モヤモヤの日々

第78回 英雄・コービー

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

2019年の年始休暇を使って、キューバのハバナに行った。あちらこちらで音楽が演奏され、みんながラム酒と葉巻を楽しみながら踊っているような街だった。社会主義国家だからと妙な気を遣って、服はロゴが入っていない無地を選んでいったが、現地の人は普通にメジャーリーグやNBA(プロバスケットボールリーグ)のロゴが入った服を着ていた。旅行で短期滞在しただけなので実態はわからないものの、おおらかで陽気な空気が街からは感じられた。

民芸品の市場も活気があった。とにかくいろいろなものが売っているので、とりあえずはぶらぶらあてもなく歩いてみることにした。すると視線の少し先のほうに、木の棒のような楽器を二本持ち、打ち鳴らしている黒人の男性がいた。楽しそうにリズムをとりながら打楽器を演奏している姿と、男性が上半身に着ていたNBAの黄色いユニフォームが、僕の目を釘付けにした。それに気づいたのか、男性は僕に寄ってきて、打楽器の説明をしてくれた。

クラベスというその打楽器は、サルサなどで演奏されるものらしい。手のひらで空洞をつくり、音を調整するのだそうだ。実際に演奏させてもらったが、なるほど叩いているうちに陽気な気持ちになってくる。早速、値段交渉に移ろうとしたところ、男性はこう続けた。「今、叩いているのは『ノーマル』なんだけど、実はうちには『プロフェッショナル』もあるんだ」

店の奥に入って、なにやらガサゴソとしたあと、男性は僕に「プロフェッショナル」を見せてくれた。叩かせてもらうと、なるほど確かにさっきの「ノーマル」とは音が違う気がする。素材の木も、「プロフェッショナル」のほうが高級感がある。しかし、正直、僕にはその差を評価するだけの知識も見識もない。だけど、持ち運びが容易な大きさだし、楽器好きの友人がいるから、「プロフェッショナル」はその友人へのお土産にいいと思った。男性から提示された金額も思ったより安かったので、ふたつ(「ノーマル」「プロフェッショナル」)とも買うからマラカスもつけてほしいと交渉すると、彼は「OK!」と笑顔で応じてくれた。

会計を済ませ、楽器が入った袋を受け取ったとき、僕は「コービー・ブライアント」と言った。男性が着ているユニフォーム。名門、ロサンゼルス・レイカーズの永久欠番「24」を背負っていたのは、点取り屋で鳴らし、華のあるプレーで多くのファンを魅了したコービー・ブライアントだった。男性は「コービーは俺の英雄だ」と言い、僕たちは握手をして別れた。

なので、翌年2020年の年始に、コービーがヘリコプターの墜落事故で亡くなった際、真っ先に僕の頭の中に浮かんだのが、ハバナで出会ったあの男性だった。男性は、事故のことを知っているのだろうか。知っていたら僕と同じように、悲しんでいるに違いないと思った。

ちなみにその後、「プロフェッショナル」は無事、友人にプレゼントすることができた。「ノーマル」とサービスでつけてもらったマラカスは、11か月の赤子(息子)の格好のおもちゃになっていて、カンカン、ガンガン、ガラガラ、ジャリジャリと、うるさいことこのうえない。先ほども、あまりにもうるさいので「ちょうだい」と笑顔で言いながら取り上げようとしたのだが、「ノーマル」とマラカスを振り回しながら「あうー!」と叫び、怒っていたので諦めた。赤子はまだ知らないのだ。父の本気を。いつか打楽器を鳴らしながら本気で踊り狂ってやりたい。

 

Back Number

宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid