昨日、関東や東北などで雪が降った。東京都心部でも大粒の雪が舞い、気温も低下した。緊急事態宣言下でもあるし、これはもう家にこもるしかないと、寒がりな僕は籠城をきめこんでいた。
久しぶりの大粒の雪を見て、「おお、めずらしく本格的だな」などと心がざわめきはしたが、40代手前になった今では、子どもの頃のように雪が降ってもはしゃいだりはしない。大人になってからは、基本的に雪は煩わしいものになった。寒いのも苦手だし、足元が悪くなるのも苦手だ。ましてや積もりでもしたら、もう外出時の不快度が一気に高まり、僕は家で縮こまっていることしかできない。
そもそも、子どもの頃は、なぜあんなにも雪が好きだったのだろうか。生まれ育った東京の多摩西部は都心よりも気温が低く、23区では雨でも地元では積雪なんてこともよくあった。朝起きて雪が積もっていたら早めに家を出て、通学路で雪だるまをつくって遊んでいたものだ。信じられない元気さである。あの時の元気さの1割でも今の僕にあったならば、きっと文筆業なんぞやめている。
しかし、元気がないので、文筆業を続けている。やめる元気がないのである。だから、僕は今、雪について書いているわけだが、まず雪は度が過ぎれば自然災害になる。降雪が少ない東京でも積雪となれば一大事で、脆弱な首都の交通網はすぐに麻痺してしまう。それでも定時出社を目指す会社員は多く、朝の通勤ラッシュ時にはパニック状態になる。めずらしく建設的なことを言わせてもらうと、密を避けなければならない今だからこそ、「雪の日はリモートワーク」を定着させるべきだ。
僕は、そんなことを書きたかったのだろうか。なんだかんだ言ってもやっぱり浮き足立ち、はしゃいでしまっているのかもしれない。新雪のような真っ白な心が、どこかに残っているのかもしれない。万葉集には雪を詠んだ歌が150首以上もあり、『金槐和歌集』を遺した鎌倉幕府最後の源氏将軍・源実朝が、雪の舞う鶴岡八幡宮で兄の子公暁に暗殺されたという事実も、なんとも言えない感傷を誘う。雪には風情がある。風情を感じるためには、元気が必要なのである。僕は元気になりたい。
1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤ
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