モヤモヤの日々

第14回 尻が痛い

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕は尻が痛かった。しかし、いつも肩やら腰やら頭やら、どこかが痛いと言っているし、今回は尻だという負い目もあって黙っていた。赤い、大きなニキビのような腫れ物が左の尻に出来ていたのだが、その腫れ物は日々大きく、熱を帯びながら成長していた。僕は妻に思い切って言ってみた。「あのさ、本当にどうでもいい話だから聞き流してくれてもいいんだけどさ、俺、いま尻が痛いんだよね」。妻は聞き流さずに答えた。「なるべく触らずに、清潔にしとけばそのうち治るんじゃない?」。どうやら妻は、「また夫が大袈裟に言い出したよ」と思っているらしかった。尻だという負い目もあって、僕もそうなのだろうと思っていた。

しかし、腫れ物はいっこうに治らなかった。常に痛かった。どんどん酷くなっていくのが手にとるようにわかった。僕は意を決して妻に尻を見せた。すると妻は身をのけぞり、「こ、これは酷い!」と絶叫し、すぐに医者に行くよう僕に勧めた。「なんで今まで黙ってたの?」と聞かれ、「いや、だって尻だしさ……」と答えたが、考えてみれば、僕はずっと前から尻が痛いと言っていたのであった。その妻から「二度見する酷さ」と称されながらさらに2日が過ぎた。歩行が困難になってきた僕は、妻の言うとおり、皮膚科に行ってみることにした。

皮膚科の先生は疲れた顔をしていた。連日激務が続いて寝不足なのだろうか。もしかしたら、毎日毎日同じような症状を見せられて辟易しているのかもしれない。いずれにしても、先生の僕を見る目は虚ろだった。本当に申し訳ないと思いながらも、僕は先生に尻を見てもらった。すると、先生は身をのけぞって「こ、これは酷い!」と絶叫した。あまりの酷さに「写真撮ってもいいですか?」と聞かれ、撮影した後すぐに切開手術をすることになった。

ベッドの上にうつ伏せになり、僕は尻を出した。まずは麻酔をするらしい。僕は人より痛がりなので、ちょっとホッとした。ところが、この麻酔の注射が猛烈に痛かった。僕は大きな声で痛いと叫んだ。すると先生は何もなかったかのように、「これを二箇所に刺します」と言って注射を刺した。もう限界だった。でも、「麻酔は打ったんだからこれでもう痛くなることはない」と安心して手術に臨んだ。

たしかに麻酔のおかげで肌を切るのは痛くなかったのだが、ウミを押し出す時は違った。再び叫ぶ僕に、「ウミを押し出すときはどうしても痛いんです」と先生は言ってまた押した。痛さに思考を失っていたので勘違いだと思うが、「まだ出ます」と言う先生の声はどこか弾んでいるようでもあった。あまりの痛みに、下腹部のガスが出そうになった。しかし、「これ以上、この場をヘンテコな空間にしてはいけない」という強い使命感に駆られて僕はガスを我慢した。だから、そのぶん大きな声で叫び散らすしかないと思って叫び散らした。

先生によると、僕の尻の病気は決して軽視していいものではないとのことだった。当分、ウミを出し、消毒するために通うことになり、今日も通うことになっている。根本治療には、本格的な手術が必要になるという。

せめて、先生が撮った写真が医学の進歩に役立ったならいいけど。

 

宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid