モヤモヤの日々

第208回 出口がある街

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

故郷の東京都福生市に帰省して3日目を迎えた。昨日はあいにくの雨模様で、そのせいか赤子(1歳5か月、息子)はいつもより長く昼寝していた。雨があがり、赤子が目を覚ますのを待っていたら夕方4時近くになっていた。僕と妻は、赤子と犬を連れて散歩に出ることにした。

福生市内は大まかに、ベースサイド(米軍横田基地側)とリバーサイド(多摩川側)にわけることができる。今の実家はベースサイドにあるのだが、実はそこに引っ越したのは僕が21歳くらいの頃で、幼少期から成人するまではリバーサイドに住んでいた。多摩川側は低地になっていて、豊かな湧水がそこかしこに流れ、6月頃には「ほたる祭り」が開催される地域である。

米軍基地側、とくに国道16号線沿いはアメリカンな雰囲気の店が立ち並び、福生駅周辺には昔の盛り場の名残もあって、今もバーやライブハウスなどが営業している。おそらく対外的な福生のイメージを形成しているのはベースサイドだろう。しかし、市内には石川酒造、田村酒造という1800年代から続く老舗の酒造があり、戦後に耳目を集めた「米軍基地カルチャー」よりも古い歴史と文化がある街でもあるのだ。僕は今回、初めて生まれ育ったリバーサイドを案内した。

妻はベビーカーを押し、僕は愛犬ニコルをリードにつないで歩いた。多摩川側の低地に降りていく高台からは、秋川流域の山々が望める。曇っていて夕焼けは見えなかったが、もしかしたらそこから風景を眺めたのが今回のハイライトだったかもしれない。しばらくリバーサイドには行っていなかったので忘れていたのだけど、そちら側には見るものが本当になにもないのである。

低地への急坂を降りているとき、何人かのご老人とすれ違った。「可愛い赤ちゃんですね」「ワンちゃんも愛らしいですね」と優しく声をかけてくれて道を空けてくれた。さて、リバーサイドに来たはいいものの、とくになにもない。僕は、昔住んでいた家の前に妻と赤子と犬を連れて行った。当たり前だがすでに新しい人が住んでいて、40代くらいの男性が車庫でなにやら作業をしていた。その後、よく「ビックリマン」チョコを買いに行った駄菓子屋(通称:タバコ屋)を見に行った。もう店舗は閉めているのかもしれない。タバコの自販機は相変わらず並んでいた。

この時点でやることがなくなった。僕は通っていた中学校を見せ、その足でY君の実家に行ってみた。そう、サッカーのゴールネットに絡まって動けなくなっていたときに出会い、「好きな人と一緒にいられるのが一番でモテる必要はない」と言う僕に、「『モテる人が好きな人』を好きになった場合はどうするんだ?」と真剣に訊ね、前日紹介したばかりのお洒落な店に「ここ俺ちゃんの行きつけなんだ」みたいな雰囲気を漂わせながら僕の知らない女性を連れてきて、同じく2日連続来店した僕と居合わせた途端、「狭い街だからな」などと意味不明な言葉を発したY君の家だ。

Y君の家は、僕が昔住んでいた家と同じく、昭和の後期か平成の初期に建てられた、日本全国どこにでもあるようなシンプルな戸建てだった。綺麗にリフォームされていて、玄関前にはプランターに植えたいくつもの花が咲いていた。家の中に誰かいたようだが、いくらY君の幼馴染みとはいえ、突然訪ねては迷惑するだろうと思ったので、インターフォンを鳴らさず外観だけを眺めた。

僕は、妻にY君の家の感想を訊いた。「とても素敵な家だね」と妻は言った。それしか感想の言いようがない普通の素敵な家だった。ユニークな性格で人気のY君だからといって、ユニークな造りの家に住んでいたわけではない。僕もそうだけど、いい意味で平凡な家で平凡に育った。

Y君の邸宅を外から見学したあと、多摩川沿いの土手を歩き、また急坂を登ってベースサイドに戻った。途中でJR青梅線の踏切につかまり、「河辺行」の下り電車が通過した。それでも踏切が開かず、今度は「東京行」の上り電車が都会に向かって通り過ぎていった。カンカンカンとしきりに鳴り響く踏切の音が怖いらしく、ベビーカーに乗った赤子は大泣きしていた。

僕はこのとき、大岡昇平の「中原中也伝──揺籃」に記された文章を思い出していた。大岡は中也の死後、詩人が生まれた山口県の湯田を訪れ、以下のような印象的な感想を抱いた。

船の汽笛は頭の中で鳴ったけれど、汽車の汽笛はたしかに現実にこの風景を引き裂いて鳴った。山口線はこの谷を貫いて、西南の方、海へ出て行く。その方で谷を囲む山々は、追い合うように互の先端をかぶせ合って、しだいに低く、茜色に染まる空の下、海と港と街と煙突のあるあたりに消えて行く。しかも北方にはいつも北海の暗雲が脅かすように、促すように、外国兵のように屯して──

出口があること、これがこの小さな美しい自然の欠点であった。

福生市内には、大きなドラッグストア、スーパーマーケット、カラオケボックスなどがいくつも立ち並び、公園は都会より広くて自然が美しく、米軍基地などによるカルチャーが根付いている。歴史もある。妻はそんな福生を見て、「ここはずっと住んでいられそうな街だね」と感想を述べた。僕は「東京行」の電車が通り過ぎるのを眺めながら、「いつでも外に出て行ける街なんだよ」と妻に言った。青梅線の「立川行」ではなく、「東京行」に運良く乗ることができたら50分ほどで新宿に着く。僕らにはできないが、横田基地の滑走路から飛行機で飛び立てば、どこにだって行ける。少し間を置いて、「でも、いつでも戻って来られる街でもあるんだ」と僕は小さく呟いた。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid