モヤモヤの日々

第36回 自己宣伝

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

ツイッターを眺めていると、たまに「自己宣伝」の是非について言及している投稿を見かける。自分を宣伝する、つまり僕でいうならば、自分の本、雑誌やウェブに執筆した原稿、登壇するイベントや出演するメディアの情報などを、自ら宣伝し広く周知しようとする行為を指す。自分や自分の作品、情報について触れてくれている人の投稿をリツイート(拡散)することも自己宣伝にあたる。

自己宣伝を否定的にとらえている人は多い。かく言う僕は、自己宣伝に余念がない人間だ。たしかに自己宣伝をすると、よくフォロワーが減る。誰かのタイムラインを、僕の情報で埋め尽くしてしまうのも気が引けるというか、申し訳ないなあと心をいつも痛めている。しかし、自分が宣伝しないならば、誰が宣伝するんだろう、という思いがある。もちろん出版社や執筆したメディアも宣伝してくれるが、僕だけの宣伝に時間とコストを割くことはできない。それくらいの常識は、僕でもわかる。

そして、自己宣伝を徹底的にやってみた結果として判明したのは、驚くほど人は僕に興味がない、という事実である。ツイッターには投稿を解析する機能がついているが、それを見るとリツイートや、いいね数よりも、リンク先の記事を読んだ人が少ないなんてことはざらにある。「新刊の予約が始まりました」と躍起になって宣伝している時期にリアルの場で会った人から、「このあと、書店に寄って買うね」と言われたり、逆に発売後に「発売したら買うね」と言われたりしたことも一度や二度ではない。

それは相手が悪いのではない。誰だってそんなものなのだ。自分を振り返ってみても思い当たる節はあるし、少なくとも僕くらいの知名度では、それくらいの認識のされ方が当然だと思う。亡くなった父は、思春期を迎えた僕が鏡の前で髪型を入念にセットしている様子を見て、「自分が人に注目されていると思った時は、十中八九、社会の窓が開いている時だ」と言った。まさにその通り。

しかし、「宮崎が新刊について、なんかギャーギャーと宣伝しているな」と認識してもらえたからこそ、たとえその情報が微妙にずれていたとしても、「認識」という現象が生じたことに僕は希望を見出している。そう気にかけてもらえただけで、僕はうれしい。社会の窓で注目されるより1万倍うれしい。

そしてもうひとつ、自己宣伝を否定的にとらえる意見として、自分の作品を自分でオススメしたり、自分の作品を褒めている投稿を拡散したりするのは、あまり上品な行為ではないという意見がある。言わんとしていることはわからないでもない。わからないでもないのだが、これに対しては明確に異を唱えたい。なぜなら、僕は営業職の経験があるため、「いや、僕の作品なんて大したことありませんよ」なんてことは口が裂けても言えないと思っているからだ。その作品なり商品なりをつくった本人が、大したことないと言っているものを売る人の身にもなってほしい。買う人の身にもなってほしい。これほど侘しいことはないし、端的にいって失礼である。先人や同世代の書き手を畏敬する気持ちは、人一倍強いほうだと思っている。だが、編集や宣伝、営業、流通、棚に並べて売ってくれている書店員など、自分の本に携わって汗水を流してくれている人の姿をリアルに想像するならば、「少なくとも現時点でのベストは尽くした」と言動で示すのが、著者としての最低限の礼儀ではないだろうか。

実際にやってみるとわかると思うのだけれど、自己宣伝は結構、疲れる。本当はこんなことしたくない! と思う瞬間もある。できれば僕も「上品」でいたい。自己宣伝なんかしなくても、たくさんの人が言及してくれて、放っておいても記事が読まれたり、本が売れたりするようになりたい。でも、今の僕はそうでない。注目されていると思った時はだいたい、社会の窓が開いている時なのである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid