モヤモヤの日々

第90回 応援しがい

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

先日、音楽家の小田晃生君と一緒に有料オンラインイベントを開催した。この連載でも書いたとおり小田君とは旧知の仲だが、トークの後に小田君の弾き語りミニライブを予定しており、いつも出演するイベントとは少し趣が違うので緊張していた。しかし、リモートの画面越しに聴こえてくる小田君の歌声と演奏は素晴らしく、僕自身、リラックスしながら疲れを癒す時間となった。

イベントで小田君は、「今はファンの方に、いろいろとお願いしてしまうかもしれないけど、いつか応援しがいがあったと思ってもらえるようになりたい」と言っていた。小田君の言うとおり、新型コロナウイルスの感染拡大以降、リアルでのライブやイベントを開くのが難しくなり、自分の作品や活動に注目を集めるのが、以前よりもさらにハードルが高くなっている。だから自己宣伝する。読者の方に、情報のシェアをお願いするような投稿もする。とても心が苦しい。できることなら、そんなことはしたくない。でも、しなければ本は売れないし、原稿も読まれないのだ。

だからせめて、「いろいろ苦労したけど、ずっと応援してきて本当によかった」と、いつか読者の方に思ってもらえるよう、売れっ子になりたい。苦労をともにしてくれる読者の方に恵まれ、将来、大きな恩返しをしたいと思う。小田君もきっと同じ気持ちで発言したのではないだろうか。

さて、応援しがいのある「39歳、フリーライター」とはどんな存在だろうか。字面だけで判断すると、どうも応援しがいのある感じではない気がする。もう大人なんだから、自分でなんとかしろと、ほとんどの人が思うのではないだろうか。でも、僕はまだまだ応援してもらわなければ困る知名度しかないので、なんとか「応援しがい」のあるフリーライターにならなければいけない。

たとえば、RPG(ロールプレイングゲーム)のようにHP(ヒットポイント)を設定して、僕の心が折れそうになるごとにHPが減っていき、この連載の文字が薄くなっていく演出はどうだろうか。最終的にHPがゼロになると、本文がまっさらになって読めなくなる。というのも、物書きという職業は、お金が入ってくるタイミングが勤め人とは違っていて、たとえば1年後に出るか、出ないか(というか書けるか)わからない本のために、骨身を削っている期間なんかもある。

つまり、現実的に収入の問題はもちろん一番大きいのだが、そもそも心が折れてしまうのを避けなければ、仕事が続かないのだ。逆に言えば、生活に十二分なお金をもらっていたとしても、心が折れてしまうと、文筆業を続けるのが危うくなってくる。だからこそ、応援しがいのあるやつになって、ほめてもらったり、盛り上げてもらったりする必要が出てくるわけである。

これは、おそらく僕だけの考えではないはずだ。文筆家のみならず、音楽家などほかの表現者も、少なからず同じ思いを抱いているのではないだろうか。だから、「僕を応援してほしい」なんておこがましい押し付けをする気持ちはないのだけど、もしこの原稿を読んでいる方で、応援したい表現者がいる方がいたならば、文字や声にして表明してあげてほしい。孤独な戦いをしている表現者にとって、これほど励みになることはほかにないと思っている。

またいつもの悪い癖で、いい人ぶってしまった。応援しがいがあるやつになるために、ここでは素直な気持ちを書いておきたいと思う。出来ればでいいので、僕を応援してくれると幸いである。というか、僕を応援してほしい。応援されなければ消えてしまいそうな弱々しい存在なので、ある意味、応援しがいはある(とも考えられる)。そして、いつか大恩を返せる人間になりたい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid