モヤモヤの日々

第5回 眠れない夜

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕は、眠っている生き物を見るのが大好きである。だから、赤ちゃんや犬を寝かしつけることに並々ならぬこだわりと探究心を持っている。なぜなら、僕自身の寝つきが悪いからだ。

夜、うまく寝つけないことに長期間悩んだことのある人ならわかると思うが、眠れない夜ほど孤独なものはない。そもそも「眠る」というのは、生物に備わった生理現象であり(例外もあるかもしれない)、基本、生物は眠る。だから、主観的に「眠る」ということについて考えるのは、いつだって眠れないときなのだ。「眠れない」という現象が生じて、はじめて「眠る」ということを意識することになる。眠れない人は、眠れない夜の間ずっと「眠る」とはどういう状態のことなのかに向き合い、考え続けなければいけない。これはつらい。

そんな思いがあり、一時期、僕は眠れない人用の音声ライブ配信をしていたことがあった。退屈な、つまらない話を延々と喋り、リスナーを寝落ちさせ、視聴数がゼロになったら終了する配信だ。しかし、眠れないとは奥深い現象で、つまらない話が面白く感じてしまったり、眠ることを忘れて聴き続けてしまったりする人が一定数いて、最終的には配信時間の延長に必要なコインが投げ込まれる始末。眠れないということは、かくも人の判断を過たせるものなのかと驚いたものだ。結局、この配信で視聴ゼロを達成することはできなかった。

だいたい、深夜2時にバツイチ、アルコール依存症のフリーライターが喋る話を聴いている時点で、なにかが間違っている。その判断自体に、眠れない要素が含まれているように思う。すぐさまインターネットを遮断し、暗くした部屋でリラックスしながら布団に入るべきだ。

そんなことが出来るなら眠れなくなんてならないよ、という意見もあると思う。完全に同意である。元を正せば、僕自身が眠れないから配信しているのであり、そんな奴の配信を聴いている人は、愚かか愚かじゃないかと言ったら愚かだろうし、強いか弱いかと言ったらやっぱり弱い存在だろう。僕はそんな人のために文章を書き続けていきたいと思っている。

そして他人を寝かしつける前に、自分がきちんと眠れるよう生活を整えていきたい。

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid