コンビニに行ったら、小さな女の子が泣き叫んでいた。どうやら、アイスを買ってほしくて、母親に駄々をこねているらしい。小さい子どもを持つ親は大変だ。母親は「さっきお菓子を食べたばかりでしょ」と諫めているが、女の子は泣き止む気配がない。もはや泣くこと自体が目的化してしまい、自分でもなんで泣いているのかわからないような様相で泣いていた。
母親の気持ちを考えてみた。狭い店内を震わせるかのように泣き叫んでいる我が子。アイスは、たったの120円。どう計算しても、この状況をおさめること、おさめるために使う時間と労力より、120円払うほうが費用対効果がよさそうだ。よし、今すぐ買ってあげよう。
しかし、「泣き叫べば、どんな要求も受け入れてくれる」と子どもが覚えてしまったらどうしよう。同じことが、何度も続くのではないか。要求は、さらにエスカレートしていくかもしれない。いや、そもそもその対応は子どものためにもならないのではないか。まだ幼いとは言え、そろそろ我慢を覚えさせる年齢だ。ここは心を鬼にして要求を退けよう。でも……
母親は、必死になって女の子をなだめながら、ちらちらと僕の顔を見て様子をうかがっている。教育は費用対効果ではない。コストは社会全体で負担するべきである。そして今、僕は教育現場のコストになっており、そのコストを解消する方法はひとつしかないことを知っている。僕はパブリックな顔をしてレジに並び、パブリックな顔をしてコンビニを出た。
1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤ
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