モヤモヤの日々

第171回 コロナ以後

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

気がついたら9月になっていた。緊急事態宣言はいまだ発出され続けている。新型コロナウイルスワクチンの2回目の接種を終えて1か月以上が経ったけど、思ったより気持ちは明るくならないし、生活スタイルはまったく変わらない。数字の感覚がだんだん麻痺していく。

当たり前だが、いくら同じ自治体(東京都)に住んでいるとはいえ、1日5000人超の感染者という数は、ひとりの人間にとって認知可能な域を超えている。一人ひとりの人生に思いを馳せるほどの想像力は働かず、故に数字の感覚が麻痺してくる。5001人の1人と、ほかの5000人の差がほぼ消滅する。人間の人生は「数」などでは決してないけど、その感覚も麻痺する。

コロナ以後の世界を生きている。しかし、どの時点からが「コロナ以後」だったのか、僕はずっと特定できずにいる。中国での流行が報じられたときか、日本国内で感染者が確認されたときか、はじめて緊急事態宣言が発出されたときか。個人的には2020年3月からの全国一斉休校を当時の首相が要請した時点で世の中の空気がガラリと変わったように記憶しているが、反省を込めて正直に言うならば、いつのまにか、気がついたら、徐々に、といった感覚のほうが実際には強かった。

そして、今もそのコロナ以後であるわけなんだけど、先行きが見通せているとはいいがたい状況である。人間は、不確かな状況に長く置かれることにストレスを感じる。そうなってから、1年半ほどの月日が経っているのだ。始点も終点も明確なメルクマール(目印、指標)が見出せないまま、ずっと宙ぶらりんでいる。もともと元気はないけど、より一層に疲れる。

マンションから東京の街を眺めてみる。2020年春の1度目の緊急事態宣言下と比べると、人通りは多いし、街をゆく人の表情も明るい。もしかしたらコロナ以前に戻ることなんてなく、これからもずっとコロナ以後を生きていくのかもしれないと、ふと思うときがある。事実、僕は今の生活に以前よりも慣れつつある。コロナ以後に生まれた赤子(1歳3か月、息子)なんて、コロナ以後の生活が当たり前なのだ。人間は慣れる。良くも悪くも慣れてしまう。数字の感覚も麻痺する。

よほど慎重に見て、じっくりとして吟味しなければ、なにか大切なものがこぼれ落ちてしまいそうな、嫌な予感がしている。こういうときこそ、「凪を生きる」精神をもう一度、胸に刻みたい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid