第2回 神戸:1975

フリーランスのライター&インタビュアー、尹雄大さんによる、土地と記憶を巡る紀行文。

すでに失ってしまったもの、もうすぐ失われるもの、これから生まれるもの。人は、移動しながら生きている。そして、その局面のあちこちで、そうした消滅と誕生に出会い続ける。また、それが歴史というものなのかもしれない。

私たちは近代化(メディア化)によって与えられた、共通イメージの「日本」を現実として過ごしている。しかし、それが覆い切れなかった“日本”がどこかにある。いや、僕らがこれまで営んできた生活の中に“日本”があったはずだ。神戸、京都、大阪、東京、福岡、熊本、鹿児島、沖縄、そして北海道。土地に眠る記憶を掘り起こし、そこに住まう人々の息づかいを感じ、イメージの裂け目から生まれてくるものを再発見する旅へ。

 

1975年初夏、私は母とともに阪神電鉄の御影駅で三宮行きの特急電車を待っていた。

月に一度、連れ立って向かう先は、いまは沖合いの人工島ポートアイランドに移転した中央市民病院だ。母は全身性エリテマトーデスという難病を患っていた。

30度もあれば猛暑といわれていた時代だったとはいえ、母子そろって紫外線に弱く、次第に影も濃くなる季節の到来に憂鬱という言葉を被せることも5歳の私はまだ知らなかった。ただ日を追って加わる体のだるさに、白茶けた日差しが連れ立ってきた夏とはそういうものだという合点をしていたように思う。

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