モヤモヤの日々

第95回 慎重さ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

愛犬ニコルは布団にもぐるのが大好きだ。この前、仕事部屋からリビングに戻りニコルを探したのだが見つからなかったため、寝室にいる妻に訊いてみた。妻は自分がくるまっている布団を指差して、「ここにいるよ」と言った。僕は布団の上から、なかにいるニコルを撫でた。赤子が産まれて以来、ニコルは少し大人になった。「お前は、なんていい犬なんだ」と、僕はニコルを撫でながら労い続けた。ニコルにしては、凹凸のない質感が妙だなと思った。

僕が事実に気づいた瞬間、妻もまったく同じタイミングで事実を把握したらしい。「この人、私の太腿をニコルと間違えている」。妻はハッとして僕の顔を見た。僕も同じタイミングでハッと気づき、妻の顔を見た。ニコルは迷惑そうに布団から顔を出して、爆笑する夫婦を見ていた。

つい先日、僕は赤子を布に包んで抱っこしていた。妻が寄って来て、布越しに僕の二の腕を揉みながら、「いい触り心地。柔らかくて気持ちいい」と言った。たしかに僕は筋肉がないので、二の腕が柔らかい。妻はなおも熱心に僕の二の腕を揉み続け、「なんでこんなに柔らかくて可愛いんだろう。赤ちゃんの太腿って、ムチムチしていて最高だよね」と言った。

そのあとは、冒頭のエピソードとまったく同じだった。僕は今、慎重さについて考えている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid