モヤモヤの日々

第94回 断酒(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

断酒して5年の年月が経った。長かったような、短かったような不思議な気持ちがするが、僕の場合はアルコール依存症で断酒したので、生きている限りは酒を飲まない日々が続くのだろう。

まだ5年しか断酒していないので大きなことは言えないが、僕にとって断酒とはつまり、大したことない自分を誤魔化したり、無理に奮い立たせたりせず、ただそのままに受け入れる態度なのだと思う。行為でなく態度と書いたのは、最終的には「断酒をする」、あるいは「酒を飲まない」という行い、決断自体が消滅するのが好ましいし、僕はあくまで断酒する態度を示しているに過ぎないからだ。こう書いている次の瞬間にも、酒に手を出している可能性は十分にあり得る。

実際に僕が5年間、酒をやめられているのは、意志が強いからではない。むしろ、次の瞬間にも酒を飲んでしまう可能性があるおぼつかなさ、飲み始めたらまたすぐにやめられない状態になり、しかもそれらしい理屈をこしらえて強弁しているに違いない愚かさ。再び酒に手が伸びそうになったとき、寸前のところで僕をとめてくれるのは「意志の強さ」などではなく、そういった「弱さ」のほうである。「弱さ」の自覚こそが、断酒をし続ける心の杭となっているのだ。

『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(幻冬舎)は、酒徒で知られた町田康が酒をやめた理由などを綴った名著である。そのなかで町田は、酒を飲んでも飲まなくても「人生はもともと寂しいものである」と記している。僕の今の実感にこれほど合致する言葉はほかにない。むしろ僕は酒をやめるまで、「寂しい」と本当には思ったことがなかったような気がする。寂しさとは、ゆっくりと、深く、静かにやってくるものなのだと、酒をやめてから感じるようになった。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。しかし、僕は「寂しい」と思えるようになって、今はとても幸せである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid