モヤモヤの日々

第40回 三つ子の魂

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

最近、詩の暗誦を日課にしている。理由はいくつかあるのだが、まず単純に記憶力が鍛えられる。あと、新型コロナウイルスの感染拡大以降、人と話す機会が少なくなったため衰えた表情筋や滑舌を鍛えることができる。丸谷才一のエッセイ「動物園物語」(文春文庫『男もの女もの』収録)によると、英国で教育を受けた吉田健一は、詩の暗誦が定着していない日本の教育について、「ぢやあ大学の文学部で何をするんですか?」と訝しがっていたらしい。機嫌が良くなると英語の詩を諳んじていたという吉田と比べるのはおこがましいのだが、僕も暗唱しているうちに言葉のリズムや呼吸、日本語独特の飛躍などについて、少しずつ考えるようになっていった。なにより、やっていると楽しい気分になる。

小学生の頃、あまりにも勉強しない僕を見て、父もさすがに心配したのだろう。ほとんどボーとして過ごしている僕が、読書と文章を書くことにはかろうじて興味を持っているようだと発見した父は、『朝日小学生新聞』に作文か詩を投稿する教育を思いついた。詩をいくつか書き、何篇か掲載された。「こいつは詩が好きだ。もうこれしかない!」と思った父は、自分が愛読していた中原中也の詩を読み聞かせてくれるようになった。そのうち僕にも朗読させ、暗誦にもチャレンジさせるようになっていった。

だから僕にとっての文学は、「父が一緒に遊んでくれる楽しいもの」だった。父が亡くなった今でも、そういう憧憬を抱いている。そんなこともあり、ふと思いついて暗誦を日課にしようと思ったとき、最初に手に取ったのは、やはり中原中也の詩集だった。助詞などの細かい記憶違いはあったものの、不思議なことに「サーカス」や「湖上」「朝の歌」といった、何度も暗誦していた詩は四十歳手前になった今でも覚えていた。「三つ子の魂百まで」というが、こんなに愚鈍な僕でも身についているものはあった。

ひとつだけ、もう時効だと思うので告白すると、僕が『朝日小学生新聞』に詩を投稿していたのは、単純に詩のほうが作文より字数が少なかったからである。たしか、紙幅を稼ぐためにやたらと改行した作文を、父が詩と勘違いして投稿したこともあったような。もちろん今は、「詩のほうが簡単」などとは、一ミリも思っていない。しかし、当時の僕は本当に愚かで怠け者だったのだ。まあ、父は僕の1万倍はお人好しだったから、「詩を好きになってくれたなら、結果オーライさ」と笑ってくれているに違いない。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid