モヤモヤの日々

第55回 3月生まれ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日3月14日は、この連載の担当編集・吉川浩満さんの誕生日である。フェイスブックには、そういうことを教えてくれる機能があり、昨日が吉川さんの誕生日だとわかった。ホワイトデーに生まれてくるとは、なかなか小粋な人である。お祝いのメッセージを送ろうと思ったが、翌日の本日がこの連載の掲載日だったので、小粋な日に生まれた吉川さんにならって、この場を借りて祝意を伝えたい。この原稿は、本日掲載分の締め切り10分前に書いている。本日分の掲載ストックはない。もう数時間経てば掲載時間になってしまう。早くこの贈り物を書かなければならない。

さて、吉川さんが3月生まれだとわかって思い出したのが、僕も3月生まれだということである。3月生まれの人は、よく「成長が遅くて苦労した」と言う。実際、生物学的、科学的にはどうなのかはわからないけど、そういうイメージを持っている人も多いのではないか。たしかに、僕も幼稚園、小学生の頃は小さくて、何をやらせても人より駄目だった。両親によると、幼稚園の保護者参観日で、園児が順番に跳び箱を跳んでいたらしい。小さい体で一生懸命跳び、最後は着地のポーズをする。その微笑ましい光景に、保護者から歓声と拍手が起こっていたという。いよいよ僕の番になった。跳び箱に向かって突進していく僕。両親が固唾を飲んで見守っていると、跳び箱の前で急旋回して走り抜け跳び箱の後ろに回り込むと、ピタッと止まって着地のポーズを決めたのだった。

僕はまったく覚えていない。ただ、なんとなく練習で飛べなかったから、智君だけはそうやっていい、みたいな話になっていたような気もする。3月生まれの人は、多かれ少なかれそういう体験を持っているのかもしれない。3月生まれのひとりとして僕が一番不満に感じていたのは、学年末の慌ただしさや学期末テスト、春休みといったドタバタの中で誕生日がみんなから忘れられやすい、ということだ。大人になっても確定申告が3月にある。ドタバタし過ぎて、自分の誕生日を忘れていた年もあったほどだ。あと、これは何度でも声高に叫びたいのだが、僕は高校受験を14歳、大学受験を17歳でやったのである。10点とは言わないが、せめて4点くらい加算してほしい。

しかし、大人になってからは成長も追いつき、むしろ僕だけなかなか歳をとらなくてラッキーと思うようになった。しかし、35歳を超えたあたりから、それもモヤモヤに変わった。たとえば現在、同学年の友人は39歳になっているのに、僕はまだ38歳である。39歳といえば30代最後の歳で、独特な感覚があるのかもしれない。友人はその感覚をとっくに味わっているのに、自分だけまだ38歳なのがなんとも居心地が悪い。そんなモヤモヤが増えてきたので、僕は1月になったら勝手に年齢が上がる発想を取り入れている。愚鈍な僕にしては、冴えた発想を思いついたものだ。

しかし、そんな僕もようやく明日で39歳である。僕もようやく39歳になるのだ。なんだか、うれしというよりは、ちょっとホッした気がする。そんなことはどうでもよくて、すでに締め切りの時間が30分も過ぎてしまっている。吉川さんへの誕生日プレゼントが無事に掲載されますように。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid