モヤモヤの日々

第87回 読書

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

読書はそれ自体が喜びであるが、その過程の中に「読書計画」を立てる楽しさがある。

たとえばなんでもいいのだが、連休のまとまった時間を使って二葉亭四迷を読もうと計画したとする。二葉亭は、言文一致体の嚆矢となった『浮雲』のほかは、小説を二作品(『其面影』『平凡』)しか残していない。これだけでは連休が余ってしまいそうなので、二葉亭に影響を与えた坪内逍遥を読むか、それとも二葉亭が翻訳したロシア文学に手を伸ばすか。もしくは、二葉亭についての理解を深めるために、中村光夫の『二葉亭四迷伝』を読むのもいい。中村光夫を読んだなら、『日本の近代小説』などほかの評論にも、この際、じっくり取り組んでみたい。

と、ちょっと考えただけでも楽しい気持ちになってくる。紙に読書計画を記し、壁に貼って「これで完璧だ」と悦に入る時間が、僕は大好きである。しかし、だいたいが事前に立てた計画どおりいかないのが読書の不思議なところでもあり、面白いところでもある。山田美妙や尾崎紅葉など、同じく言文一致体の確立に取り組んだ作家に寄り道する場合もあるだろうし、いきなり現代作家に飛ぶこともあるだろう。気が変わってビジネス書を読み出すなんてこともあるかもしれない。

ようするに、専門的な研究のために読書をするのでない限り、読書計画などというものは絵に描いた餅になるケースがほとんどなのだ。だが、そうだとしても僕はこの読書計画を練りに練る楽しさを手放したいとは思わない。読書計画を立てるのも、その計画が崩れるのも「読書」なのである。

そして、読もうと思って買っておいた本が見事に積読になるわけだ。しかし、読書のいいところは、そのときに積読したとしても、いつかまたその本が「計画」に組み込まれる復活劇が、たびたび起こることである。問題は、蔵書をいかに収納するかだが、以前、この連載で書いたとおり、部屋の蔵書を分類して収納しようとカラーボックスをネットで注文し、まだ足りないと追加注文しているうちに42箱になってしまった。驚くべきことに、それから1ヶ月以上経った今でも、僕の部屋は42箱のカラーボックスで埋まっている。妻の勧めで大きめのコンテナボックスを3箱購入したので、もう一度、分類し直して連休中にはきちんと収納したいと思っている。

本の片付けや収納も「読書」の一部なのかもしれないと、最近では考えるようにしている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid