モヤモヤの日々

第210回 疲れを知ること

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

最近、妙に元気がいい。忙しい日々は続いているが、徹夜の日が続いた時期を乗り越えたせいか、忙しい耐性がついてしまったのかもしれない。ちょっと前なら「もう限界だ」と思うような日でも、それほどまでには思わなくなっている。だからといって仕事が早く進むわけではなく、愚かな僕は時間があればそのぶん余裕が生まれたような錯覚に陥る。そして見込みを誤った結果、昨晩も徹夜になってしまったのだ。でも、1日くらいならそんなに疲れない。

これはよくない兆候である。仕事もそうだけど、生活も同時に整えなければいけない。余裕は余裕としてしっかり残しておくから余裕なのである。だいいち僕は徹夜をしてもダメージがないほど、若くも強くもない。そして、「本当に疲れているときは、自分でも気づかない」というしばしば起こり得る落とし穴を、僕はこれまでの経験で学んでいるのであった。

新型コロナウイルスの感染が拡大し、一度目の緊急事態宣言に突入した昨年の2020年春頃、僕は疲れていた。その時期に妻が大阪で里帰り出産し、産前も産後も長い間、離れ離れになってしまった。妻を励ますことも、感謝を伝えることも、赤子の顔を見ることも、リアルな空間ではできなかった。スマートフォンでの映像通話が、その時点で考え得る最も安全で、かつリアリティのある接触だった。仕事の先行きも不透明だった。疲れていないはずがない。

複数人の方から「宮崎さんは疲れているんだよ」と言われて、やっと自分が疲れていることに気がついた。ある瞬間、「あ、自分は疲れているな」と自覚した。自分は元気だと思い込んでいた。しかし、一度気がついてみると、「なんでこんなに疲れているのに、そのことに気がつかなかったんだろう」と不思議に思うくらい、僕は疲弊していた。倒れる前に気づいてよかった。

愚か者の僕は、せめて過去の愚かさら学ばなければいけない。自分が判断を誤る人間なのだということを、忘れてはいけない。自分をあまり信用しすぎてはならないと思うようになった。とはいえ、やっぱりなんだか最近は元気なような気がする。本当に疲れていないのかもしれないし、愚かだからまた間違っているのかもしれないし、今は2020年春と違って疲れる要素が少ないようにも思えるが、その要素に気づいていないだけの可能性もある。少なくとも、自分は元気だという思い込みをしばしばすることだけは忘れないでいるつもりだ。やけに元気なときは、とくに要注意である。

この種類の落とし穴には、僕のように誰かに指摘してもらった経験がなければ気付きにくい厄介さがある。誰もが自分は強い人間だと思い込みたいものだからだ。自分の疲れを知るのは、意外と難しい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid