モヤモヤの日々

第212回 前髪のこと(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

実家に帰るたびに母から前髪について苦言を呈される。母はどうしても僕の前髪が前に垂れているのが気になるらしい。「前髪が前に」という重複表現でもわかるとおり、前髪は前に垂れていてもいいはずなのだが、母はどうしても僕に前髪を後ろに流してほしいそうなのだ。ときには勝手に流そうとしてくるため、先週の帰省中は母の挙動を観察し、前髪を守っていた。

それでも母は諦めきれなかったらしく、帰省の最終日、この連載の「200記念トークライブ」を観ながら「前髪が! ああ…前髪……。ほら、前髪が。…ああ」と最後の最後までダメ出しをしていた。なぜ39歳にもなった息子の前髪がそんなに気になるのか。僕にはもっと他に突っ込みどころがあるはずなのだが。

最近、というかかなり前からモヤモヤしている問題に、「iPhoneのFace IDが僕の顔を認証してくれない」というものがある。Face IDが使えれば、ロック画面を解除するだけでなく、各種のサービスがスムーズに使えるのに、天下のApple社のテクノロジーにもかかわらず、いくらやっても認証しない。何度か顔の登録をしなおしたのだが、やっぱり認証してくれないのである。なぜなのだろうか。もしかしたら、自分で気がついていないだけで、この世あらざる世界に片足を突っ込んでしまっているのかもしれない。いや、そんなはずはない。僕は立派な生体である。生体でなかったら、ひとつも取り柄がなくなってしまう。

それともただ単に、寝不足で顔がむくんでいるだけなのだろうか。そんなことを考えながら、iPhoneに顔を寄せたり、離したりしている僕を見て妻は言った。「前髪が垂れているから認証されないんじゃないの?」。前髪を後ろに流してみると、すぐにロックが解除されたのであった。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid