モヤモヤの日々

第127回 朝顔観察日記(4)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

朝顔の鉢に支柱を立てた。水をやり、心許ない6月の日光を必死に浴びながら順調に育ってくれている。都会暮らしなので、赤子(息子、1歳1か月)の教育に少しはいいかもしれないと思い、毎日、朝顔に水をやるときには、じょうろと一緒に赤子を抱えて外に出た。

しかし、途中で「このイベントに愛犬ニコルが参加していない」ということに気がつき、妻に頼んで4人(1匹含む)でベランダに出るようになった。赤子を左手で抱えながら右手でじょうろを持つのは僕の体力では厳しいと感じていたため、妻が赤子、僕が犬とじょうろ抱えた。

今朝は、いよいよ鉢に支柱を立てることにした。前回の「朝顔観察日記(3)」に書いたとおり、新しく買った3つの鉢には、それぞれ3本、3本、2本の計8本の芽が出ていた。発芽した本数が少なく、また僕が間違って巨大な鉢を買ってしまったのが功を奏したのか、どの芽も発育がよかった。有機物だけではなく、無機物にまで憐憫の念を抱く気弱な僕にとって、生長の遅い芽を取り除く(間引く)作業がない今年は、穏やかな気持ちで観察できている。

志賀直哉は「朝顔」(岩波書店『志賀直哉全集 第九巻』収録)という文章を書いている。ちょうど3ページの短い随筆のように思えるのだが、宗像和重の「後記」によると、初出は1954(昭和29)年1月1日発行の「心」第七巻第一号で、目次では題名の下に「(小説)」と記されているそうだ。小説は「私は十数年前から毎年朝顔を植ゑてゐる」の一文で始まる。

「私」は、熱海大洞台の住まいの裏山の中腹に、掘立小屋の小さい書斎を建てた。窓の前の急斜地に四つ目垣を結い、ゆくゆくは茶の生垣にしようとしていた。しかし、それには何年かの年月がかかるので、とりあえず東京の百貨店で買った朝顔の種を撒いたという。夏になり、母屋は子どもや孫で一杯になった。そのため、「私」は1か月ほど、書斎で寝起きした。年のせいか早朝に目覚める日が多く、出窓にあぐらをかいて、外の景色と四つ目垣を眺めた。

「私は朝顔をこれまで、それ程、美しい花とは思つてゐなかつた」と述懐する。「一つは朝寝坊で、咲いたばかりの花を見る機会がすくなかつた為めで、多く見たのは日に照らされ、形のくづれた朝顔で、(…)」。しかしその夏、朝顔の美しさは特別なものだと感じたのだ。

朝顔の花の生命は一時間か二時間といつていいだらう。私は朝顔の花の水々しい美しさに気づいた時、何故か、不意に自分の少年時代を憶ひ浮べた。あとで考えた事だが、これは少年時代、既にこの水々しさは知つてゐて、それ程に思はず、老年になって、初めて、それを大変美しく感じたのだらうと思つた。

たしかに僕も朝顔といえば、小学校の夏休みが始まる前の日、大量の荷物(本当は徐々に持って帰ればよかったのだが)と一緒に鉢を抱えて、家まで汗を流しながら歩いたしんどい記憶しか残っていない。朝顔を美しいと思ったのは、大人になってからだ。今日は、じょうろで水をやる作業に加え、鉢に支柱を立てなければいけなかったので、妻が抱っこ紐で赤子を吊るし、犬を抱えてくれた。僕は水をやったあと、必死になって3つの鉢に支柱を立てた。

犬は外の景色をきょろきょろ眺めていた。赤子は、はじめは「あじゃ」と言いながら朝顔の葉を触り、すぐに手を引っ込めてはまた葉を触り、を繰り返していたが、僕が支柱を立てる頃にはすっかり飽きて、うとうと眠たそうにしていた。犬はずっときょろきょろしていた。

赤子も犬も、いつか大人になったら朝顔の美しさに気が付くのだろうか。いやしかし、犬は2歳9か月だから、人間でいえば成人の年齢に達しているはずである。でもまあ、産まれてからまだ3年以下しかこの星に存在していないのだから仕方がない。そして何よりも、まだ朝顔は花を咲かせていないのだ。花が咲いたら、きっと赤子も犬もよろこぶだろう(たぶん)。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid