モヤモヤの日々

第76回 ナ、ノ、ハ、ナ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

檀一雄の『小説 太宰治』(岩波現代文庫)では、酒席で太宰治が中原中也に絡まれた場面が描かれている。酔いが廻った中也は太宰に、「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」と迫った。泣き出しそうな顔をしている太宰に対し、中也が「ええ? 何だいおめえの好きな花は」とさらに凄むと、「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と、とぎれとぎれに言った。中也の怒号が飛び、店内は大乱闘になったという。

中原中也、大学の卒業論文に選んだ詩人ながら、なんて滅茶苦茶なやつなんだ。あまりに理不尽すぎる。太宰がいったいなんと答えれば、中也は納得したのだろう。どうせ中也のことだからどんな花でも納得しなかったと思うが、僕は酒をやめたので他人の顔を空に浮かんだ青鯖に例えるような熱狂はせず、平熱のまま素面の日常を生きて、この連載に綴っている。

先日、家族4人(うち1匹)で散歩に出掛けた。僕は赤子を前に吊るし、妻は愛犬ニコルのリードを持った。日差しが柔らかい、うららかな日だった。近所を歩くだけでも、いろいろな発見がある。近所には、なぜか野良猫が少ない。昨年、古い家屋が取り壊された土地に、雑草がうっそうと繁っている。住宅街から大通りに出ると、妻はドラッグストアに寄りたいと言った。赤子といっても、もう体重が10キロ以上である。育児のためにひ弱な肉体を鍛えなければいけない。僕は妻からニコルを預かり、リードを持ちながらベンチに腰掛けた。

妻を待っている間、僕とニコルはへばっていたが、赤子はキョロキョロと辺りを観察している。近くの花壇に黄色い花が咲いていた。菜の花だ。なぜ菜の花だとわかるのかというと、東京の西の奥のさらに奥にある東京都・福生市で育った僕は、幼い頃、よく近所で菜の花が咲いているのを見ていたからである。好奇心に満ちた無垢な瞳を向ける赤子に僕は花の名前を教えてあげ、童謡の「赤とんぼ」を歌ってあげた。妻が日用品を買った袋をぶら下げて戻ってきた。僕は本当に愚かなので念のため妻にも訊いてみたが、やっぱり菜の花だった。

菜の花だったとは思うのだが、「菜の花畠(ばたけ)の赤とんぼ〜」などという歌はなく、「赤とんぼ」といえば「夕焼け、小焼けの」であり、「菜の花」は別の歌であったことに昨日、気がついた。赤子には、とりあえず雰囲気だけでも掴んでおいていただければ幸いである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid