モヤモヤの日々

第195回 偶然の駄洒落(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昔から九鬼周造の『「いき」の構造』が大好きで、何度も読み返している。岩波文庫版の表紙にも記された「運命によって“諦め”を得た“媚態”が“意気地”の自由に生きるのが“いき”である」という一文に論が集約されていく見事さは、いつもモヤモヤとばかり言っている僕にも、「いつかはこんな文章を書いてみたい」と思わせるほど洗練されている。この一文は読了したものからすると壮絶なネタバレに感じるのだが、読む前はそう思わないからなおすごい。

そんな九鬼周造が放った有名な駄洒落が、クキがクッキーでグキっとした話である。九鬼の言うこの「偶然の戯れが産んだ」駄洒落という概念に出会ってから、僕はその偶然のタイミングを日々の生活のなかで探し続けていたのだが、なかなか見つからないものである。ありそうでない。それが偶然の駄洒落なのだ。

この前、仕事に疲れた僕は気晴らしに外出することにした。ちょうど必要なものがあったから、近くのスーパーに買いに行こう。どうせなら赤子(1歳4か月、息子)を前に吊るして行けば、赤子にも少しは刺激になるだろう。そんなふうに考え、いつもの赤子を前に吊るすスタイルでスーパーに向かった。

スーパーまでへの道中、信号待ちをしながら僕は赤子に言った。「今は信号が赤だから、青になるまで待っているんだよ」。そのとき、全身に電撃のようなものが走った。赤子が赤信号を待っている。赤子が赤信号でとまり、青信号になるのを待っているのだ。まさかのリーチがかかった。慌てて自分と赤子の衣服を見た。どこにも赤的な要素は見当たらない。やっぱり駄目なのか。そろそろ青信号になってしまう。

そう思った瞬間である。赤子がゲップをした。赤子が赤信号を待っている間にゲップをした。しかもこれでもと言うくらいあからさまにゲップしたのだった。赤子が赤信号であからさまにゲップした話である。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid