モヤモヤの日々

第133回 七夕の願い事

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

7月7日は七夕である。由来は諸説あり、風習も地域によってさまざまだが、なんとなく一般的に浸透しているイメージとして、願い事を書いた短冊を笹の葉に吊るすというものがある。赤子(1歳1か月)が産まれて以来、なるべくそうした季節の催しは大切にしていきたいと思っている。

しかし、七夕が近いと気づいたのは3日前だった。いつも使っているショッピングサイトをチェックしてみたものの、家で慎ましく行うための飾り付けで、7月7日までに確実に配送される商品はすでに品切れとなっていた。考えることは、みんな一緒なのである。商品はあるにはあるのだが、僕が確認した時点では、「笹の葉60本セット」とか、「ミニ提灯12個セット」とか、おそらく保育園や幼稚園、町内会などのイベントで使用される想定の商品ばかりだった。少なくとも狭い我が家では、笹の葉60本を飾るスペースも意義も見出せない。

妻と相談した結果、短冊は折り紙でつくり、笹の葉はリビングにあるストレリチア(極楽鳥花)という観葉植物で代用することになった。ストレリチアは花が咲いておらず、目蓋を糸のように細めて見ると笹の葉に見えなくもない。赤子には、いずれ正式なやり方を教えればいいのである。

さて、短冊に書く願い事をどうするか。考えてみれば、大人になってから七夕に願い事をした記憶がない。いや、20代後半だか30代前半だかの頃、行きつけのバーに笹と短冊があったので、願い事を書いたことがあったような気もするし、なかったような気もする。つまり実質的にはないと言い切ってもいいだろう。30代最後の七夕に、なにを願うべきなのか。

「家族が明るく元気に過ごせますように」ではちょっと抽象的すぎるし、かといって「100万円ください」では情緒がなさすぎる。僕のことだから、きっと後者は過去に2回くらいは書いた経験があるはずだ。赤子と犬は、なにを願うだろうか。やつらは字が書けないため、代筆する必要がある。しかし、赤子と犬は字を書けないどころか、喋ることもできないではないか。短冊のイベントは夜なので、そのときに訊いてみようと思うが、赤子は「あちゃ」か「あじゃ」か「ぶんぶん」と言うだろうし、犬に至っては偉すぎて吠えもしないだろう。

「あちゃ 赤子」「クゥーン 犬」と短冊に書いて、観葉植物に吊るそうと思う。そして、やつらの願い事は「ご飯が食べたい」「散歩に行きたい」くらいだろうから、きっと叶うのだ。それが僕の願い事である。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid