲学に垣間見られた、フランス革命の熱狂に流されずに歴史=物語(history)から身を翻して冷静に眺める立場、スペクテイターを自分の思想に取り込む仕方で高く評価した。スペクテイターは、高橋のように「注視者」と訳してもいいが、それと同等の比重で「観客」という訳語をあてることができることを忘れてはならない。

ここには『人間の条件』からの大きな転回がある。というのも、既にみたように、政治の本質を私的領域から峻別された公的領域での活動=演技(action)に求めていたアレントは、そのさい、ペルソナを装着した複数の役者たちの芝居にこれをなぞらえていた。そこにおいて観客は、舞台の上で進んでいくドラマをただ単に眺めるだけの受動的な鑑賞者にすぎないようにみえる。

が、そうではないのだ、と主張したところにアレントの転回があり、同時にまた演劇モデルの新展開があった。

彼女が強調するのは、舞台上の役者は自分が他者にどう見られているか気取られているという点で自律していない、ということだ。また、演技中の役者の視線は自然、部分的=非公正的(partial)なものに偏って全景を冷静に眺めることはできない。この不能を補うのが、役者に期待をかけ、物語の全景を見守る有象無象の観客たちである、というわけだ。

だからこそ、カント読解においては『人間の条件』のときと対照的に「特殊な出来事に相応しい公的領域を構成していたのは、行為者=演技者たちではなく、喝采を送る注視者=観客たちだった」ということになる。

けれどもアレントにとって、この展開は決してアクションによる公共性論の撤回を意味するものではなかった。講義録の編者であるロベルト・ベイナーが指摘するように、アクションの思想、アレントのいう「活動的生活」の思想は、その片割れとして、世の静観に専心する「観想的生活」と一組になって初めてその真価を発揮することが元々の計画のなかに入っていたからだ。

アレントの公共性論は、舞台の上でだけ繰り広げられているのではない。舞台と客席を往来しなくてはならない。一方だけでは不十分なのだ。

「観客」の訳語を削ぎ落とす

興味深いのは、アレントの新展開こと「注視者=観客」論を、高橋は「注視者」に切り詰めて使用しているということだ。つまり、スペクテイターに宿る演劇的ニュアンスを高橋は意図的に削ぎ落すことによって、裁判の比喩に相応しい概念として再提示しようとしている。

論争が始まる以前に遡る。元々、高橋はアレントの思想に決して全肯定ではなかった。『記憶のエチカ』に収められることになる一九九四年の論文「記憶されえぬもの 語りえぬもの」では、大きな歴史=物語から忘却されてしまう(犠牲者たちの)記憶や証言、つまり「忘却の穴」への関心から初期アレントの代表作『全体主義の起原』(第三巻第三章)に接近した高橋は、『イェルサレムのアイヒマン』での「忘却の穴などというものは存在しない」という言葉に批判を差し向けてもいる。

たとえ小さい声であっても忘れてはならない記憶がある。にも拘わらず、それが「完全な忘却」によって抹消されてしまうかもしれない。なんて呑気なことを言っているんだ、アレントよ! というわけだ。

高橋はアレントの記憶論的後退の原因に、大きな歴史=物語に準拠する公共性論の抜本的性格を読み取っている。公的領域とは、「現われ」の空間、つまりはスポットライトを浴びる舞台を要求し、その上でなされる行為や言論活動によってだけ歴史=物語が更新されるという形式の下で進行する。

けれども、そこに参加できない弱者の声はどうなるのか。公的領域はそのか細い声を結果的にかき消しているのではないか。たとえば、「被害者を〈公的空間〉に引き出し、衆人注視のもとで証言を迫ることほど暴力的なことはない」。いわゆる、セカンド・レイプというやつだ。

こうして、公的領域の成立そのものがもっている暴力性は、政治を美的なもので捉えるモデルに求められる。つまり「演劇モデルのゆえに必然的に上演=表象(representation)の空間を特権化し、「それを表象する可能性を根こそぎにされた出来事」をまたしても裏切ってしまうのだ」。この疑問は当然、役者だけでなく「事態を注視する観客=観察者こそが、芝居(spectacle)の意味を見出し、その演技を的確に判定=判断(judge)することができる、という思想」にも及んでいる。政治的判断において、厳密にいえば観客さえも的確なメタファーではないのだ。

ここまできたとき、加藤を批判するときに高橋が「観客」という演劇的用語を決して用いず、裁判の比喩としてのみ耐えうる「注視者」の語だけを採用した理由が洞察できる。高橋はアレントの演劇モデルを元々信用していない。演劇モデルが依拠する演目(物語としての歴史)は、被害者や犠牲者の声をかき消し、記憶を忘却させる格好の権力装置でもあるからだ。

実は、歴史主体論争でのアレントは注意深く整形されていた。

 

参考文献

  • アレント、ハンナ『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』、大久保和郎訳、みすず書房、一九六九年。とりわけ一八〇頁。原著は一九六五年。
  • アレント、ハンナ『完訳カント政治哲学講義録』、ロベルト・ベイナー編、仲正昌樹訳、明月堂書店、二〇〇九年。とりわけ一一四頁、二三八頁。原著は一九八二年。
  • アレント、ハンナ「独裁体制のもとでの個人の責任」、『責任と判断』、ジェローム・コーン編、中山元訳、ちくま学芸文庫、二〇一六年。とりわけ五三頁。原著は二〇〇三年。
  • 伊東祐吏『戦後論――日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか』、平凡社、二〇一〇年。
  • 加藤典洋『敗戦後論』、ちくま学芸文庫、二〇一五年。とりわけ二六九頁。もとの単行本は講談社、一九九七年。
  • 高橋哲哉『戦後責任論』、講談社学術文庫、二〇〇五年。とりわけ二一七頁、二二八頁。元の単行本は、講談社、一九九九年。
  • 高橋哲哉『記憶のエチカ』、岩波書店、一九九五年。とりわけ一三~一四頁、七〇頁、一四六頁。

1987年、東京都生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。En-Sophやパブーなど、ネットを中心に日本近代文学の関連の文章を発表している。著書『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、2013)、『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍)。twitter