モヤモヤの日々

第244回 僕が好きだったもの

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕は幼い頃の記憶が曖昧だ。誰だってそうだとは思うが、早生まれで成長が遅かったうえ、ずっと鼻が詰まっていた僕は、人よりもさらにおぼろげにしか幼少時代を記憶していないのではないかと思う。一方、幼い頃に覚えていた感覚は、心と体とに鮮明に刻み込まれている。自然に囲まれた武蔵野台地に育ち、河原や土手や野原で暗くなるまで遊びまわった。周辺にはまだ空き地がたくさん残っていて、夜はやけに静かだった。布団に入ると、日中に体にため込んだ熱が冷めていくように眠りに落ちていった。

そういった感覚的な世界を、成長するにしたがって失っていった。感覚よりも思考のほうが心と体に充満していった。それは仕方ないことである。誰だって大人になれば、幼い頃、眼前に広がっていた世界を失ってしまうものだからだ。でも僕はそれが悲しかった。酒を飲むと、以前のような純粋な世界への感覚を取り戻せる気がしていた。それは一時の幻想だった。酒は僕の心と体を蝕み、やがて断酒を余儀なくされた。

前著『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(幻冬舎)が出版された際、母の友人たちが熱心に応援してくれた。そのなかにAさんがいた。Aさんは僕がまだ立って歩き出す前の赤子の頃に、母が近所の図書館で知り合った女性で、イラストレーターをしていた。娘さんが僕の一つ下の学年(生まれは2か月しか変わらない)だったということもあり、すぐに意気投合して仲良しになったのだという。以来、今に至るまで母とAさんの友人関係は続いている。僕も幼い頃、Aさんの家に行き、娘さんと遊んだことをぼんやりと覚えている。

僕の本を読み、Aさんは母に感想を送ってくれた。そのメールを母は僕に転送した。本の感想や、僕が父親になった感慨が綴られていた。僕はAさんと何年間、いやもしかしたら20年以上も顔を合わせていないけど、Aさんの文章には、僕を昔から知る人が書いてくれた優しさと親しみがこもっていて、とても感動した。

Aさんは、文章のなかで僕のことを、「小さい頃、雲のたなびく空を飽きもせずに眺めていたあの男の子」と表現していた。そうだった。なぜそんな大切なことを忘れていたのだろうか。僕は幼い頃、雲を眺めるのが好きだったのだ。僕が今住んでいる都会のマンションは、ビルや高速道路に囲まれている。8階の部屋から見える風景は、お世辞にも綺麗とは言えない。しかし、ふと見上げてみると、白い雲が細かくちぎれるように連なり、空にたなびいていた。雲の上にはなにがあるのだろうかと考えた。僕が好きだったものは、いつもすぐ側にあった。

幼い頃に一緒に遊んでいたAさんの娘さんは、現在、漫画家になって活躍している。どんな性格だったのか、なにをして遊んでいたのかは、やっぱり明確には思い出せなかった。なにを喋っていたかの記憶すら、僕にはほとんどない。でも、ベランダで雲を眺めながら考えていたら、少しだけ懐かしい気持ちになった。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid