浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。
ある時、妻から「トイレは座ってやってほしい」と頼まれた。洋式トイレでの小便は、常に注意はしているものの、やっぱりはみ出してしまうときがある。ひとり暮らしのときは、週1回くらいの頻度で便器を拭けばいいか、と思っていたけど、今はそうはいかない。結局、僕自身が拭く前に、妻が痺れを切らして拭くことが多い。強いストレスになっているという。
「男は小便を立ってやるもの」という意識もあった。しかし、考えてみれば立ってやる必要を強弁する理屈もないし、なにより妻に負担がかかっているのだ。いちいちズボンとトランクスをおろし、座ってやるのは面倒だが、それくらいは辛抱。頑張って、習慣化していった。
ところが妻が言うには、今でもたまに立ってやっている形跡が残っているらしい。「そんなはずはない……」と反論したが、この前、無意識に立ってやっている自分を発見した。30年以上、続けてきた習慣とは恐ろしいものだ。無意識のうちに、べったりとこびりついている。
多様な個人を尊重する新時代の言動が求められている。「もう獲得している」と思っている人も油断するなかれ。それまでの「当たり前」を変えるのには、よほどの根気が必要なのだ。
1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤ
Twitter: @miyazakid