モヤモヤの日々

第167回 自分の声

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕は、自分の声があまり好きではない。体内で響いている自分の声は大好きなのだが、録音された声は聴いてもいられない。子どもの頃、ハンディカムのビデオカメラで撮影された自分の映像を観て、「声がいつもと違う」と親に訴えたものだった。でも父は、「お前の声はいつもこんな感じだぞ」と譲らなかった。録音された自分の声を嫌いと思う人は絶対に多いはずだ。

体内に響く自分の声と、人に聴こえている(つまり録音された)声のどちらが本当の「自分の声」なのだろうか。言葉で相手に情報を伝える場合は、後者が「自分の声」だと言える。しかし、その声は発した本人には聴こえないのだから、アナウンサーや俳優、歌手、ボイストレーナーなど特殊な職業でない限り、自分の声を日常的に聴いている人はあまりいない。声のプロでない人間が、自分の声を聴くのはただの苦行だ。そして、それをやらされまくるのがライターという職業である。

ライターには「テープ起こし」というものがある。インタビューをICレコーダーに録音し、あとでそれを文字にする作業である。はじめは、これをやるのがとにかく苦痛だった。なにせ、好きでない自分の声を何時間も聴かされるのだ。昔は甲高かった声が変声期を経て低音に変わり、いつも少し鼻声で、興奮するとうわずる。早口だし、滑舌も悪い。ライターになりたての頃は、「なんでこのタイミングで沈黙してしまったのだろう」「ここの部分、焦りすぎて質問を飛ばしてしまった」といった話法のテクニックも含めて、テープを聴いていると気が滅入って仕方なかった。

さて、最近ではインタビューするだけではく、ラジオやネット配信に出演する機会が増えてきた。これまで自分が出演する番組は、基本的に聴き返さないようにしていた。なぜなら、自分の声が好きでないからである。嫌いな声を聴かされる挙句、上手く喋れなかった部分が気になって凹んでしまうに決まっているのだ。コロナ以降、極端に人と話す機会が減った結果、表情筋がより固まり、以前よりもさらにこもった、聴きづらい声になった気がしている。

このままではさすがにいけないと思い、最近では出演した番組は必ず聴き直し、僕としては珍しく改善点をメモまでしている。自分の声の問題もあるが、機材の問題もあることがわかったので、とりあえず古すぎるiPhoneを変えようと決意した。こんな真面目で僕は大丈夫だろうか。なんと滑舌トレーニングまでやっているのだ。しかも毎日かかさずに、である。

少しでも聴きとりやすく、親しまれやすい声になったらいいな、と思っている。それにしても僕は、僕の体内で響いている声は大好きなのだけど、こちらは本当に素敵な声なのだ。どうにかして皆さんに聴いてもらいたいのだが、どうすれば出来るのかまったく以ってわからない。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid