モヤモヤの日々

第2回 犬と人

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

我が家の愛犬ニコル(ノーフォークテリア、雌、2歳3か月)は、おそらく僕のことをある時期まで「犬の先輩」だと思っていた。成長すればいつか、僕のように自由に散歩に行けたり、好きなタイミングでご飯を食べたりすることができると信じているようだった。ニコルにとって、僕は「憧れの先輩犬」。そんなキラキラした目で、ニコルは僕を見ていた。

しかし、2歳になる手前くらいから、僕を見るニコルの眼差しが変わっていったように思う。「あ、智くん(僕のこと)は人だ」と、誰に教わるわけでもなく、気づいてしまったのだ。

僕はニコルを静かな寝室に連れて行った。そして語った。「そう。智くんは人で、ニコルは犬なんだ」と。でもだからと言って、何だと言うのか。なるほど、ニコルは犬で、智くんは人ではある。だけど、そんなことは大した問題ではない。同じ仲間、家族じゃないか。人が偉くて、犬が偉くないなんてことはないし、そもそも「偉い」という価値判断自体が人のつくったものであり、自明性なんてない。まして犬が頑張って成長すると人になれるといった出世魚みたいな話でもない。犬は犬でいんだよ。それぞれの良さがあるんだからさ。いや、もしかしたら犬のほうがいい部分が多いかもしれない。智くんはそう思う。たしかに、好きな時間に散歩に行ったり、ご飯を食べたりはできないかもしれないけど、逆に言えば、たったそれだけの差じゃないか。智くんは、ニコルより自分のほうが偉いなんてとても思えないんだ。

ニコルはあくびをし、ベッドの上で丸くなった。犬が何を考えているかなんて、本当のところはわからない。だから想像する。想像してもわからないけど、想像し続けることにコミュニケーションの意味がある。ニコルは寝た。生まれ変わったら犬になりたいと思った。

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid