10年前の今日、東日本大震災が発生した。地震発生時、僕は当時勤めていた編集プロダクションにいた。のちにビルのテナントに移転するのだが、そのときはマンションの一室だった。打ち合わせのために六本木まで行く準備をしている途中に、大きな揺れに見舞われた。
生まれてはじめて経験する激しい揺れだった。僕と事務所にいた同僚2人は、すぐに机の下にもぐり込んだ。地鳴りも聞こえ恐ろしかった。揺れている時間が延々と続くかと思うくらい長く感じた。揺れがおさまった頃、新潟県中越地震を経験したひとりの同僚が、「建物の外に出ましょう」と呼びかけた。僕ともうひとりの同僚は指示に従って階段を降りた。
外は建物から避難してきた人で騒然としていた。近くにある雑貨屋の商品が床に散らばっているのが見えた。スマートフォンでニュースをチェックすると、どうやら震源は東北らしい。こんなにも揺れたのに、関東の地震ではないなんてどういうことだろう、とゾッとした。
にもかかわらず、危機感が薄かった僕は、財布を事務所に忘れてきたことに気づいて取りに帰ると言い出した。同僚から「まだ、やめておいたほうがいい」と忠告されたのに、建物の中に戻ってしまった。案の定、部屋で財布を探している間に、もう一度、強い揺れがきた。
そのときは自転車で事務所まで通っていたため、帰宅難民にならずにすんだ。しかし、環状七号線や井の頭通りにクルマや人の列が連なっている光景を、いまだに忘れることができない。そのあと起こったことも、テレビで見た被災地の凄惨な状況も忘れることができない。
「10年ひと昔」と言うが、10年前の今日のことを、つい最近の出来事のように感じる。「もう10年も経ったのか」という思いがどちらかといえば強い。まだ被災地は復興していないし、原発事故の問題も残っている。「ひと昔」という実感を得るには、傷跡がまだ生々しい。
そして現在は、新型コロナウイルスの感染が広がり、新たな課題が出てきている。つい先日、東京でも大きな揺れを感じる地震があった。忘れないでいたつもりだったものが、実は徐々に記憶が薄れてきているのに、そのとき気がついた。「10年ひと昔」と言うには、最近の出来事のようだと書いたが、実際には当時よりも防災意識が乏しくなっている自分がいた。
そして10年という年月は人の環境を変えるもので、今では0歳児の息子や愛犬、東京の郊外で一人暮らしする母などのことも考えなければいけない。仮に避難所生活になった場合の感染対策もきちんと検討しておくべきだ。僕に出来ることは10年前にあった出来事を忘れないこと、その経験や教訓を未来に生かしていくこと、死者を悼むことである。
1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤ
Twitter: @miyazakid